充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
未来さん
>問題は、大学の入学制度だと考えが至ったのですが。
マクロではそうなんでしょうね。
でも,ミクロ(例えば,我が家の場合)を議論に持ち込むと,
マクロ立場とミクロ立場,
それぞれが真なのに,
矛盾が生まれる。
猫実験と似ています。
老眼さん
>マクロ立場とミクロ立場,
それぞれが真なのに,
矛盾が生まれる。
たとえば、マクロが大学入試制度で
ミクロが小学校の改革であるなら
矛盾は生まれないと思うのですけど。(私にはですが)
違っていますか?
子供が引きこもりになったらどうするか?
まず前兆があるでしょうから(朝起きてこない。学校をずる休みする。表情に明るさがない。目に力がない・・・・・・。)それを見つけたら妻に「あいつは最近元気がないがどうした?」と聞くでしょうね。
しばらく観察して何かに怯えているようならそれを聞き出します。例えば学校で何らかのトラブルがあるとかいじめにあっているとかとなれば解決策を考えます。
成績やら友人関係やらクラブのごたごたなどなら自分で解決するヒントぐらいは言うでしょうが基本は聞き役で終わりそうですね。
説明のつかない離人症のような症状が現れているなら病院に連れて行くでしょう。メンタルクリニックか精神科ですね。反応性欝なら様子をもっと長く見るかもしれません。
カウンセラーとか心理療法とかはおそらく頼らないでしょうね。学生時代鬱になったときに精神科の本を読み漁りましたが・・・・どうもよく分からなくて・・・・・・ドイツ学派と英米派とで学説が分かれていたり・・・・疾患概念もずれがあるようで。
フロイトなども何だか納得できないところが沢山あって。もちろん原文を読んだわけではないので訳が悪いのかもしれませんが。
長い時間下宿でただ万年床で苦悶していましたが・・・・・ある夕方とてもきれいに茜色に染まった遠くの山々を見たら・・・・・とてもさっぱり湯上りの気分のようになって「もう一度やり直そう」というエネルギーが入ってきたんですよ。
そのとき分かったのは何かを始めてみようということ。自分が動いて何か小さな変化でも外界に起きる。そんなことでも自分が生きている意味はあるんだと・・・・突然ありありと体全体で分かったんです。
自分の存在する意味に悩んで「いったい俺は何のために生まれてきたのか?」なんて煩悶していたのがす~と霧が晴れるように解消していったのです。
そして・・・・学生仲間と作った同人誌に最初に投稿したのがエッセイとも激励文ともつかない「うつ病対策のために」。 これが結構欝気味の人に役に立ったらしくて同人誌としては数度の増刷となりました。
信頼感さんにお尋ねしたいのはフロイト、ユングの精神分析、精神力動論、心理学・・・・内観療法、森田療法など沢山の文献、方法などがありますが貴方には誰の理論がしっくりきますか?
私はこっち方面の専門家ではありませんが・・・・何だか各流派が自説を唱えるのは・・・・神学論争のような感じがしましてね。 一時本気で読みましたが結局この方面からは撤退してもっとコンクリートなことをやろうと思ったのです。
物理や数学に近いところをね。ですから地域、時代さんの呼びかけにもお答えしませんでした。今の私にとって精神医学の書は鴨が眼前に繰り広げる自然の営みにくらべ遥かに軽いものなのです。
そういうわけで人生の意味は何か?生きる目的は何か?という青年期特有の問題はあるときを境にして解決がつきました。ですので信頼感さんには申し訳ありませんが私はこの件についてこれ以上話すことはありません。
ただ、精神疾患患者に偏見はもっていないことだけはご理解願いたいと思います。身近に分裂病者(今は統合失調症)もいましたし癲癇発作を起こす近親者を病院に何回も連れて行きましたので・・・・・・・・。
動機さんのおっしゃる他人任せな?子どもがいるとしても、
なぜ少数派の中学受験者の問題になるのかはわかりません。
社会に現れるくらい影響があることなら、全体を見る必要があると思いますが?
悩みながら自分で考え自分で解決することは多かれ少なかれ誰でもやっていることで
そのレベルや質を比べることなどできません。誰が一番ということもないですし。
完全解決とはいかなくても、人から見て不足でも、本人が納得して次のステップに進めればいいのでは?
自分で解決、納得できることならまだいいのです。
不登校や引きこもりといった問題は個人差はありますが、なかなか解決できない部類に入るのではと思います。
それを見て、自分で解決できないかのように言うのはどうなんでしょう。
みんなが足並みそろえて、同じ時期に同じ程度にできるようになるものでもありません。
動機さんがいつもお手本にしようとする時代には、人々は社会の期待に添うようにして
がむしゃらに頑張って競争し、疲弊していたという一面もあります。
自分本位でなく、企業戦士となってがんばりすぎることの弊害もあったと思います。
国の予算を贅沢に使ったしわ寄せが今にきている事を考えれば、
当時だって先を見通せるりっぱな人々ばかりではなかったと思います。
社会の背景、流れからして、今の若者の多くが、あまり無理せず手堅くいこうとするのは当然と言えば当然です。
(競争の部分を弱めたゆとり教育の影響もある?)
生活できるかできないかで不安を抱えている若者に、多少失敗してもなんとかなった
親世代の若いころの価値観でものを言うのは酷だと思います。
私としては、どの学校からでもいいから、より多くの子がそれぞれの持っている才能、適性を生かして
パイオニアにでもフロンティアにでもなってくれることを願っています。






























