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私立中学の価値ーゼロ 

【2444410】
スレッド作成者: 適性 (ID:RfnxxivKKcs)
2012年 02月 25日 16:18

内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です

条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。

【2617829】 投稿者: 公立一貫   (ID:vclT8GuPNYk)
投稿日時:2012年 07月 14日 23:18

愛読者さん


> 教育は学校の仕事で、自分(親)はその成果を見ている(ショーを見るように)、


ようはまかせっきり、人任せになっていると言っても良いのかも知れませんね。
公立一貫校とは見方が異なりますが、杉並区の和田中についてとても関心が
あります。
学校の施策うんぬんより、なにより地域社会が一体となって盛り上げていこうという、
保護者の熱い思いが私には感じられます。


まさに推定でしかありませんし、比較の書き込みは問題有るかも知れませんが、今回
の滋賀いじめ問題の学校の対応と比較してしまいます。
多分和田中で同様な問題が、仮に起こったとした場合、こんなにぐだぐだ状態にはなら
なかっただろうことは言えるのではないかと思っています。
だから、決して公立中だけの問題ではなく、保護者の意識も相当変わらないと公立の
現状を変えるのは困難だろうと思わざるを得ません。

【2618141】 投稿者: 遺伝   (ID:2eSWrhdhnRY)
投稿日時:2012年 07月 15日 10:11

独り言です。
これは私立も公立も関係ないんですけど、
先生に恵まれるコツのようなものって、あると思うんです。
私は小、中と先生が大嫌いで、いい先生に恵まれた記憶がありません。
勉強もできたし、クラス委員とかもやってきたし。
先生には敬意を持って礼儀正しく接するように、親に教え込まれていたから、
ちゃんとやってきたつもりだったんだけど。

で、何でだろうと思って、中学の時に、出来不出来に関係なく、
可愛がられる子(女子)はどこが違うのかを、徹底的に観察しました。
で、遅まきながら、わかっちゃったんだ。
共通しているのは、挨拶がきちんとできて、先生の顔をみると、
甘えた声で、「先生〜(^O^☆♪」ってすり寄っていく子。
で、たまに語尾にデスマスをつけるくらいで、基本タメ口なの。

中学の時に気づいたので、高校生以降はバッチリ。
最初は意識してやってたんだけこ、そのうち、それが自然な自分になっちゃった。
通った高校の先生には可愛がられたし、社会人になってからも、
ハタからみれば、贔屓されていたと思う。
頼んでいないのに、勝手に世話を焼いてくれる人が増えました。
まあ、先生も人間だから、そんなものかも。
これが私が中学生時代に学んだ最大のコト、というと、呆れられそうですが、
でも今だに役立っていますからね、、。人生、何が幸いするかわかりません。

【2618344】 投稿者: スループ   (ID:R80wIK4d0Y.)
投稿日時:2012年 07月 15日 14:03

適性さん

( PCで293ページに直接いくには、適当にページを選んでから、ブラウザのURL欄の末尾のページ番号を書き換えます。たとえば http://www.inter-edu.com/forum/read.php?2,2444410,page=293 )

293ページの冒頭では、さきにわたしが、オウム真理教の流れをくむ宗教団体であっても信教の自由を認めらるべきであると主張したのにたいし、適性さんは、その危険性から「なんらかの対応」が必要であると反論されたのでした。「なんらかの対応」がどのようなものであるかは、昨日おたずねしています。

さてそのつづきです。

>「宗教の自由」の前では、過去にどんなことがあっても関係なく、いま問題が明確でないなら『好意的で寛容』であるべき。

>というのは、あまりに「原理」主義的で、受け入れられません。

ここでは、1行目でわたしの主張をあらためてしめし、2行目で適性さんの反対意見が表明されているように見受けられます。しかし、ここにはいくつかの問題があります。

「宗教の自由」

これはわたしが使ったことばではありません。わたしは一貫して「信教の自由」といっています。これは議論の中心をなすキーワードですので正確に引用していただきたいと思います。「信教の自由」は日本国憲法第20条で使われている用語です。

“信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。”

またウィキペディアは「信教の自由」をつぎのように説明しています。

“信教の自由(しんきょうのじゆう)とは、宗教に関する人権の一つ。三十年戦争に端を発した17世紀以降のヨーロッパにおける国際紛争、市民革命の多くが宗教的自由の獲得・擁護を背景とする性格をも持っていたため、人権の中でも最も重要かつ古典的なものの一つであると考えられることが多い。”

これにたいして、適性さんのおっしゃる「宗教の自由」にはなにか特別の意味合いがあるのでしょうか?それともたんなる用語の取り違えでしょうか?

