アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
動機様
本読みました。
今まで断片的に伝えられていたことが一冊にまとめてあり、読んで良かったな、と実感。
良書の紹介ありがとうございました。
読み終わった私の中に浮かんでいる言葉は
「正義」
「独善的」
この2つです。
また、この著者が本の中で述べている事と私が漠然と感じていることが非常に似ていたので、はじめに~も、後記も私には非常に納得出来るものでした。
私がこの本を読んで、また「そうだな~」と著者に同感した部分は
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当時のオカルト雑誌読者の多くは、お金を汚いものとみなす人々や、なにかを馬鹿にしたい人びと、あるいは、ちょっとした’’拾い物’’。。。。超科学や神秘の匂いがするものは、やがて彼らの中で’宇宙の神秘を紐解く鍵’’ ’’ものすごい真実’’に変化するんですね。
そして、この拾い物を見つけた彼等は、その行法を実践し、超能力開発グッズを買っては試し、さらにはいろいろな宗教に浸かっては出る宗教マニアや、超能力開発セミナーマニアになっていくんです。(原文まま)
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これは、、個人的に感じる事なのですが、
お金を上手に使える人は、お金持ちであれ貧しい?ひとであれ「汚いもの」とはみなしていないと思うのですね。
怖いもの、と思う人は多いかもしれませんが。
また、なにかを馬鹿にしたい人びと→私はこれを日常、色々感じる事が多いです。
「俺はここまで知っているんだ、知らないあなた達は愚鈍である。」みたいな他人と自分との線の引き方。
私にとっては傲慢という言葉しか浮かびません。
高校生親様
宿題、、に関しての、軽い今のところの感想みたいなものになってしまうのですが、本の中で著者の高山氏はこのように捉えてるようです。
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滅び行く国とか人から見れば戦争は殺伐であろうが、栄えゆく国とか人から見れば戦争は世界を浄化しつつあるのである
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この一文には考えさせらます。
私は今回の一連のオウム問題を考えた時に、やはり「宗教への深い知識」というものは外せないのだな、、と感じております。
というのは、「最終解脱」や「解脱」の意味もはっきりとわかりませんし、それらに一切興味がない事も事実です。
ですので、ここの部分が私にはまるで入ってこない。
自分の中の限界を感じます。
寿司屋の親父さんやちょっと変わった宗教家?の前で見せた俗物そのものの姿からその後の変遷が面白いなと思いました。
どうもニセ薬販売の顛末からヨガ修行、阿含宗あたりまではまとも?なのでしょうが「オウム神仙の会」から「オウム真理教」となったあたりから強引な布施や出家を盛んにやりだすようになったようです。
それと・・・・・衆院選に出た時に本人は本当に当選できると考えていたようですね。その辺が現実感覚がないというか・・・・夢想や空想や妄想なのですが。
実際、弟子が増えて偉くなった気分で誇大妄想がますます大きくなり、中沢新一や吉本隆明、ダライ・ラマとの対談で権威づけ・・・・「これは結構やれるぞ」と「俺は天才かもしれない」・・・・・「自分はグルだ。出家信者を使えば国家も転覆できる」・・・・なんてついに武装化、サリン、VX製造まで行ってしまったという感じですね。
それが無様な逮捕時の姿と言い、弟子の証言妨害の姑息な呟きと言い・・・・なんともその後がみっともない・・・・・・。教祖の確信やら権威やら澄み切った宗教者の諦観みたいなものがまるでない。
結局法廷に立たされ一人にされると何もできない無力感で我に返ったか?
松本智津夫と彼を信奉した信者たちの最終解脱とは一体なんだったのか?
彼らを結び付けていたものは何だったのか? などを精神分析的にも宗教的にも生物学的な群れの本能やら共感、不安と安心などの観点から今後も分析してもらいたいものです。
青山や石川がいつか呪縛から解けて客観的に「あの時」の自分を振り返って手記を発表してくれるのを期待したいのだが・・・・・・・
アカデミズムからの回顧を一冊。
オウム真理教の精神史 大田俊寛 春秋社
また、著者はこうも書いています
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終末論と死の恐怖にとり憑かれた青白いこころのざわめきが、オウム信者には一般的に認められる。
私は何人かの元信者たちと会った(彼等は20代から30代だった)けれども、入信にいtる原点はなんであったかというと、家族の死によって自己の死を強く意識したことで共通していた。
それは死について考えるというより、この世から自分が消えてしまうことへの恐怖であり、親しい人達を自分から奪い去ってゆく死というものにたいするおびえであって~
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ここの部分、私は微妙なスタンスです。
私は己が死ぬ事に対する恐怖感はナイ。のです。
これは、変わっているのかもしれませんが、はっきりと言ってナイ。
しかし、親や子が死んでしまうかも、、という恐怖感は人一倍持っています。
この一説は個人的には、非常に複雑な感情を伴いながら読みました。
そして、この文章が著者の麻原に対しての総括の部分になるのかな?
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決まって彼は長続きしないのだ。安易に目先の結果を求めて、目先に見えるかたちで結果を欲しがる。
こうした人間は、自分に都合のよい結論や結果をもとめるものだ。
自分で結論にゃ結果をつくだそうとする。
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私達皆に多かれ少なかれこれは「アル」と私は思います。
ですので、私自身がこの本を読んでみて強く意識した事は「こうである」「べき」となった時、一度自分の中で時間を置き、咀嚼する事が大切なんだろうな~、、、という事でした。
動機様
私自身は、村井の存在もオウムには大きな影響を与えたのではないか?
そう思いました。
チクリ屋、、、リーダーというものは、基本的に孤独な環境に置かれるものかと。。。(その立場は自分一人しかいませんので)
村井の自覚があるなしに関わらず、彼の言動が基本的に自己肯定出来ていない(信頼感様がいつもおっしゃるところの自律)麻原に不安と疑惑を増長させるきっかけを多く与えているように感じます。
私は村井のようなタイプは、自分がリーダーを任されている時は「危険人物」と、逆にこういうタイプの人からの話は参考にするが鵜呑みにしない、また、自分がそれらの情報によって人の配置を考えたりする事は絶対にしない、と強く意識しております。































