アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
自分、バブル世代ですけど、今の子と同じような生活をしていました。
違うのは、クラスで5人だったのが20人とかに激増したということ。
また、塾の授業についていくためのフォロー塾の存在。
ユリウスとかプリバートとかの。
あとは中受に理解がある先生、学校が増えてことかな。
ちなみに私の周りで中学受験した子供たちは、
親も中学受験経験者か、
あとは高学歴エリート職家庭の家の子が多かったです。
中学高校時代を、特定の学校で過ごすことのメリットを、
本当の意味で知っている家庭の子供、ってことですね。
また、都立高校はすでに魅力を失っていました。
もともと中受なんて、経済的に余裕がある家庭の子女のためのものです。
また昔的な発想では、まず目指す学校があり、
そこで学生生活を送るために勉強するものだったのよね。
今みたいに、ひたすらに偏差値基準で学校を選ぶのには、
確かに違和感があるかな。
子供達が、昔的な意味での健全な生活を送るためには、
誰もがわかっているように、公立の小中高が魅力的になればいい。
じゃなくちゃ、多少無理してでも私学なり国立なりに
入れたくなっちゃうよね。
それが親のサガ、なんだから仕方ない。
ちなみに、私の周りの6年では週6で塾通いをしていた中受組のその後。
ノーベル賞はほど遠いですが、皆、それなりに社会で活躍していますよ。
最近のいじめ報道について。ちょと思うとこを。
いじめ的ことは、複数人集まれば、必ず「発生」する。と考えた方がいい問題です。
基本としては・・教育機関は、平和で安心して生徒が過ごすとこです。
やってる側が「おふざけ」「じょうだん」と思ったとしても・・・人がきずつくこと、自分がされたらいやなことをしない。
あたり前ですが、それを、常に、常に、生徒に提示する必要があるということです。
ついつい、エスカレートしますから。
生徒によっては・・
自分のしていることを、「いじめ」とは考えずに、ほんとうに「おふざけ」「じょうだん」の延長線上で、酷い「いじめ」をする子がいるそうです。痛みを感じていない。
加害者は、本気で、あれは自分の中では「おふざけ」「じょうだん」と訴えるわけです。親に、教師に。被害者もそうだったハズだ。と。
子供と、親が、「いじめ」でないと、強く訴えると、教師は怯むわけです。
加害者側の、人権侵害の訴えに、怯むわけです。
これは、その子供は、ある意味「やっていいことと、悪いこと」が、わかっていないのです。
わかっていれば、自分の行為に、やましい気持ちを起きるハズですから。
「いじめ」という事実が、加害者側には、「存在しない」ということです。
でも・・
先生は、「常」に、いじめ的行為を、「その場」で、排除する。否定する。
これは、可能です。
単純でいいと思うのです。
例えば、
生徒が、1人を、マットです巻きにする。
「いじめだろ?」と問えば・・「ふざけてるだけです」「あそびです」と加害者側を言うし。
被害者の子も「あそびです」って答えるわけです。
「そうなのか?まあ、たいがいにしろよ。」でおわってしまうでしょう。
しかしですよ。
その時、その「行為」自体を、『完全に否定』しないと、今後、「すまき」はOKになるわけです。それは、教師の判断で、完全否定する必要があるのです。
「そんなこと、するな!やめろ!」でいいのではないでしょうか。
しかし、どうも・・そういう方法はとられていない。
糞親父様
御指名を頂戴いたしましたので・・・。
信頼感の希薄化が進んでいると感じる理由
投稿日時:11年 10月 25日 12:48
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ただ、このように高校生が思考する根本原因として先に示した「戦後の子育て効率化」→「スキンシップ低下」→「母性不足による信頼感の希薄化」→「自律の遅れ」・・・という流れがあるのではと感じています。
紙おむつと粉ミルクとベビーベットだけを考えても劇的変化が戦後に起こっています。
劇的に母性を与える機会損失に見舞われているわけですから・・・。
70%の普通のご家庭で「信頼感の希薄化」→「親の背中を示さない」という現象が起こっているのではないでしょうか・・・つまり戦後の人間に「劣化」があるとすれば、それは効率化に伴う母性不足と考えられないかなって・・・・。
そして慢性的母性不足により常識的父性も受け入れられない幼児が、増加しているのではないか?という疑念を抱いています。(母性の大きさで受容できる父性の限度が決まってるんじゃないかと・・・)
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母性が大切だと思う理由
投稿日時:11年 11月 08日 15:53
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>父性も、3才までは0でいいというのも、ちょっと極端ではないでしょうか?