『好意的で寛容』

これはわたしが適性さんの議論のしかたにおいてたいへん不快に思っている点です。二重かぎかっこ『』はわたしの発言であることを強調するためと思われますが、わたしは「好意的」ということばは一度も使っていません。わたしと適性さんの議論のなかで「好意的」ということばは引用もふくめて20回ほどでてきますが、すべて適性さんが使われたものです。わたしが「寛容に」と述べると、おおくのばあい適性さんは

>「オウムに対しても、より寛容で、好意的に対処するべき」だ。とお考えですよね。?

といったぐあいに、わたしの主張内容を拡張されています。ときには「交流をもつ」ということばまで付け加えておられます。議論において相手の主張内容、範囲を微妙に変えて引用するのは適切な議論の方法とはいえません。さいしょわたしはこの点は気に留めないようにしていましたが、目に余るものになってきましたので、強く抗議させていただきます。

「原理」主義的

不適切な用語の使用例です。この語はわたしの主張への反対意見の中で使われていて、すこしあとでも

>当然、使う側は、暴走する「可能性」があるわけです。 それは、やはり原理主義的じゃないですか。ちがいますか?

とあります。議論をするのに批判はかかせません。しかし、さまざまな意味に解釈されうることばを使って批判をおこなうと議論が紛糾します。じっさい、ウィキペディアを参照すると、「原理主義」ということばには

①理念的な原理や原則を重視する考え方、あるいは、根本に還るという意味。
②テロリズムの代名詞。
③一般に、他者を侮蔑する場合などの悪口やレッテル貼り。
④狂信的な宗教的情熱による現実を無視した非寛容の過激思想。
⑤現実を無視して特定の原理原則に固執する考え方。

といったおおくの意味があることがわかります。これと、適性さんのこのことばの使用例をあわせてかんがえると、適性さんが意味されたのは②、③、(④も?)、⑤がまじったものと思われます。(③については、適性さんはわたしを侮蔑したり、悪口を言ったり、レッテルを貼る意図はなかったとおっしゃられるかもしれませんが、一般にそれらの意味を含むことばを使われたのですから、そうとられてもしかたありません。)わたしがここで問題と感じるのは、②、③、④のような意味をもつ表現をつかうことによって、わたしの主張を批判するだけでなく(批判することは正当です)、第三者の読み手にたいして、わたしの主張についてネガティブな印象をあたえることです。わたしは適性さんにはそのような手法を使うことなく、明確な用語で理路整然と反対意見を提示していただきたいと思います。

まとめると

1.相手の使う用語は正確に引用する。
2.相手の発言を引用するときは、その内容を拡張したり変えたりしない。
3.ネガティブな印象をあたえる用語はさける。

ということをお願いしたく思います。

そこで、最初に提示した適性さんの発言を、わたしなりに適切な表現をもちいて書き換えると、たとえばつぎのようになります。

>「信教の自由」の前では、過去にどんなことがあっても関係なく、いま問題が明確でないなら『寛容』であるべき。

>というのは、あまりにも現実を無視し、原理原則に固執する考え方で、受け入れられません。

これであれば、このあとに、適性さんがどのような点でわたしの主張が現実を無視しているかをしめし、わたしがなぜ原則をつらぬくことが大切なのかを説明するというかたちで議論がさらに発展すると思います。

ところで、ここでわたしは適性さんの議論のしかたを手厳しく批判していますが、わたし自身の議論の方法にもいろいろ問題があるのではないかという疑念は拭い去ることができません。そのような点にお気づきでしたらぜひお聞かせいただきたく思います。ご批判は謙虚に受け止め、よりよく議論ができるよう努めていきたいと思います。

【2618715】 投稿者: 通りすがりの企業人   (ID:oCHCo3aFCfc)
投稿日時:2012年 07月 15日 22:41

スループさん

2592653】 投稿者: スループ(ID:Zd9T1xtkKcI)投稿日時:12年 06月 24日 15:54管理者通知をする


適性さん

>現実には、いろいろな宗教(学会など)の子といますが、その子と同じでしょう。
とくべつ、「その子」には、こうしないさいともいいません。
他の宗教の子にも、とくべつなにもしませんし。
なにも、問題がおきていないのに・・・

