充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
さくらさん、
訂正版です。
(ATOKの辞書も使ってはいますが漢字変換は思うに任せず苦労しています。
読みにくくてすみませんでした。)
・・・わかります。そういう部分が見つかれば、塾や予備校も、○○とはさみのように、結局のところ、使いよう。
高校生には、そんなところを見つけられるかというのが正直なところ。
それ以上の判断は、人生で喧々したことで考えられる「大人のもの」ですよね。
言いたいことは、
肯定的な面:
*塾・予備校を目のかたきにしても、One of Themの学びなので、たかが・・&されど・・・というお話。
*塾でまなぶ「学び」が100%、本当の学びでないものだ、とは言い切れない。
*塾・予備校でも、講師・友人と出会いがあって、人の「キャラ」に影響受けることあり。
(塾・予備校の友人も一生の友達になったりもする。)
否定的な面:
*ほんとうは大して効果があるわけではない。・・難しい国立大学(覗く医学部?)ほど、受験を乗り越える上で
決定的なことは、自分に向き合って考え続けること。そしてそれが最も「効率」で勝る。
*通うことで勉強した気になることが落とし穴。
*金のむだである可能性もあること。
なんてことかも。
わたしが影響を受けたのは、自転車で5分ほどの町の塾で、東大の文学部卒業(就職大変だから開業された由)
の若い先生でした。「哲学入門」とか、さまざまな本を教えてくれました。クラシックは渡しの方が詳しかったですが、
ヤナーチェックなどは、高校の頃、たしか、その先生から教えて貰いました。
「街場の塾の良い先生」というのは、案外重要な所かもしれません。
<さくらさんWrote>
量的さん
確かに、予備校や塾というのって必要ない環境もありますね。 量的さんのご家庭のように。
大学の予備校的なSEGとかメプロなどは、 よき仲間や、その教科をさらに面白くする魅力のある 授業があることに開眼しました。
確か、私の記憶では量的さんも塾の先生との出会いがあったような。。
記憶ちがいでしょうか?
先生の人間性というのも出会いのひとつですね。
よき出会いの場所であるかもしれないのかなと思っています。
またまた、週末仕事でヘロヘロ。
今日は昼寝で爆睡しちゃいそうです(涙)。
音楽の事は深くわからないので、北斎に関して。
なので、私の分野からの目線で(笑)。
私は浮世絵=ポップカルチャーとして捉えています。
今で言えば、漫画、ポスターみたいな感じ。
社会の先生でも江戸文化に詳しい先生ならば、ザックリと学校の授業でもここら辺りには触れて下さると思います。
大量生産、庶民文化。
だから、絵の事を知らなくてもパーーンと単純に「面白い」と感じる事が出来る。
ドガなどを見て「面白い」と思う人は少ないかと。
普通は「これは僕(私)には描けない。素晴らしい~!」と感じるのが一般的かと。。。
しかし浮世絵はそれとは真逆。
「俺(私)にも描けそうよね」って、多くの方が思う事が出来ると思います。
そして、「日本的か?」と言われれば、日本的な独特な「文化」であると思いますが、私は、中国文化の影響を大きく受けた雅でもわびさびでもない日本本来の文化では「ナイ」と思っております。
なので、浮世絵が西洋人に好まれるのはここではないかな??と。
単純明快、オリエンタル文化に造詣が深くなくとも「エエやん、この絵」って単純に思う事が出来る。
「これはこうだからこうなる」は、芸術とは真反対の世界だと私は思いながら生きてきています。
もちろん、生み出す側は基礎的、根本的な事は「知っていなければいけない事もある。」
しかし「また、知らない方が良い時もある。」そのほうが素晴らしい表現が出来る可能性もある、、と。
なので、高名な分野の大家が若者の表現に完敗、と本気で思う事がある。
また、今の段階での表現は稚拙であるが、この若者は「伸びる」と判断する事が出来る。かと。
それを、素直に認める事が出来るのか出来ないのか、は、個人の問題。その人間の心の余裕の問題。自分と若者の相性の問題、と、色々複合的にからみあってくる。
なので、1+1=2 にはならないのではないか、、と。
また、表現する側は高評価を求めたり、流行りの技法やテクニックなどを多用し「僕(私)は、こんな表現が出来るんですよ」的なスケベ心を出したとしても、己より上の表現力を持っているものには「見抜かれる」。
また、全てを忠実に再現しているような絵画は、極端な言い方をすれば、時間を描けて描く必要などなく、「写真で十分。」なのですから。(もちろん、芸術系のカメラマンが撮る写真とは、全く別の意味の写真です。)
芸術というものが人の心を動かすとすれば、「強烈な表現者側の’不得手’」(実は、表現側は本来、100%表現したいのだが、それが 不得意 )から生まれてくるのではないか?
と近頃私は思う事があります。
「ああ、、私はAに関しては、ものすごい能力があるな、でも、Bに関しては、ダメだ。。」と。
しかし、面白い事に私の表現の個性は、私が「ダメだ」と感じている「ズレ」の部分から生まれていたりする。
(もちろん、非常に高い高い専門的な分野での話です)
もちろん、受けては「エエもんはエエ」「自分がエエと感じたら、それが全て」なんですよ。
私はこの「シンプルな受け手の心の動き」こそ、芸術本来のあり方なんじゃないかな~。と思っています。
色々深くふか~く、考えてしまえば、表現する側は「どうでもエエわ!」みたいな感じになってくる。
私だけか??(笑)
ですので、最終的には「自分と向き合い、語り合う事しかなかった」と、思います。
なのでね、、あまりに己と向き合い過ぎると、己を壊してしまうほど追いつめられる事もある(あった、経験談(笑))、かな。と思います。
・・・「日本的か」のお題で、ひとつ言えそうなのは、ドビュッシーなどの理解した、「日本」は、ジャポニズム、というもの。ですので、われわれ日本人が思っている「日本的」とは当然、感覚的にも違うのかもしれないと思いますね。
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ですので、量的様がおっしゃるこの部分に、私は深く同意いたします。
>>将来日本を牽引すべき人が、平均化教育によって、能力を十分に伸ばす機会を奪われているように思えてならないのです。
>平均化教育って何?
>どういう教育がいいの?
企業人さんこれに答えて欲しかったのだけど。
どういう教育制度がいいと考えておられるのか・・・。
>単にその頃にいた本庶研の灘出身者が今ひとつだった、なんてオチなんじゃないの?
そうなのかな。
灘については、関西の私立の中でも、東大集中、理Ⅲ集中、医学部集中、鉄緑等の塾集中という特性がありますよね。
他の学校とレベルの差というより志向の差。
この差はどこから来てるのですか?
関西の事情に詳しい方教えて下さいな。






























