充実した教育環境の日大付属高校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
>これが個人的バリューにとどまることなく(離陸さんがお考えのように)、
>将来的に人のため世のためにもなるのであれば、
>公金をどんどん注ぐことは良いことだと思います。
財源は限られているのだから、底上げが優先ですね。
公立での公教育の充実にまずあてる。
それでもなお財源が余るのであれば、アファーマティブアクションとして、公立で塾に行けない層の塾費用にあてる。
それが先ということでしょう。
機会の平等を実現し、どの子供にもチャンスを与えるべきですからね。
量的様
ありがとうございます。
正直、今朝パソコンを開いて「趣味の話が続いてる~」と無常感様に書かれた時、「はあ??私は自分の仕事の事、そこから発展した話を書いたつもりなんだけど。。。それから広がりを持たせて書いているつもりなんだけど。。」と強烈に反発しました。
世の中には色んな仕事がありますよね。
企業と言う中で日々、切磋琢磨しておられる量的様に、「世の中には色々な仕事があるんだ。これは趣味の話なのですか?」と、疑問を投げかけて貰えた事、とても嬉しく思っております。
>今日観たTV番組「カーネーション、コシノヒロコ母を語る」
>そしてコロンビア大学白熱教室選では、人生を決める偶然(=環境)
>における「選択」の大切さを雄弁に語っていました。
番組は観ていないのですが、遡ること約30年前の同時期にいわれた言葉。
父「とにかく、コンビューターのソフト開発のスキルを身につけなさい。
女性であっても、確実に重宝されるから」
伯母「将来、どんな自分でありたいか。どんな人生を歩みたいのか。
なんとなくでいいからイメージしておくといいわよ。そうすればね、
分かれ道にきたときに、自然と近づくほうを選ぶようになる。そして
そのうち、勝手にね、貴女がイメージした通りの自分になれるわ」
どちらがいまの私に役立ったか。それは言うまでもありません。
もともと父のいうことを、素直に聞く子じゃなかったというものあるけれど…
>財源は限られているのだから、底上げが優先ですね。 公立での公教育の充実にまずあてる。 それでもなお財源が余るのであれば、アファーマティブアクションとして、公立で塾に行けない層の塾費用にあてる。 それが先ということでしょう。 機会の平等を実現し、どの子供にもチャンスを与えるべきですからね。
現状の枠組みで言えば御尤もだと思いますが、その現状の枠組みではたして良いのか?といこともあるかと思います。
もう一つの見方は、大、高、中、小、園、どこからなのか・・、というのもあるかと思います。
すべて同時に早急に潤沢に、と思いますけれど。
いち日に一億かかる国会で、
建設的な議論なく、加えて、国会中にもかかわらず次期選挙のために有権者挨拶をしてまわる一年生議員・・、
失礼しました。話が逸れてしまいました。
>しかし、私自身が人生の「これは、、」というエッジを切った時、そこにあったのは「自分の意思」しかなかった。
自分の意思でスタートそしてダッシュ、
自分も満足さらに人も満足することに繋がる、
ひとりひとりがそう在れば素晴らしいことだと思います。
スタートを切りたいと思ったときにそれができること、
想いのままのダッシュもできる環境にあること、
それらを含めての、機会の均等が必要な気がします。
>「見ず知らずの子供達をあーだこうだ言うな!」という事
他人さまを含めて、子供たち、を大事に思う気持ちがそもそも無ければ、
あーだこうだと言うことことすらない、ように思えます。
共通するものを探してみると、互いに、子供を大事に思う気持ち、そんな気がします。
どれほど正しく在ろうとしても、正負の評価を受ける機会をさけることはできない、それは互いに、と思います。
そのことを前提にいたしますと、目に留まる批判的文字が、自分の子供に当てはまるものであるとしても、
それを書いた人の子供たちを思う気持ちが大きいものとわかっていれば、
「我以外皆我師」(視点さん)として、受け止めることができるような気がしております。
なんとかしましょうよ、と本気で向かわねばならない相手は、そとにある。
気のせいでしょうか。
>財源は限られているのだから、底上げが優先ですね。 公立での公教育の充実にまずあてる。 それでもなお財源が余るのであれば、アファーマティブアクションとして、公立で塾に行けない層の塾費用にあてる。 それが先ということでしょう。 機会の平等を実現し、どの子供にもチャンスを与えるべきですからね。
公教育の充実をはかることには賛成ですが、塾に公費を投入するのは私学助成以上に問題でしょう。
それより、公費で旺文社の「ラジオ講座」を復活してほしいです。もちろんテーマ曲は「大学祝典序曲」のままで。
なんとかしましょうよ、と本気で向かわねばならない相手は、そとにある。
気のせいでしょうか。
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老眼様
気のせいでもなんでもないでしょう。
本気で向き合わなければならない相手は外にあるでしょう。
私はやっておりますよ、自分(自分達)の出来る範囲で。
継続し続けておりますよ。






























