充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
さくら様
塾って他校の雰囲気を知るのに役立ちますよね。
今の若者は親が十分金を持ってる人が多く、勉強も遊びも良くするので羨ましいですね。しかし未来への不安感は大きい様なので、その点は私達の時代の方が良かったのかもしれませんが。
■「レッテル貼」の必要な部分について・・
量的さんのコメント
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わたし自身は、「レッテル貼」ということばには、「・・本来そのように括って議論してもしかたのないようなことや、センセーショナル・感情的に対照群を括り名付けること」と言い、内容を議論しようとして、言葉を選んで付けて行って、議論を進めることを「言語化、言葉による論点の切り出し」というものの、実はこの問いは重い。
なぜなら、言葉による切り出しとは、「レッテル貼」に極めて近いことを本質的にしつつあり、言葉で纏めた瞬間、内容の深い理解はたしょうなり犠牲になるように思われる上、言葉で語ったことがまた影響を及ぼすという具合だからです。
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その通りですね。
議論する場合は、言葉による切り出しは、丁寧な方がいい。
議論するような、複雑なことに関しての、レッテル貼りは、たいがい悪い場合が多いです
でも・・議論する上で、レッテル貼りが、大事な部分ってあります。
単純な・「単語のレベル」なら・・(ある意味・・国語の問題ですけど)
『言葉』の1つ1つは、けっこう「厳格にイメージのレッテル貼り」をします。
(文章になると、関係性があるので、どうしても、弱まっていきますが。)
基本は厳格な方がいい。それが、「ゆるい」と、話にならないからです。
「りんご」は「りんご」をイメージしなくてはいけない。「レモン」をイメージされてはいけないわけです。
ところが、「りんご」を相手が「りんご」と受け取ると・・いや、あれは実は「レモン」となると・・困るわけです。
それが、補足的に、青森のリンゴであるとか、信州のリンゴであるとか・・ならまだしも。
例えば・・違和感があってのは(※ちょっと前の・・採用担当者さんと無常感さんの話でしたが・・)
①私の時は違うが、あなたの時代では○○は、「当たり前」だったのでしょう。
この「当たり前」は・・・当然・・普通のこと・・ですね。
で、自分の時代は、当たり前ではない・・・当然でない・・・普通でもない。
と言っているわけです。○○の『ある』『なし』に近い話です。
「りんご」を「りんご」と理解してして、普通に・・①に対して、返答するわけです。
②「私の時代も、そうではない」
と・・でもこの返答に・・
③「誤解である・・・程度の問題・・・比較感だ・・」
という。なんとも、あいまいな・・いいわけがくる。
私は、なんだ??これは・・と、思いましたね。
「当たり前」・・「当たり前でない」という言葉は・・
『それが、当然に存在するか・・しないかを強調している』言葉です・・・
それを・・『比較する場合、程度の問題にする場合に使う』言葉だというのでしょうか。
相手は唖然としますね。
「りんご」が「レモン」になってしまう。感覚・・・・
比較感を相手にイメージさせたいなら・・「当たり前」という、言葉は使わないもんです。
さて・・
この場合・・・どう、考えればいいのでしょうか??
A:この人は、言葉の使う「能力」が、あまりに低いのか・・つまり、どの言葉が、相手がどうイメージされるのか知らないのか・・
それとも・・
B:この人は、詭弁的、いいわけしているのか・・とぼけているのか・・
まあ、どっちにせよ・・まともに・・議論ができなくなるわけです。
先に進まないですからね・・・(相手の、言葉を、丸のみする以外は・・)
まあ、「一般の人」が受ける、その言葉、文章から受ける「イメージ」を
『言った本人』が、否定してしまう。違うという。そう受けとることが、オカシという・・・これを・・何度もするのであれば・・
「りんご」が「レモン」という人・・と議論しても・・となるわけです。
単語レベルでこれですから、文章なら・・いかようにも・・です。
誰も、「趣味」(*)の話なんてしていなかったような気がします。
”学び”に必要な広がり深さ、が皆さんの芸術、とくに音楽や絵画などの例で語られたと理解しています。
(*) 企業人さんさんが語る少年時代の周囲の話と、国立の学びの話、源氏物語、ドビュッシー・ベートーベンの話、皆さんが展開されたマーラーの話、どれもこれも滅多に聞けない話。適性さんの「落語」の話、地域・時代さんの「絵画」の話、趣味の話でしょうか??
