アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
このスレ進みが速いから、斜め読みしていると、
私もよくやるけど、わからなくなること、取り違えることもちらほら。
もちろん価値観は人によって違っていていいんだけど。
別に、一般的な意味での特定の階層と(回りくどい表現ですがお察しを)と
隔絶すると読まされる話じゃないんだし、恥ずかしいとは思えないけど。
それとスポーツ入社の人の話は、企業人さんの場合、親心みたいなものですよ。
奥様は、スポーツの実業団かなにかにいらした経歴をお持ちだったはず。
ま、企業人さんは、気にしなくて大丈夫~。
今日、三丁目の夕日の新作見てきました。
あらすじは公式HPなど参考いただくことにして。
とにかく泣けてしまいました。年なのか涙もろくて、最近ほんとに泣き虫なんですよ。
営業妨害はあまりしたくないので少々
ゴム飛行機・・・宝物でした。
小学校4年生の時、初めて見た東京、・・・私にとって外国でした。
東京タワーから見た東京・・・広かった、高層ビルは霞が関ビルのみだった。
東京オリンピック・・・東洋の魔女より、円谷より、神永がヘーシンクに抑え込みされて完敗
したことのショックが今でも尾を引いています。
>受験というのは、学力の絶対値を上げるものではなく、競争試験、ゼロサムゲームだから、受験に教育費(公費、私費ともに)をかける社会的な意味って、なんなんだろう・・ときどき、疑問に感じるのですね。 受験に教育費(公費、私費)をかけようと、かけまいと、毎年、東大3000名、京大2500名の合格者は生まれるわけで、そこで習得された受験技術が、そんなにお金をかけるほど、社会的に値打ちがあるものなのか・・(無常感さん)
習得するものが受験技術ならば、社会的価値は期待できませんね。
学力の絶対値を上げる指導なら巡り巡って社会性も期待出来ますが、
受験教育にはそれは無いという前提のご意見でしょうから。
この前提がある限り、結論が変わることはないと思うのですが、
受験という出来事が学力の絶対値を上げるものではない、しかしその一方で、受験までの過程としての学習は、授ける側と受ける側双方の考え方次第で、自学の場合と型は異なっても、学力の絶対値を上げる場面を沢山見いだせるように思えます。
次の文は離陸さんのものですが、無常感さんの疑問に繋がりがあるように感じております。
>このスレでは、親が、本物の勉強とは何か、どういう時期にどういう教材・機会を利用して勉強するかを、子供の成長期間を通じて全体的に、各時期では具体的に考え、そして子供が実際に実行して人格的学習面でも高い効果を得て成長することに、ひとつの意義があると、私は思っています。塾や中受は、それ自体は道徳、倫理的には悪ではなく、問題は利用する人のあり方の方にあるのでしょう。 部活や好きなことをやりぬく経験も賛成です。これも子供がそこで何を得るかでしょう。満足感や充足感を得れば、そこからの学びはあるはずです。 日本は、本当に教育・学習機会や教材を得る点では恵まれていますよ。選択により生じる差、飽食と同様に適度な量を超えて無理してやり過ぎる試験勉強による弊害に問題があるわけです。制度がそこにある以上、個人でうまく対応するしかないと思っていましたが、最近のカリキュラム見直しや大学悪入学のような制度上の見直しは、多くの効果が期待出来るので、長短所を見極めて、プラスの面を活かしてもらいたいものです。 (離陸さん)
再度、きっちり、考え方を述べておきます。
私が、全力で脱出したコミュニティは、反社会勢力、風俗、賭博、地上げ、闇金融と暴力が支配する世界でした。
人権啓発研修などで話題になる方々とはなんの関係もありません。
私が、そういうコミュニティに漬かったまま、内部から改革するなり巻かれるなりするべきだった、ということだったかも知れないし、うまくいけば格好良かったかもしれないけれど、とてもそういうふうには出来ませんでした。
そういう種類のひととつきあうかによって、人生は変わって来ます。
あらゆる能力の、あらゆる志向の人とつきあっていくべき、というお考えも理解できますが、私は、そういう考え方はできない、ということです。
企業スポーツについて。
親心というより、落下傘のように企業スポーツあがりの人たちを部下に持って、彼らのあまりの精神的シュリンクぶりにショックを受けたことから話ははじまっています。私は、彼らに、スポーツ以外で達成感を持ってもらいたくて、頑張りました。うまくいった人もいたし、いかなかった人も居た、ということです。
私の引き継いだ部隊の周辺のみ、と信じたいが、スポーツを引退して退職しないんだから飼殺しにすればいい、という考えの幹部が居たのも事実。
老眼さん
ご意見承りますので、何を問題視されているか、はっきり書いていただけますか。
ご返事は明日の夜以降になるかも知れませんがご容赦ください。
老眼さん
あれ、想定外のところから突込みが。
そもそもこの話は、企業人さんが好きで書いたのではなくて、
視点さんの求めに応じて、極めて個人的な経験とそれにまつわる心情を、
わざわざ書いてくれたものですし…。
仮に、本当に仮に、今の時代に老眼さんが子供だとする。
老眼さんの親が事業に失敗して、生活保護世帯などが多数住む公営住宅に入居した。
そこの自治会長さんがうるさくて、また住民のいざこざを避けるためか均一化を目指し、
普段の生活はもちろん、自分の進学先など将来に関わる選択にも口を出し、強制しようとする。
そしてそこに住む子供たちには、勉強をして社会のためになる何かを成し遂げると言う発想がない。
なぜならば、親は全く働かなくても、
生きていくだけなら困らない家庭ばかりだったからかもしれない。
で、老眼さんは勉強は学校で1番なのだけど、
能力に合った学校ではなく、皆と同じレベルの学校に行くよう地域のボスに言われる。
なんだかっていうか、完全に理不尽。
もちろん子供ゆえに、上っ面だけでも調子よく機用に立ち回ることできない。
手土産持って、根回しなんて発想も余裕も当然ない。
ムラになじめない老眼さんは、存在そのものが生意気に感じられたのか、
ほぼ毎日のように近所の子供達にいじめられる。
それはそれは体を傷つけられるほど壮絶に…。
仮に、そんな生活を何年も強いられていたとして、そこから出たいと思って何が悪いの?
お金がない家庭の子供がその境遇から抜け出すためにできるのは、何かを成すこと。
頭のよい子供なら勉強すること。そして学歴をつけることだと思うけど。
で、それをするには、コミュニティから隔絶する決意がないと無理だった、って話なわけで。
それとも私の言っていること、ピントずれてます?
わかるように説明、お願いします。
部活の過剰な(と私には思える)称賛に反対する理由はここにあります。
どこで引くか、どこまでやるか、その後の人生をどうするか、考えてほしい、というのが、私からのメッセージです。
私は、音楽について、自分の中に、揺るぎない線引きを持っていますが、ちょと、音楽寄りの線だったかと思わないではない、ということは、以前、書きました。
妻は、実業団とはまったく無関係の国家資格を取得して、いわゆる「バリキャリ」をやっていますが、古傷はいかんともしがたい。かわいそうだけれど、一生付き合っていくしかないようです、






