確かに極端です。でも敢てそう申し上げたい理由は、母性との接触機会が、紙おむつ、粉ミルク、ベビーベットによって奪われているからです。(戦前に比べて)これは以前にも申し上げました。母性は回数です。(質は乳幼児にとって無意味)
母性の回数が多い程(気持ち悪い→気持ちいい、お腹空いた→おっぱい)、信頼感、安心感が豊かに成長します。信頼感、安心感のレベルによって、大きな父性を受け入れられるかのレベルが決まってくると思っています。つまり、信頼感、安心感のサイズが、コーヒーカップなのか、バケツなのか、風呂桶なのか、それは養育者によって決まります。(責任重大)
風呂桶サイズなら、揺るぎない自律性を持ち(比喩です)、かなり大きな父性であっても、受け入れられる(我慢じゃない)のだと思っています。更にこの器は、優れた遺伝因子を授かっていようとも環境因子で破壊することも出来るし、もっと大きな器にすることも出来る....要するに環境因子の影響次第ということです。
3歳までの器作り....重要だし、この時期を逃すとなかなか大きくすることが難しいという現実があります。
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イジメの問題、自律性等々は、「私立中学の価値2校め」の625~660ページ辺り議論しています。
お時間のある時にでも・・・。
子育ては、母親だけが負うものではありません。
乳幼児期の子育てにおいて父親が積極的に母性を発揮できるシステムが必要だと感じています。
エデュから離れると決めましたので議論に参加できませんがROMさせていただきますね。
適性様
ちょっと横になりますが。
>自分がされたらいやなことをしない
この部分ですが、「相手の嫌がる事をしない」と言うべきだ、という文章を読んだ事があります。
自分にとっては平気な事でも相手は我慢出来ないと感じる事がある、という事です。
世の中には様々なハラスメントがありますが、加害者側のこの程度なら大丈夫だろうという思い込みから発生する事が多い、
だからまず相手の気持ちが最優先されるべきだ、という論調でした。
被害者側が嫌だと声を上げる事ができるかという問題はありますが、
加害者側がおふざけだと言い抜けできないように「相手の気持ちでその言動はいじめになる」という事を
大人や教師が言い続けないといけないと思います。
■ピースさん
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>自分がされたらいやなことをしない
この部分ですが、「相手の嫌がる事をしない」と言うべきだ、という文章を読んだ事があります。
自分にとっては平気な事でも相手は我慢出来ないと感じる事がある、という事です。
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はい。そうだと思います。基準を、一度「相手」にする。
自分は、平気でも、相手は我慢できない事は、ありますね。
「犬」がダメな人に、「犬」を近づけるとか・・・
「犬」がダメだとわかったなら・・・できるのだから・・やめてあげればいい。
コミュニケーション的に「軽いじょうだん」で、けったり、たおしたり、いたずらしたりは、ありますが。
「軽いじょうだん」のつもりでも、相手が嫌がっていると気づけば、やめる。
そこは、基本ですよね。相手を思いやるのは。
「犬」はかわいい、「冗談だ」「おふざけだ」となれば、次も、同じことしますからね。
ただ・・
いじめの場合は、逆の立場なら、いやだということは、ほんとは、わかっているが。。
いやがっているのを、楽しんでいるのだから・・・
そんな、感覚はないのでしょう。
たしかに、基準を、一度「相手」にする。のですが・・
やはり、そこには、常に、社会的妥当性は、考慮するべきだとは、思います。
逆パターンもあるからです。
たしかに「相手が嫌がる事」は、しないほうがいい・・・
例えば、
「おれは、お前の「顔」が嫌いで、イヤだから・・・俺に、近づくな。前を通るな。」
これ「してはならない」ことになったら、大変ですよね。
たしかに「相手が嫌がっている」かもしれないが、こちらに非がない、または、いいがかり?であれば、言う通りにする必要はないわけです。
モンスターペアレントは、
たしかに「嫌がっている」のです。学校や、先生や、生徒の、自分の子への対応を。
でも、そこに、妥当性がないのです。
相手のいやがることは、関係ない。
自分のいやなことは、妥当性なくても、いやだ。
これが、問題なんでしょう。
適性さん
ご心配ありがとうございます。
残念ながら、役付(ジョームとかそういうやつ)にはならなかったけれど、まあ、特に左遷でもないようですし、また事務系職場をやらせてみるか、ということかも知れません。
決して、不祥事をやらかしたとかそういうことではありませんので、ご安心ください。
別の立場から開発部隊おあおっていきたいと思っております。
ピースさん
確かに、あの曲の3楽章は、日本でガシガシ練習するには抵抗がありますね。意外にガンガン鳴りますし。しかし、正直、3楽章でちょっと休めるので、3楽章抜いたら、とんでもなく大変だったのではないかと思います。
#私に、2楽章が難しすぎ、とても人前では弾けません。
余計なお世話ですが、リストの、「葬送曲1849年」という曲をご存じでしょうか。
ショパンのこの曲の3楽章と、英雄ポロネーズの中間部を混ぜて、リスト風に装飾したような曲ですが、意外に印象に残る、たいした曲です。それに、こちらであれば、クラシック音楽ヲタク意外には葬送曲であることがばれませんし。もし経験なさっていないなら譜面、見てみてください。詩的で宗教的な調べの中の1曲。ショパンの葬送とも、革命失敗で処刑されたハンガリー貴族の友人たちの葬送とも言われています。