「私学」の補助金などは。中高生の教育の本質の議論からは遠い議論に感じられるので、それがなくなってよかったと思っています。
他の方は知りませんが、量的について言えば、
わたしは基本的に”無趣味な”人間です。・・・人と飲んだり、スポーツしたりという遊びは好きですが、音楽・絵画の趣味はないですし。
>なんだか、この1週間、話題が随分個人的趣味にふれていますよね。
僭越ですが、方向を少しスレタイに戻させていただきます。
さくらさん、ふうさん
>私は、塾というところに入ってみるもんだと思っているんですね。
だから、本当は公立生みんなに経験してもらいたくらい。(さくらさん)
>塾って他校の雰囲気を知るのに役立ちますよね。
・・その点は私達の時代の方が良かったのかもしれませんが。 (ふうさん)
ふうさんも同世代だったのですね。
覚えておられるかどうか分かりませんが、①われわれの頃の塾 と ②現代の塾・・① と ② では
概念が違うと思うのですね。
われわれの時代は、オーナーが主婦、サラリーマン、他業種店主、
受ける子どもも地元小中学生、教えるのはアルバイト学生・・いわゆる補習塾だったと思います。
塾に行かない子どもも、たくさいいましたね。
入江塾なんて、ホントに特殊中に特殊なところで(いまでは、こんな塾が有ってもおかしくないの
かもしれませんが)・・だから、マスコミは書きたてたわけですね(どちらかというとネガティブに)。
一方、たとえば採用担当さんの時代・・団塊ジュニアが利用した時代(80年代後半~90年代前半)
には塾業界はすでにチェーン化が進んでいて、経営形態は ② の領域に入っています。
このヘンの変化は、経験していないと分かりにくいでしょうか・・・
世相も変わりましたね。
われわれの頃は、塾は・・言い方は悪いですが、日の当らない業界でした。
塾業界が、マスコミ、行政から厳しく批判、監視された時代です。
それが・・
90年代に「塾経営コンサルタント」と称する集団が、「ニュービジネス」だとして台頭してきたわけですね。
行政も97年あたりから緩和の態度を示し、共存関係を模索するようになりました。
いまや、情報産業として、塾は有用な「道具」なのでしょう。
利用できるものは、利用すればいいわけですね・・・ただし、当然、主体性を失わない範囲でですね。
適性さん、
同感です。
ことばの「レッテル貼」は、巧みな人は、なるべく気づきにくいような文脈で、忍び込んでくる、ということがありますね。つまりその議論の構造を見ると、「言葉」を使ったことが、巧妙な罠だということに言葉に鋭敏な感覚が少ない人は見過ごすようなところに注目点を持ってくるが、実は、無意識にすり込まれるような、言葉を使ってくる。
① 「受験私学は・・」とかのことばでは、進学実績のある私学では、あたかもまともな教育がされていないような印象を振りまくことば。
② 公立はというレッテルの貼り方に、のびのびすくすく という形容詞が読者に無意識にあたえられるような提示の議論を定期的に繰り
返し行う。・・・よく政治的に活動家です、というような方々が使いがちな手法にも通じるもの。
③ 東大・京大・・・・繰り返し連呼されると、「待てよ」 と警戒を要する言葉。・・・東大と京大が同じレベルなのは、一部の理学
部、工学部、文学部関係で、その他は、違うのに同じランクかのような、トーン
どれも、注意深くみる人にとっては、極めて危険で要注意のことばです。熱くなって議論していると、知らず知らず、引き込まれてしまう。注意深く見ていると、悪意をもって(=わざと)そういうテクニックを駆使しているのではないかということが強く疑われることが
あると思って読んでいます。
