アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
高校生親さん
ずいぶん前ですが、私も、青いゾウの記憶を書きました(空色、と表現しました)。たぶん、ご実家と私の当時の社宅は近く、駅で、同じように、ゾウの汚いぬいぐるみから目をそむけていたように思います。
オウムでないカルト宗教にからめ取られた友人からは、私は、逃げました。オウムほど過激ではないにしても、甘い顔をすると、教団の集会場に連行、監禁されたりすることがわかっていたので。しかし、全く彼を救う努力をしなかったことには、ちょっと苦い思いがあります。
酒場であれ、オウムの若者を改心させようとするような人が集まっている、という雰囲気はうらやましいです。
企業人様
そうかも知れませんね!。駅までのバスの前を自転車に乗った青いゾウが練り歩くように走っていて腹が立った思い出もあります。
こんなこと書いていいのか分かりませんが、その酒場は今の一つ前の首相も常連だったんです。元オーケストラ奏者、ゴルフ場設計家、若手女性実業家、その後そこそこ名の売れた漫画家等、多士多才で気が付くといつも午前でしたね。前首相も少年オウム信者会心プロジェクトに参入して熱く語っていました。首相としては疑問符だったかもしれませんが、一政治家としては嫌いになれません...。
■地域、時代さん
>高校になってから電車の中で寝るようになっているのか、夕方寝が必要でなくなり、
>ご飯食べてチョロッとテレビみたら部屋に入って宿題や、なんか知らんが勉強やってます。
>うちの子は完全に努力型かな~。器用じゃないし、暗記力はずば抜けている?
>とは思いますが、頭の回転は良くない。と思います。(涙)
>私にすれば、「なぜ、そこまで努力出来るのだ?」と、息子のそこが理解出来ません(笑)
おとなだな~。
それと、うちは、暗記力は、ずば抜けてる子はいません(涙)
そこは、親に似なくてもいいのに・・
しかし
オウムについては、意外と、身近な人が多いのですね。
高校生親さんの、お父さんの話は、びっくりです。
で・・
宗教でも思想でもそうだが、「まとも」なのと、「カルト」の違い・・・ってなにか?
と考えたのですが・・
単純に考えれば、他者への『攻撃』ですよね。『攻撃』のあるなし。
自分の頭でたどり着いた答えでも、受け売りでもいいが、それが「絶対」正しい思い、(自分が攻撃されたわけでもなく、正当な理由なんてないけど)誰かを『攻撃』するのが、まあ『カルト』的ですよね。
『攻撃』(拉致、洗脳、殺人など)・・が正当化され、実行されたから、「カルト」なんですから・・・・
まあ「いいわけ」は可能でしょう。
相手にとっては『攻撃』でも、正当な理由がある(相手を救うとかね、相手の為とか)とか、自己防衛だ(攻撃された)とか・・いろいろ。
「カルト」は、自分のあらゆる「自由」は強烈に主張し、「攻撃性」が強く、「相互承認」からは遠い。そして、カルトは「自由」について「相互承認」を重視していない。
『近代の自由』は・・『自由』だけでは、争いはなくならい・・・
『相互承認』が組み込まれて、やっと「相手の存在」を考慮した上での『自由』なら行使できる。
ということになったのだと思うのです。
自分の自由を認めてもらうかわりに、相手の自由を認めなくてはならない。
個人間でも、国家間でも、宗教間でも・・・基本は同じでしょう。
長い、争いの歴史から、生まれた、争いを避ける、「知恵」でしょうね。
この『相互承認』を前提にするのは。
お互い『違い』があっても、すでに攻撃されているなどの特別な理由がない限り、『相互承認』からスタートしないと・・
お互いの自由がぶつかり「争い」になるか、片方が強ければ、「抑圧」になる。当然です。
「相互承認」の意識が高くなると「攻撃性」は低くなるし、
「相互承認」の意識が低くなると「攻撃性」は高くなる。
「相互承認」は「攻撃性」の排除の為の、社会で共有すべき「知恵」なのでしょう。
でも、感情があるので、いつも、そんなにうまくいかない。
現実には・・人は誰でも、ある条件になれば『簡単』に攻撃的になることができますよね。
■『自分が攻撃されている(されるだろう)』と「思い込めば」攻撃的になる。
もう一つは・・
■『自分の正義(思想)は絶対的に正しい』と「思い込めば」攻撃的になる。
これを利用して、意図的に、誘導する場合も、そう「思わせればいい」。「信じさせればいい」
