アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
老眼様
>しかし、その中にあって、明らかに「気にする」ということもたびたび経験するのは確かです
>気になる対象自体を考察するとド壺にはまり、気にする理由や背景を考察すると一歩進むことができるような気がします。 その時、何を考えるか・・だと思います。
そうそう、そう思います。
どうして相手にこのような気持ちを抱くのか...それは自己の感情を相手に投影しているのではないか?という自問自答を始めると、本質的に拘っていた「気になる対象」の存在に結果的気づけるし、対処もできるんじゃないかと思います。
弱点様
>人からこう見られたいとか、人との比較というものとは違うのですが。
『「こう」見られたい』という願望があるわけで、「こう」=「理想の自分」だと推察されます。この時点で少なくとも「理想の自分」と「今の自分」を比較していると思われます。では、「理想の自分」とは何でしょうか?理想の自分は、他者との関係性なしに存在しうるモノなのかどうか。
「見られたい」=願望=価値観=好みであり、好みは、好まないとの比較によってのみ存在できると思うのです。
「比較」という言葉って、生々しいのですが、関係性を知る上で必然的に行っていることじゃないでしょうか?
相対性理論を例にすれば、当事者と観測者のスピードが違えば、時空間すら歪むわけです。お互いの目には、相手が歪んでいるように見えるのですから。誰も自分が歪んでると認識出来ないし....コレって「自我」に似てませんか?
地域、時代様
>私はすごく「心だ」って言うでしょ。。。
たぶん、私は自分の心に「自信がない」「すごく気になる」のかな。。。って。
だから、子供を育てる時に、ここをものすごく意識してしまうのかな、、、って思うのです。
このように、内的自己を見つめることってとても大切なことなんだと思います。
相手に対する感情が、どこからわき上がってくるのかって....自己を理解する上でも。
自分の中に、誰にも負けない部分を持っていれば、
「他人を気にしない」と「他人を思いやる」を両立できる気がします。
お隣のスレで、未来さんが
「世界に一つだけの花」が好きとおっしゃっていて。
私も大好きな歌ではあるのだけれど、
誤解されやすい歌詞なんじゃないかと感じてきました。
(いろいろと論じられてきたことかと思いますが、以下雑感)
「ナンバーワンよりオンリーワン」というけれど、
本来、誰もが自分のなかにナンバーワンの部分を持っているからこそ
社会のなかでオンリーワンであるはずで。
自分のなかのナンバーワンは何か、をしっかり見つけて、
そのことで社会に役立つことができれば、
それがいちばん幸せなことだと思うのです。
でも、自分のなかのナンバーワンを見つけるのは難しい。
信じ切ることはもっと難しい。
深く考察したり、トライして確かめたり、努力しなくちゃいけない。
なのに、
「オンリーワンよりナンバーワン」を都合良く解釈しちゃったら、
「私はオンリーワンだから別にいいもん」みたいに
現状に安住してしまう気分が広まってしまうんじゃないかと。
あの歌詞のキモは
「オンリーワンよりナンバーワン」ではなくて、
「その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」の部分。
一生懸命にならなくちゃ咲かないんだよと、
子どもには(自分にも)言いたいなと思っています。
>『「こう」見られたい』という願望があるわけで、
気になるポイントに、こう見られたいという願望なんてないんですよ。
何度かそう書いているのですが…。
きっと学者の方々はその限界を知っているような気がします。
だから、研究を続けていられるのでしょう。
人は複雑です。だから、個々が貴重な存在となるのでしょうね。
私は自分を見つめることなんてお勧めしません。
うまく回っている人には全く必要ないことだと思います。
>自分の中に、誰にも負けない部分を持っていれば、
>「他人を気にしない」と「他人を思いやる」を両立できる気がします。
これといった取り柄がない人は思いやりもないと?
ナンバーワンで傲慢な人もいれば、とりたててすぐれた能力がない人でも思いやりがある人もいる。
リンクさせて考えるなどナンセンスです。
>これといった取り柄がない人は思いやりもないと?
>ナンバーワンで傲慢な人もいれば、とりたててすぐれた能力がない人でも思いやりがある人もいる。
>リンクさせて考えるなどナンセンスです。
「これといった取り柄がない人」っているのかな?
「これといった取り柄がない、と思い込んでる人」は大勢いるけど。
そうじゃなくて、私はむしろ
「これといった取り柄がない、と思い込んでる人」がいるけど、
そんなことはない、誰にも必ず取り柄はある。
それを見つけて信じ切るまでに至るのには努力が必要だけど、
それが確立できたら人にも思いやりがもてる。
ということを書いてるつもりなんだけど。
弱点様
読み違えちゃいました。ごめんなさい。
>私は自分を見つめることなんてお勧めしません。
うまく回っている人には全く必要ないことだと思います。
人、それぞれってことです。
確かに、トラウマを探るようなことは、やめた方が良いと思いますけど。
視点様
>これといった取り柄がない人は思いやりもないと?
ナンバーワンで傲慢な人もいれば、とりたててすぐれた能力がない人でも思いやりがある人もいる。
何か個別の社会的価値に対して一番になるように努めようという趣旨を述べられているんじゃないと思うのですが。
他人との比較をやめたら、結果的に誰にも負けることもありませんし。もちろん、それは諦めという意味でもありません。主体的判断で他人との比較を止めたら、自らがオンリーワンの魅力を持った価値ある一人の人間であることに気づけるという趣旨じゃないんでしょうか?
「コレといった取り柄がない」とは、「社会的価値がない」ということでしょうけど、既にこの部分で他人と自己を比較してるわけです。で、この呪縛から解放しようってことだと思うのですが....そういう唄かと思ってました。
>「他人を気にしない」と「他人を思いやる」を両立できる気がします。
そしてシルバースプーン様は、さらに↑のように言及されています。
「自分だけキレイに咲こう」というセコイ欲望をどんどん肥大化させ世界中に世界にたった一つの花だらけにすれば、それはすなわち他者を思いやる花で満ちあふれるということだと述べられているんじゃないでしょうか?
比べない→多様性の承認→共有→利他性....に繋がっていくのでは。
>そんなことはない、誰にも必ず取り柄はある。
>それを見つけて信じ切るまでに至るのには努力が必要だけど、
>それが確立できたら人にも思いやりがもてる。
>ということを書いてるつもりなんだけど。
「これといった取り柄がない、と思い込んでる人」は思いやりがないってこと?
そんなことないでしょう。
自分は天才だって思っている人で、思いやりがなく、傲慢不遜な人もいるでしょう。






























