アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
■■ 信じるものは・・本当に救われる??の?? ■■
「少年オウム信者改心プロジェクト」や・・ 地域、時代さんの
>全く別の集まりを催して、彼女を誘って皆で説得しても聞く耳も持ってくれない。
と、皆さん、「なんとか」しようとしていたのですね・・・。
でも、結局、力及ばず、うまくは、いかなかった・・ということを考えると
カルト的宗教にはまった人を、「説得」するのは、非常に難しいことですよね。(逆に、こっちを、説得しようとしているのでしょうし)
宗教は、信者ですから「信じる」人です。その教祖や教義を信じるわけですから。
こちらが、「改心させよう」とか、「説得して、やめさせよう」とするのは・・・前提があって。
すでに・・『社会的に受け入れられない』問題がある、問題が発生しそうである。
と周囲が「認識」している。「確信」しているから。・・ですよね。
きっと、様々な「事実」の積みかさねによって、そういう認識になるわけです。
周囲の人にとっては、なぜ、そんな「当たり前」のことが、わからないの?という気持ちですよね。
でも、こういう問題は、宗教に限らず、身近に、ありますよね。カルトほどではないですが。
恋愛関係とか、親子関係とか・・・
例えばですよ・・皆さんが
『ある男』が、ギャンブル依存で暴力癖(DV)があり、周囲と様々なトラブルがあった。
という「事実」を、よ~く知っている。(または、トラブルに巻き込まれた)
ところが、「知り合いの子」は、それを知らず、どうも、つき合い始めたらしい。
皆さん、どうします? 心配して、忠告します?。「やめたほうがいいよ」と・・
でも、忠告すると「知り合いの子」は、
「彼は、やさしいし、ちょっとパ[削除しました]が好きなだけ。
あなたの言う事実は、私が直接見たものではない。私は、それを事実とは思わない。
自分が、彼とのやりとりで感じたことが、私の事実。
私は彼の言う事実を信じるわ。
だいたい、トラブルなんで、お互いに悪いとこがあるから起こるのよ」
などと言うかもしれません。
既に「好き」なので、そんな「事実」は不快ですし、自分には、じゃまでしょう。
そんな忠告を、真に受けて、分かれては、今の楽しい気分がなくなってしまう。
こうなると、
>私達も「もう、本人が目を覚ますまで見守るしかない。」という結論しか出せませんでした。
となるでしょうね。
どんな、自分のよく知っている、体験している「事実」を正直に、言っても。
信じてくれないでしょうね。
もし、昔その男にDVにあった子が、彼女を、説得しても、同じかもしれません。
「やさしい彼が、酷い暴力をふるったのは、よっぽど彼女が酷いことをしたに違いない」とか思うかもしれません。
まだ、この時点では「恐怖」によるコントロールではなく、恋愛による「高揚感」だけなのは救いです・・・・実際、暴力が発生したときに、「これか・・」と「事実」に気づく可能性はありますから。
でも・・暴力を起こさせた、「自分が悪い」という思考回路になってしまうパターンもありますからねー。
「信じたくて、信じている人」に「事実」や「理屈」や「常識」って、なかなか通用しないのですが。
こちらには、普通は、それしかないですからね。
『ある男』は、すでに改心して、ギャンブルも、暴力もなくなって、末永く幸せに・・という可能性が、絶対ないともいえませし。
「DV?心配ないわ、私は、空手三段よ!」なら・・相手が改心するチャンスになるかもしれませんし、救いの女神になるかもしれません。(笑)
難しいとこです。
それに近いのが・・・
自分の子供の行為(暴力、いじめなど)や、ウソについて、どこからかクレームがあっても、自分の子供の言い分(ウソ含む)だけ聞いて、「そんなことはない」逆切れする親・・。
自分の子供を信用するのは、悪いことじゃないけど、自分の子のウソを無条件に信じても、その子の為にならないんじゃない?