ここは、誰しもが、注意する必要がある。慎重になる必要がある。自分や、そういう主張に懐疑的になる必要がある。相手を攻撃するのですから。
「相互承認」ってある意味、「理性的」考えであって、「感情」で考えれば
相手が好ましく感じれば、少し「違い」を「相互承認」しますが、嫌いだと、なにも「相互承認」したくなくなりますね。「違い」を攻撃の理由にします。(自分は、攻撃されたくないから、承認してほしいでしょうけど)難しいとこです。
そして、相手を承認しなければ(敵とみなせば)、いくらでも、攻撃的になれます。
まあ、思ってるだけで、攻撃しないのなら、問題ないのでしょうが。
でも、やはり、
お互い『違い』があっても、すでに攻撃されているなどの特別な理由がない限り、『相互承認』からスタートしないと・・・というとこでしょう。
誰でも・・「カルト」はおかしい、「洗脳」はおかしい、「規範」が大切・・・と言いますよね。
これは、『相互承認』が大切ですって言っているようなもんです。
『相互承認』が前提なら、カルトはないし、相手の都合による「洗脳」もないですし、それなりの規範もできるでしょう。
「カルト」はおかしい、「洗脳」はおかしい、「規範」が大切・・・と言いながら・・「気に入らない」と、正当な「批判」ではなく、「攻撃」を好み、それを「正しい」と主張するなら。
やってることは、どうも『相互承認』から遠い。
「カルト」や「洗脳」を批判するが、やってることは、「自分の絶対的主張を押し付け」攻撃するという、ある意味「カルト」宗教と「似た」攻撃を「是」とするのは。
『相互承認』からスタートしてないことが原因なのではないのでしょうかね。
『自由』と『相互承認』と『攻撃』の関係は、やはり密接です。
適性様
いや、、暗記力が極端にない私が書いてるので、息子、ちょっとエエ位かも?焦っ。
我が家の場合、主人はまるで勉強をしてきていないので、主人の学力が見えません。
ですので、わかる事は「息子は私には似ていない」という事です(笑)。
オウムについては、意外と、身近な人が多いのですね。
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適性様
私も、代々木公園でオウムが風船を配っていた時に遭遇したり、スポーツジムにも、オウムのTシャツを着た信者の人がいて、皆で驚いていた事があります。
また、私の友人の知り合いの一家は、子供達を連れて出家してしまった、という話も聞きました。
(ただ、私の場合、アメリカに住んでたので、初期のオウムと後期のオウムの事しかわからないんですね。。。)
サリン事件を起こすまで、世田谷に住んでいた人達にはオウムはかなり身近な存在だったと思います。
■『自分の正義(思想)は絶対的に正しい』と「思い込めば」攻撃的になる。
これを利用して、意図的に、誘導する場合も、そう「思わせればいい」。「信じさせればいい」
ここは、誰しもが、注意する必要がある。慎重になる必要がある。自分や、そういう主張に懐疑的になる必要がある。相手を攻撃するのですから。
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深く同意いたします。
企業人様
いや、、気持ち、わかりますよ。
高校生親様達のように、全く関わりのない人であれば、逆にガンガン説得もしやすいと思います。
怪しげなセミナーやカルト的な宗教に友人がはまった場合、こちら側の住んでいる場所、行動範囲も友人ですのでもちろん相手は知っていまもの。
恐怖を感じるのは当然かと。。。
私の友人も、本当に優しい子だったのが、え?って位性格が変わり、昔を知っているからこそ、昔を知っている者は皆、「怖い」と思いましたよ。
相手が昔の00ちゃんじゃなくなっているんですもの。
全く別の集まりを催して、彼女を誘って皆で説得しても聞く耳も持ってくれない。
逆に彼女に勧誘されて自分達の無力感を痛感する結果になりましたし。
私達も「もう、本人が目を覚ますまで見守るしかない。」という結論しか出せませんでした。
高校生親様
根源的な疑問であるのに誰も答えてくれないですからね。
↑
本当にそう思います。
「根源的な疑問」ですものね。
これに対して「答えをくれる」と思う状態というのは「その答えを非常に欲しがっている状態」という事ですよね。
「真理」という言葉そのものが、私は「永遠に答えが出ないものなんじゃないかな~、また、それに悩み続ける事が生きる事なんじゃない?」と思う事も多いです。































