アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
無常感様
視点さんは「猫も杓子も『中学受験』」といった「やみくも」感に警鐘を鳴らしているだけかと。
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猫も杓子もって、この表現は何?
他所の大切なお子さん達が猫で杓子なのか?
また、親御さんが猫や杓子なのか?
親父さんはそんな事は言ってないね。(親父さんの主張への擁護はしないけど)
おじゃまします様
ここ、、書きにくい、って思われる方結構いらっしゃるのですよね。
確かに、私も最初の頃、かなり長くロムっておりました。(笑)
でも、そんな心配ご無用かと。
これからも是非是非、よろしくお願いいたします<(_ _)>。
地域、時代さん
>猫も杓子もって、この表現は何?
>他所の大切なお子さん達が猫で杓子なのか?
>また、親御さんが猫や杓子なのか?
レス ひさしぶりですね。
多分、言葉を感違いしていると思うので、一度、辞書で調べて欲しいのですが、
「猫も杓子も」 → 【意味】「誰も彼も」
と書いてないかと。
別に侮蔑表現ではないし、もし、地域、時代さんがそう感じたとしたら個人的な解釈ですよ。
また、「中学受験は「誰も彼も」じゃない、特別なんだ!」という感情であったとしたなら、
それはただの傲慢です。
>【2339704】 投稿者: スレ主(ID:1pHT5OfLTaw)投稿日時:11年 11月 27日 08:02
>だいたい、エデュを見ていると、大学受験しか見ていない親が多い。
>そういう親が、子供を「大学までの人」に育てることになる。
これは視点さんのコメントですが、
ほら・・意味は「エデュでは『誰も彼も(猫も杓子も)』・・」じゃないですか。
「心」とは、環境因子に影響されるわけで、つまりそれは、価値観であり、善悪の好みなのだと思います。そこにもう一つ割り込んでくる意識があり、それは、「魂」から発せられる根源的欲望です。普段我々は、この2つの異なる経緯による意識を「心」から発せられていると感じているのだと思います。実際、絡み合っているのでしょうが、思考する上で2つの意識を明確に分離した方が考えやすいと思われます。
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信頼感様
信頼感様がここで教えて下さっている事。
そして、適性様、未来様から教えてもらった’心の処方箋’で、私はこれを意識する事を知りました。
適性様、未来様、信頼感様、本当にありがとうございます。
次は「子供へのまなざし」読んでみます。
また、「中学受験は「誰も彼も」じゃない、特別なんだ!」という感情であったとしたなら、
それはただの傲慢です。
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無常感様
いえいえ、、、私は無常感様の書き込みに「傲慢」を感じたのですよ。
私の誤解だったのでしょう。






