ですので、適性さんのように、国語力が突出している(=掲示版のスレの書かれたもので見ているだけで、失礼かもしれませんが)方、あるいは経験値の高い方、例えば、動機さん、採用担当さん、などには、瞬時に判ることなのだろうかと思います。
一般に受けるイメージを否定するのは、鋭く突っ込まれたときの「逃げ口上」。わざとやっていることがさらされないようにする手口で、マニュアルどおり、という可能性もあります。「その意味で言ったのではない」と口では否定するのはテクニックです。内容を見れば、その意味であることが明白ですが、その部分は「読解」なのでしらをきる、などという、定型化された古典的なテクニックです。感情的にならないように、皆で注意して上手に遠巻きにして見て行くしかないかと思います。
<適性さんWrote>
まあ、どっちにせよ・・まともに・・議論ができなくなるわけです。 先に進まないですからね・・・(相手の、言葉を、丸のみする以外は・・)
まあ、「一般の人」が受ける、その言葉、文章から受ける「イメージ」を 『言った本人』が、否定してしまう。違うという。そう受けとることが、オカシという・・・これを・・何度もするのであれば・・ 「りんご」が「レモン」という人・・と議論しても・・となるわけです。 単語レベルでこれですから、文章なら・・いかようにも・・です。
量的さん
>他の方は知りませんが、量的について言えば、
わたしは基本的に”無趣味な”人間です。・・・人と飲んだり、スポーツしたりという遊びは好きですが、音楽・絵画の趣味はないですし。
ごめんなさい。
誰かに対して言ったわけではなくて、
全体の流れがスレタイから、かなり、それているように思っただけで・・
大変、失礼しました。
無常感さん
、
了解です。結構です。
なお、下記の特定の議論ではない部分も併せてご了解なさったと理解しました。(こちらが主ですので。)
→ 「”学び”に必要な広がり深さ、が皆さんの芸術、とくに音楽や絵画などの例で語られたと理解しています。 」
>ごめんなさい。 誰かに対して言ったわけではなくて、
全体の流れがスレタイから、かなり、それているように思っただけで・・
量的さん
>なお、下記の特定の議論ではない部分も併せてご了解なさったと理解しました。(こちらが主ですので。)
> → 「”学び”に必要な広がり深さ、が皆さんの芸術、とくに音楽や絵画などの例で語られたと理解しています。 」
結構です・・了解しました。
あと、量的さんの
>一般に受けるイメージを否定するのは、鋭く突っ込まれたときの「逃げ口上」。わざとやっていることがさらされないようにする手口で、マニュアルどおり、という可能性もあります。「その意味で言ったのではない」と口では否定するのはテクニックです。内容を見れば、その意味であることが明白ですが、その部分は「読解」なのでしらをきる、などという、定型化された古典的なテクニックです。感情的にならないように、皆で注意して上手に遠巻きにして見て行くしかないかと思います。
・・・このレスに関してですが、これは誤解というしかない。
徹底的に議論しても別に構わないのですが、
そうすれば、この掲示板は荒れます・・それは、私の本意ではないということです。
相手の性格を考えて荒れないようにサラっと、書くときもあります・・
それを・・量的さんが、『鋭く突っ込まれたときの「逃げ口上」』と理解されるのなら、
仕方ありませんけどね。
冷静に、論理的に議論出来る人が、とても少ないのですね。(反対意見に感情的になりやすい。)
また、2者間で有効な文脈に、関係無い第三者が割り込んでくることもありますよね。
そうなると、収拾がとれなくなります。
量的さんと2人でやるのなら、私としては議論しても構いませんよ。






