なにも問題がおきていなければ、とくべつなにもしないのは、こどもにたいしてだけでなく、大人や宗教団体そのものについてもとるべき態度です。

>あなたの論では
宗教の自由であり、その自由は、侵してはならない。

なんども申し上げているとおり、そのとおりです。

==引用ここまで==

私には、厳密な憲法論議でもなし、信教の自由と、宗教の自由の違いはさっぱりわかりませんが、信教と宗教の言葉の違いを指摘するなら、遅くとも、この時点でなさるべきでしょう。

引用するなら、正確に引用する必要があるのは言うまでもありませんが、前にそのとおりと言われて、今回、執拗に信教と宗教の違いを指摘なさるのは、わけわからない。

【2618837】 投稿者: スループ   (ID:R80wIK4d0Y.)
投稿日時:2012年 07月 16日 00:07

通りすがりの企業人さん

>私には、厳密な憲法論議でもなし、信教の自由と、宗教の自由の違いはさっぱりわかりませんが、信教と宗教の言葉の違いを指摘するなら、遅くとも、この時点でなさるべきでしょう。

するどいご批判です。もう一方の『好意的で寛容』でも同様で、さいしょに適性さんが「好意的」ということばを追加されたときにご指摘すべきでした(そこでは、わたしは回答のなかで「好意的」ということばはつかわずに「寛容」とくりかえすだけにとどめました)。

今回ご指摘させていただいたのは、はじめわたしは議論の「内容」に焦点をあわせ、議論の「方法」のこまかな点にはふれないでおりましたが、293ページあたりからは、「方法」について適性さんと認識をあわせないと議論をつづけるのがむつかしいと感じるようになった、というのがその理由です。

ご批判を歓迎いたします。ありがとうございました。

【2619042】 投稿者: 適性   (ID:RfnxxivKKcs)
投稿日時:2012年 07月 16日 08:31

■スループさん

「宗教の自由」
『好意的で寛容』
「原理」主義的

が、気に入らないなら・・誤解であるなら・・・

基本的には、「その時」に、お願いします。いまさらですし。


それに、使い方に、それほど問題があるとは、思っていません。

『好意的で寛容』
どうしても、好意的を「除きたい」なら、
「寛容であれば、好意的である必要はない」と、主張すればいい。


しかし、です。単に「寛容」であればいいという主張ですか?

単に「寛容」というのは、こういう態度も含まれますよ。
どちらかというと・・ほんとうは、いやだが、彼らの権利だから、彼らの宗教的言動を我慢する。
宗教的言動を黙認する。
(しかし、積極的に、受け入れようとか、近づこうとかはしない。なんだあの集団は?と不信感さえもつ。心のなかでは、異様なものとして、否定しているかもしれません)

単に、攻撃的行為をしなければいい。のではないのでしょう?


それをはるかに超え。

>もしかしたら、オウム真理教をテロ行為に追いやったのは、自分たちとは価値観のこと
>なるかれらを、異様なもの、不気味なものとしてさげすみ否定した、わたしたちの心で
>はなかったでしょうか?

と・・「心」までも、踏み込んで、否定しているわけですから。
さらに、あの事件の「責任」さえある。

より「肯定的に思い」、そして、「好意的態度」で、彼らに、接することを、「わたしたち」に求めていると感じたのです。違うのですか?

そういう、好意的心、好意的態度でないのだから・・・彼らを「追い込んだ」のだ。

という主張だ・・と思っているのです。

もともと「寛容」は「好意的である必要はない」のですから・・・
どちらかというと、否定的だから・・寛容が必要なんですよ。きっと。


ウイキでも
**********************************************
「寛容」の語源と意味  [編集]

日本語の「寛容」は、明治になって翻訳された語である。英語"Tolerance"の語源を調べてみると、endurance, fortitude とあり、もともとは、「耐える」、「我慢する」という意味をもつ言葉である。次第に、「相手を受け入れる」の意味をも含むようになったが、無条件に相手を受け入れるというより、自分の機軸にあったものだけを許す、という意味あいが強い。

現在使われている「寛容」(Tolerance) は、近世ヨーロッパ社会において産み出された概念である。というのも、「十六世紀の宗教改革の結果として、カトリック普遍主義が崩壊すると共に、多くの同時代人が宗教的な寛容を重要な課題または争点として認識するようになった」[2]からである。更にいえば、「まず宗派間の対立感情が頂点に達する宗教戦争の時代には、寛容は信仰の弱さの表現として否定的に考えられたが、やがて宗教戦争から平和に移行する段階になると、寛容はいわば必要悪として暫時的にではあるが肯定され、信仰の問題というよりも国家理性を優先する立場からカトリックとプロテスタントの平和的共存が実現される」[2]という状況になったからである。  これは、積極的に相手を尊重するのではなく、「異端信仰という罪悪または誤謬を排除することのできない場合に、やむをえずそれを容認する行為であり、社会の安寧のため、また慈悲の精神から、多少とも見下した態度で、蒙昧な隣人を許容する行為」[3]をするためであった。  これは、宗教戦争を経験したヨーロッパにおける特殊事情が、「寛容」を強要されたわけであり、仕方無しの「許容」である。
*********************************************

