アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
動機様
そうか・・・・・・・事件当時25才の人が今は42才なんですね。
↑
そう。
たぶんここにいらっしゃる方皆が若者だった世代だったかと。
半分ほど読みましたが現実の社会にうまく同調できずに現世で生きる意味なり楽しさを見いだせなかった人がほとんどのようです。
↑
私ね、あのNHKの特集で「エリート集団」って何度も言われていた事にすごく違和感を感じるんですよ。
ですので、深く同意です。
公立一貫様 動機様
確かにな~。。。。
私も基本主義主張はきっぱり言う方なんで、大人になるにつれ「ここで言ってはいけないだろう」みたいな事は大人になるにつれ増えましたね。
本音と建前とは、またちょっと違った部分、かな?
なんというの?
自分を曲げた方が上手くいく。→ならば、ここは引いておこう。みたいな?
世渡り、処世術が身についてしまったのか、また、でも、ある程度これが出来ないと自分のやりたい事がまっとう出来ないからな~、、、みたいな。
以前、高校生親様がお薦めして下さっていた本の中でこの事が書いてあったんだけど、私にはチト難しくて、、涙。
自分の思った事を思った通りに発言し、実行するのは、「そりゃ、我儘だろ、子供だろ」と思う反面。
そういった部分を大切にしていたい自分もいる。
難しいですね~。
つい最近、うちの子に強烈な事を言われました。
「お母さん、今お母さんが言った事は 親として言っておこう。と思って言ってる台詞だよね。本心は違うんじゃねえ?」って。
まあ、高校生ともなれば半分大人が入ってきてるからなんだろうけど、ビックリしました。
皆様のお話、頷きながら読ませていただいてます。
宗教について考え続けています。
若いころ、とんがっていた人間が、歳をとって、居直り、世渡りがうまくなり、処世術を身につけ、諦めて、丸くなる・・・。
経験して、失敗を重ねて、悩んで、疲れて、工夫して、たまにうまくいって、そうなっていくんですよね。
でも、若いころの思いは、心のどこかに引っかかって残っている。
宗教もそのような気がします。
今、「既存のまともな宗教」(←自己レス)とされているものも、草創期にはとんでもない集団だったでしょうね。迫害されてますし。「カルト」だったのかもしれない。
宗教は独善的で排他的で危険な一面、狂信につながる一面を最初から内包していますね。
ただし、世界宗教へと発展していった宗教は、他への共感、受容、寛容や博愛といった母性的な内容も同時に内包し、むしろこちらのほうを後天的に育て、変容しながら多くの人に受け入れられてきたのではないかと思います。
だけど、ときどき先祖がえりのように原理主義的な集団が表れて、戦争やテロを引き起こします。
これは、宿命みたいなものなのでしょうか。
>現実の社会にうまく同調できずに現世で生きる意味なり楽しさを見いだせなかった人がほとんどのようです。(動機が大事だよね様)
私もオウム世代です。うまく現実に同調できなかったし、生きる意味なんて分からなかったし、いつも100パーセント楽しいわけでもなかった。
私も一歩間違えばオウムだったかもしれません。
…いや、基本いいかげんなやつだったから、ならなかったかな?
若いって、危ういですね。純粋だけど、弱い人。優秀だけど、むなしい人。
世の中を、穢れきったものととらえて全否定すると、オウムになってしまう。
彼らは、うまくおじさんおばさんになれなかった人なのかも。
少なくともおばさんになった私には、この世も捨てたもんじゃないという、隙があるというか、ユルい視点を持った考え方のほうがなじみます。
難しいですね。考えるほどに。
本、届いたら読んで、また考えてみます。
本が届くまで・・・・ちょっと雑談を
池や水路から鴨が消えています。渡りが帰ったのは当然として留鳥のカルガモもほとんど姿を見ません。池が鯉や小魚だけというのは何だか淋しいものです。
当地は田植えの真っ最中なのでエサ取りに近くの田んぼに遠征しているのかもしれません。水が入るとミミズやタニシ、ドジョウなどが湧いて出るのでしょうか?
水路には親子連れがまだ現れません。孵化して動けるようになると水路まで降りてくるのですが・・・・・・・・。抱卵はひと月ほどかかるそうです。この親子が出てくると一気に水草も青々として水路は美しさを増します。
そう・・・・・歩いているとツバメが横切るようになりました。人間の営みと関係なしに季節は確実にめぐってきます。
昔々、20年くらい前に、当時メジャーだったパソ通の
占星術フォーラムのオフ会に参加したら、
およそ半数が理系の研究者、技術者、
約4分の1が文系の高学歴者って感じでした。
当時、プライベートでのパソコン普及率が低かったので、
それなりの方が多かったのでしょう。
私のようなギャル?系(当時は~)はごく少数でした。
自分達はどこから来たのか、宇宙とはなんなのか、黄金比率の神秘、
数列の美、生きることとは?なんてことを考えているうちに、
占星術にはまった人が集っていました。
マーケティング業界では、ニューサイエンスなんて
言葉が流行していましたし、
大きな本屋に行けば、精神世界あるいはスピリチュアルコーナーが拡大中。
サイババの奇跡?を自ら確認に行った人もいたりして。
私もアガスティアの葉を見に行こうかなと、
本気で調べたこともあったっけ(笑)
かの宗教に入って活動していた人たちは、
本来、とても純粋な方たちだったのでは、と思います。
小宇宙と大宇宙、生と宇宙の法則について、本気で考えていたのでしょう。
ただ、どこかで道を誤ってしまった。
崇める対象を間違えた。
加害者なのだけど、ある意味、
被害者でもあるのではと、考えてみたりもします。