それは、親は最後まで、子供の味方であるべきですが・・でも、その対応は、間違ってない?。
って、内心では、思いますよね。
責任とらないですんで、子供はほっとするだろうけど。反省する機会を失いますからね。
子供は、ウソついたり、秘密をもったりすることは、正常なことですし、対応はけっこう難しいらしいですが・・・ウソが常態化して、根が深くなることもあるようです。
でも、ここまで「極端」でないなら・・「信じるものは救われる」って部分は、あります。
人間は、事実よりも、信じたい事実を、(自分を納得させる為?自分の平和の為?)優先するものですし、そういう傾向は、そんなに悪くないとも思います(笑)(人に迷惑かけない範囲なら。)
人間は、誰も、完璧ではないですから、人間関係では「事実」に目をつぶり、「信じてあげる」ことが大切という部分はありますしね。。。
地域、時代さんの
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家庭で出来る事、ってやっぱり会話する事が大事なんだろうな、って。
これは私自身もそうなのですが、自分が子供の頃や学生時代に色々経験したビックリするような事や困った事などは皆子供に伝えてると思うのですよ。
「こういう事があるから気をつけよう」って。
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そうですね・・
へんなものを「信じてしまう」と、やはり難しいのですから。
『予防』する方が、先ですね。
教育って、そういう『予防』的ことも大切ですよね。そのための、知識や、考え方を身につける。意識させる。
こういう男、こういう女、こういう会社、こういう宗教には、気をつけなさ~い。
と、いうことを・・日常会話の中で、教えないと。
神戸観光案内2さんの おうち・・
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我が家はみんなおしゃべりで、家族がそろうと自分がしゃべる順番が待ちきれず、声がかぶりまくりでめちゃくちゃ
かしましいんですが、この状態、悪くないなあと思っております。(笑)
ベースはコミュニケーション、でしょうか。(うちはほとんど無駄話で終わっているような実情がイタイですが 汗)
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いいですね~。楽しそうで。
それから、新聞や、本という『紙』情報の話・・私も、とても、大事だと思います。
地域、時代様、 神戸観光案内2様
家庭内の会話、大事ですよね。
おしゃべりでにぎやかな家庭、素敵ですね。憧れです…。
我が家の男衆はみんなむっつりタイプ、私が会話しようと頑張るほどに根掘り葉掘りになって鬱陶しがられます(泣)
特に長男は超の付く頑固者ゆえ、反抗期も激しく、中学高校時代は親の言うことのわざわざ反対をやらかすことに決めていたそうで、会話?コミュニケーション?何のこと?という状態でした。
特に気持ちが荒んでいたころは、彼が何らかの「加害者」になるかもしれないという不安は、現実のものとして心の隅にありましたよ。
親の経験談もストレートに語ったのでは押し付けと取って反発するだけなので、編み出した?のが「みなまで言わない作戦」。
親は結論まで全部言わないで、言いたいことの半分以下で我慢。すると、子どもはそのあとを自分で考えるんじゃないかと。
どのみち自分でやってみて、成功なり失敗なりしないと納得しない子でしたから、他にやりようもなかったのですが、多少は会話の不足を補っていたのじゃないかしら。自己満足かもしれませんが・・。
その長男も、大学生になってすっかり穏やかになりました。相変わらず頑固なところもあり、普通に話をしててもすぐ議論になっちゃうのですけどね。
議論しつつ、自分の大学生のころを振り返ると、あぁ、まだ何にもわかってなかったな、知らないことばっかりだったなと痛感します。
親子して、痛い目に遭わないと学べない性格。面倒です。
先の春休み、機会があって、主人の出身大学を家族で訪れました。ちなみに東大ではありません(笑)
大学の構内は、ところどころ建物が新しくなっているものの、ほぼ昔どおりなのに対し、住んでいた下宿のあたりはすっかり変わっていました。
そんななかで「おぉ!あの喫茶店、まだやってたか!」とはしゃぐ父親を見て、息子たちも、髪の薄くなった親父にも若き悩める日々があったことを初めて知った!みたいな顔をして面白がっていました。
次は母の母校に行くから!と宣言しています。
サンデル教授の番組、そろそろだと思いながら忘れてました。ありがとうございます!
わ~、もう「会話」が先に進んでる~~
適性様
「正しさ」と「攻撃性」と「相互承認」の分析、とても納得です。
宗教を信じるのは、「信頼し、ゆだねる」ってことなのかなあと、なんとなく思います。
でもそれは、「盲目的になる」ってこととはちょっと違うのじゃないかって気がします。
カルトはそもそも「宗教」じゃないってことなんですかね。
すみません、思います感じます気がしますばっかりで、適性様のように深い考察ができません…。
スループ様
もしかしたら、オウム真理教をテロ行為に追いやったのは、自分たちとは価値観のことなるかれらを、異様なもの、不気味なものとしてさげすみ否定した、わたしたちの心ではなかったでしょうか?
