アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
弱点様
>事前になくそうとされているのかなと最初から思っていました。。
そういうことじゃなくて、事後の話をしていないだけです。
いじめをする側もされる側も心の判断を述べているだけです。
イジメ側=自律してない人、イジメられる人=自律している、していないの両者あり。
それによる対処方法を述べただけ。
>仲裁する?第三者のことをおっしゃっているので、その言葉を使われたのでしょうか。
仲裁とか具体的なことを述べていません。
>第三者は表面上の解決しかしてくれませんよね。
第三者とは、観測者のことです。(客観的観測者)
>本当の思いは本人にしかわからないので、そこを考えてしまうのです。
「本当の」とかそういう曖昧な感情論の話をしたつもりがないんですよ。
>この「受け入れる」という意味が私にはわからないのです。
そうですか。
受け入れるとは、理解することで、我慢するとは別です。
理解する=ストレスなし
我慢する=ストレスあり
>どうしてそうなるのでしょうね。そう思われてしまったことは、わかりました。
>いじめられた子は「いじめた側が悪い。私は悪くない。自分のせいじゃない」と思う。
↑のような展開になるからそう感じただけです。
信頼感さん
>>「規則」で縛れば、考えますよ。
>駐輪禁止の看板の文字を読んで、「迷惑になるだろう」という意識を共有できず(感覚がない)違法駐輪する方に「規則」というものは、ほぼ意味をなさないし、仮に罰則を設けても「飲酒ひき逃げ」同様、要救護者を放置して逃げることを選択しますよ。(判断の基準が損得だから)
>だから、「規則」という「力」じゃ、押さえきれない....
「判断の基準が損得」で、「迷惑になるだろう」という「感覚がない」ひとにこそ、悪いことをすると損になるような規則が有効な気もするんですが。
>教育として「他人の痛みを共有出来る」感性を育むことが先じゃないですか?
「力」で押さえられないひとの「感性を育む」ことは、より難しいような気もしますが。教育も規則も両方必要なのでは?
老眼さん
やはり、キリスト教的解釈より性善説のほうが
老眼さんはぴったりあいます。
忍耐強さやさしい包容力はすでに中学の時点で備わって
おられたのですね。
ひとつだけ質問なのですが、
>次の転機は公立高校に進んでから訪れました。大将も同じ高校に進んだのです
高校って公立でも、輪切りになる(太めの)というふうに
思っているのですが、
その大将さんと 老眼さんが 同じ高校に進んだというのが
どうも納得できません。
老眼さんは、学校をお休みしていたとしても
学業はきっちりおできになられていたと思うのです。
根本的様
>「力」で押さえられないひとの「感性を育む」ことは、より難しいような気もしますが。教育も規則も両方必要なのでは?
皆さん、異口同音「難しい」と仰る理由が、少しわかったような気がしました。
私の中では、子供を対象としており、根本的様の仰る規則が必要な対象は、大人へのことじゃないですか?
だったら納得なのですが....。
大人への教育は、事実上困難です。大人の感性を大幅に修正することは難しいですから。
大人への規則は、更正を期待するものではなく、抑止力という意味合いなのでしょうね。
今は、教育、規則、両方必要な段階なのか.....納得いたしました。
信頼感さん、根本的さん
有森さんやQちゃんを育てた陸上実業団の小出監督が、
ある雑誌で、こんな話をされていました。
女子ばかりのチームだと、イジメが起こりがちなのは否めない。
では、それを辞めさせるにはどうすればいいか?
イジメのボスになっている子をこっそり呼んで、
「お前ならリーダーになれる。チームをまとめてくれ。頼むぞ!」
と言うのだそうです。
仮に、そのイジメっ子を怒鳴りつけて抑えつけたらどうなるか?
監督の目が行き届かない場所で、より陰湿なイジメをするようになるだけだ、
ともおっしゃっています。
イジメっ子というのは、心が弱いくせに強く見せたがっている子。
だから、そういう子に対しては、指導者が信頼の念を寄せて
自己肯定感を植え付けてやることが大事だ、とのことでした。
>「力」で押さえられないひとの「感性を育む」ことは、より難しい
と私も思いますが、
「信頼感」をもって対処しなければ「根本的」な解決には至らない、
というのが真理ではないでしょうか。
シルバースプーン様
仰ると通りでございます。
>女子ばかりのチームだと、イジメが起こりがちなのは否めない。
ただし、↑....男の嫉妬もかなり見苦しいし、激しいし、嫌なもんですよ。女性に比べて少ないなんて決して思えない。
霞ヶ関方面...どす黒く渦巻いてるように見えます。
>「信頼感」をもって対処しなければ「根本的」な解決には至らない、
というのが真理ではないでしょうか。
真理はこうですよね....現実は、根本的様の意見も尤もです。
罪と罰を考えると、罰が軽すぎると無視されるし、重すぎると不正(逃げる)するし...
やっぱり、力で押さえ込むって、限界があるように感じています。
理想と現実.....難しいです。
無常感さん
>ネオリベラリズムは、経済成長という結果を重視する・・帰結主義、功利主義ですね。
>リバタリアニズムは結果いかんではなく、その過程、自己所有の考え方を重視します。
なるほど。すると私の場合、自分の「個性」としてはリバタリアンで、政治経済的結果から「帰結」するとネオリベラルということになりますね。
>その選択・・何が正しいのかは時代によって変わるのですよ・・刹那的予定説 ・・とでもよびましょうか。
「帰結主義」的にはね。でも、しつこいようですが、無常感さんの「個性」は?そこには「結果いかんではない」「選択」がないんですか?そんなことないでしょう?だって、将来またアメリカがイケイケどんどんの時代になって、ネオリベラル派が優勢となったとしますよね。そのとき無常感さんは、「刹那的」にリベラルからネオリバラルに「変わる」のでしょうか?そこが私には理解できないんですよ。
>強引な分類方法を用いれば、人間には2つの進み方があるようだ。
>一つは社会的な広い視野から自己を形成していくタイプで、一つは自分一己の個人的立場から出発するタイプである。
>なるほどな~、、と、北さんは自分は後者だとおっしゃっている。
>私もおそらく後者だと思います。 (地域、時代さん)
私もおそらく後者なんですが、無常感さんはタイプとして前者だというだけのことなんでしょうか?「社会的な広い視野から」形成されたにしても、やはり「自己」ってものがあるわけでしょう?ルソーの言うまっさらな子供じゃありませんからね。






