ですから、

特に問題がなければ。
気に入らなくても、宗教には、攻撃的態度を、とならければ、それで十分だと思っています。
私は、好意的心、好意的態度までは、求めません。
(好意的態度は任意です)

だいたい、スループさんも、既存の宗教に、好意的心はないのでしょうし、好意的態度でもないでしょ。

スループさんは
***********************************************************
やりすぎ度から言えば、日本仏教の戦争協力は、オウムのテロと比較にならない程罪深い。ただ戦争を是とする社会的合意の有無が違う。オウムは反社会的殺人肯定。日本仏教は社会的殺人肯定。形而上学で具体的な殺生の罪を誤魔化したのは同じ。
***********************************************************
という文章を、どこらから、引用したぐらいですから。これ批判でしょ?

そこらへんは、矛盾を感じますね。

【2619199】 投稿者: 愛読者   (ID:0ohBYPTB4L.)
投稿日時:2012年 07月 16日 11:22

公立一貫様

杉並区和田中の取り組み、何がきっかけになって、動いていったのでしょうね。
当時は改革派の中田区長かな?それとも、草の根で、キーマンがいたのかな?
良循環になっていく、秘訣を、知りたいですね。

公立一貫を増やしていく、という御主張に賛成です。
どうせなら、文部科学省の実験的プロジェクトの予算もつけて、
スーパーサイエンススクールとか、英語のヒアリングスピーキング力を徹底的に身につけさせる授業とか、コンピュータサイエンスの早期教育(これは、希望者のみ)とか、
先端的な授業の試みをやってみると、面白いでしょうね。

そこで得られた結果を、学習指導要領などに反映させたり、センター入試に反映させたりしていけば、いろいろ、変わっていくような気がします。
教員も、意欲的な人が集まってくる仕組にして。
あ、あまり魅力的にすると、お金持ちが、殺到してしまうでしょうか、ほどほどにしないと(笑)
でも、私学も、それに対抗して、もっと創意工夫していくでしょうから、
親にとっては、いいことですよね。

【2619816】 投稿者: 公立一貫   (ID:vclT8GuPNYk)
投稿日時:2012年 07月 16日 21:33

愛読者さん


私は、中学を取り巻く地域コミュニティーがとても大切なんだろうなと思います。
それには保護者が中学に係ることに対しての一定の理解が形成される必要がある
のではと考えます。


このスレの参加者、およびロムされている方々には、お子さんを私立一貫に通わせ
ている方が多いと思うので、思うところを述べますと、私の場合ですが保護者がま
ずとても熱心でした、保護者会の参加には父親が多く参加し、授業参観もその流れ
で多かったですし、運動会や文化祭への保護者の関与も公立とは比べられませんで
した。


このように私立一貫ではある程度地域をこえて、保護者間の一定の交わりがあり、
6年の間に保護者同士親しくなることも珍しくありません、そしてお互い共通の
意識の下に学校を支えることになるので、子供も一定方向に進みやすいとの面も
有るように思います。


こういった親子ともども学校を作り上げていくという環境は、一定認識の形成しや
すい環境が整えばよりやり易いものだと考えます。
ですから私立一貫に今後とも通えればよいのですが、小学4年くらいからの塾通い
が本当に子供の成長に有効かどうか、私は疑問に思うところもあるため、今後選抜試
験に多様性が感じられる、もしくは今後ペーパーと併せて別選抜方式導入がしやすい
であろう公立一貫においては、せいぜい1年くらいの通塾で合格できるくらいの学力
で可を期待し、夜遅くまでの通塾は避けることが出来るのではないかと思う次第です。


子供の能力(受験勉強に関する)は早いうちに開花する、との話も多々耳にしますし
実際中学に入ると最初から最後まで優秀なお子さんも少なからずおられます。
しかし大器晩成的な子達も同様に多数いることを私はこの目で見てきました、よって
各家庭のお子様タイプの見極めによるところは大きいと思います。
私学にいかせるか、公立にするのかは実に悩ましいところだとは思いますが、選択肢
が増えることは、いづれにせよ良いことだとは思います。

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