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宗教について考えて行くといつも良く分からなくなってしまうので、見当外れであれば申し訳ありません。私はスループ様の言われる点重要だと思います。私も改心(会心じゃないですね)プロジェクトと軽口を叩きましたが、彼らを改心させようという裏に人の内心を否定することになってしまう痛みは感じていました。
ただ、だからと言ってテロ行為、人の命を奪う行為は許されない、というのが譲れない一線ではないでしょうか。私がオウムを承認しないのはこの点、人の命を奪ったという一点です。ライフスペースも同じです(そもそも宗教と言える程度の教義があったか、という点は別として)。
「攻撃性」は内心に留まっている限り否定はできないように感じます。それが物理的暴力として外面化した時には絶対否定するのが私の考えです。
高橋逮捕です。これでオウムの特別手配犯は全員捕まりました。
菊地や高橋の裁判が開かれ死刑囚の土谷、サリン散布した豊田が証言することになるでしょう。
オウムを振り返るために坂本弁護士一家殺害事件から読み始めましたが・・・・・・なんとも事件の態様がおぞましく・・・・読み進められません。
麻原の発案、指示、途中の連絡、へまをした者への叱責、すべてをリードしたのは教祖自身です。 それが逮捕後自分の裁判ではあの体たらくですから・・・・・本当にあの男は何だったのか?と思います。
これまでにあげた背景に加えて、ヴァジラヤーナ活動に入っていった弟子の動機としては、教団の中の世界だけのことを考え、「いわばその世界の王である麻原の指示であれば、たとえ違法な指示であっても実現して、麻原に認められたい」という欲求もあったと思います。
これはとんでもないことですが、本質的には、オウムの信者が、オウムに入会する前から、「学校の先生の言うとおりの勉強・行動をして、先生に認められたい」とか、「会社の上司の指示に従って認められたい」という行動パターンを取っていたことの延長の面もあると思います。
発達心理学的に考えると、自分で自立して考えることができず、誰かの指示を待って、それを実行することで、その人に認められて、自分の存在意義を満たそうという、子供のような人格であり、本来は、自分で自分の存在意義を認めていく自立のプロセスが必要なのでしょうが、それが達成されず、麻原に安易に理想の依存対象を求めた、ということだと思います。
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素直でいい子供というのはこういう面を持っているのは確かです。
こういう風にしないようにするには・・・・・・自分で考えるきっかけを与えるということでしょうが・・・・・これが両刃の剣のようでなかなか難しい。
下手すると自分の存在や社会を疑うことから抜けられなくなって純粋であるほどセクトに取り込まれたり宗教団体に取り込まれるかもしれません。
違う価値観の人たちと話すこと、触れること、純粋培養ではなく他の物にも触れること。
まあ・・・・親は大人しく勉強してくれればそれで安心なんですけどね。AKB48の総選挙に熱くなる大学生を見ていると・・・昔の高校生は(少なくとも我々世代までは)こんなじゃなかったよな・・・・・と嘆息するやら幼さに安心するやら(・・・・自己の存在に悩んで自殺することはないだろう)でこっちも本気で子供にぶつかってないよなと・・・・・・日和見に気付いて自嘲する毎日です。
高校生親さん
>私も改心(会心じゃないですね)プロジェクトと軽口を叩きましたが、彼らを改心させようという裏に人の内心を否定することになってしまう痛みは感じていました。
「回心」のほうがいいかもしれません。自分の価値観とあいいれない宗教に心酔した家族や友人を回心させようとすることは間違っていないと思います。ただそのばあい、たとえ理解はできなくても、否定するのではなく、相手を認めるところからはじめなければ、心をひらいてもらえないのかもしれません。
>ただ、だからと言ってテロ行為、人の命を奪う行為は許されない、というのが譲れない一線ではないでしょうか。
深く同意いたします。(地域、時代さん風)
>「攻撃性」は内心に留まっている限り否定はできないように感じます。それが物理的暴力として外面化した時には絶対否定するのが私の考えです。
だれしも内心に攻撃性を隠し持っていると思います。それを肥大化させ外面化させたのには、まわりにいたわたしたち自身にも責任の一端があるのかもしれません。































