アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
適性様
イトイさんとサンデル教授の対談読んできました。
その前に、サンデル教授って、野球が本当に好きなんですね。
この間のNHKの討論番組でも、ドーピングの項目の時には、いつもとはちがい、かなり結論めいた事をきっぱりと主張してたし。→サンデル教授自身が熱くなってたように感じましたし。
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わかりました。
そうですね‥‥。
私は、大学を卒業したとき、
そのあと、どうしていきたいか、
これから何になりたいか
まったくわかってなかったんです。
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サンデル教授をすごく身近に感じるお話ですよね。
「夏服を着た女たち」のところで、
人は、ストーリーや、エピソードを通じて
伝えるほうが、抽象的なロジックで語るよりも
ずっと心に響くし、理解が深まるし、考えやすい。
人は、みんなそういうものだと思ってます。 (サンデル教授)
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私も、この考え方に共感します。
「ストーリー性」を持たせたい。(イトイさん)
ストーリー性を持たせると「難しい事も解釈しやすくなる」んですよね。
特定分野の深い話は「やってないとわからない」
しかし、誰もが自分の人生では主人公ですよね(さだまさしの歌詞みたい、笑)
ですので
『ハーバードで哲学を教えている政治哲学者マイケルサンデル』 と紹介された場合、その分野に興味のない人は「ああ、そうですか」で終わってしまう事も多いと思うのですよ。
しかし
『 昔は野球選手になりたかった少年が政治哲学者になりました、その人の名はマイケルサンデル教授です』 と、言われると哲学に興味がナイ人でも、野球が好きな人の中にサンデルさんに興味を持つ人が増えるような気がするのですね。
理由は→人は皆が主人公である自分のドラマを持っている。
そのドラマは本人が脇役でエエ、なんて思っているだけで、その実、皆が全員が自分の物語の主人公なんですよね。
ですので、大勢の人の「心」に「ストーリー性」をいうものが引っかかってくると思うんですね。
自分のストーリーを大切にしている人は、他の人のストーリーも大切にしたいし、興味がある。
みたいな感じかな。。。
イトイさん風に考えると、私はやはり芸術系なんでしょうね(笑)。
また、ここの皆さんもそうである。
世界の、離れた街と街の真ん中に、
大画面のディスプレイとカメラを置いてつないで
互いがなにかやってるのが見えるようにして、
ただ、放置しておくことなんです。
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これは、面白いですね~。さすがイトイさんです。
人は皆ストーリーを持っていると思うのです。
そこを尊重出来ない人は「~な生き方、選択はダメだ」みたいなもの言いになる。
それって??って私はすごくおかしいと思うのですよ。
その集団に属しているからこう。
みたいな集団で個人を批判する事にものすごい拒否反応を覚えるのですね。
時に、集団で捉えなければいけない事も世の中にはあるでしょう。(戦闘モードの時が多い?)
しかし、一人一人と向き合えば、そうではなくなる。
これが私の今まで生きてきた中での結論めいた考え方です。
長兄がアメリカ人の嫁さんと結婚した時、私も思いましたよ。
「長兄は、自己主張の強い女と結婚するんだろうな」と。
しかし、、ものの見事に覆されましたね。
私よりも長兄の嫁さんの方がよっぽどおとなしいし(笑)、自己主張もしない。
母など「日本人の他所の嫁さんよりも気の遣い方が日本人らしい子だわ」と言ってます。
私の「想像」は「現実」とは違ったのですね。
そういう事が個人と接する事でわかってくる。相手の話を、相手の日常を知る事で見えてくる。
「人生はまわり道をしてきた人の方が深みがある」みたいな事を年配者に言われますが、人のストーリーを聞く事、自分のストーリーを語る事こそ、「人と人が触れ合う時」の最も有効な周り道だと思うのですよ。
肩書きや所属先は「想像」しかもたらさない。
その「想像」は己の尺度。
相手はその尺度におさまりきる人なのか?
相手がその尺度におさまりきる人である。と思う事を私は「傲慢である」と思います。
適性差様は、その「傲慢さ」が大嫌いな方ですね。たぶん。。。嫌いなのできっぱりと主張なさる。
だから、私は適性様のこのきっぱりした部分に強く惹かれ、共感いたします。
ほぼ日を読んで今日はこんな事を感じました。
地域、時代様
エデュに毒された(笑)私、先日息子が大学の友人の話をしている時に、なにげなく
「**くんって、どこの高校だったの?」
と聞いてしまいました。
息子「知らない。」
私 「え?聞かないの?」
息子「聞かない。そんなことに興味はない。むこうも聞かないし。今の俺たちだけで十分だから。」
と言われ、なにかものすごく自己嫌悪に陥ってしまったのでした。(苦笑)
今、思い出しました。
適性様
>「あり」なんでしょうかねー?
子供が、男子か女子かでも、親の反応が違う感じもしますし・・・
このまま、ずっと、うまくいけば、最終的には、問題ないのでしょうけど・・・
ほんとに、ビミョー、といいますか・・・
合理的と言えば、合理的なのかもしれませんが。
親御さんはご存じないかなと。(推測ですが)
少なくとも、本人たちは(今の段階では)ずっとうまくいく(うまくいかせる)つもりで
いるのでしょうね。
■地域、時代さん。
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人は皆ストーリーを持っていると思うのです。
そこを尊重出来ない人は「~な生き方、選択はダメだ」みたいなもの言いになる。
それって??って私はすごくおかしいと思うのですよ。
その集団に属しているからこう。
みたいな集団で個人を批判する事にものすごい拒否反応を覚えるのですね。
・・・・
肩書きや所属先は「想像」しかもたらさない。
その「想像」は己の尺度。
相手はその尺度におさまりきる人なのか?
相手がその尺度におさまりきる人である。と思う事を私は「傲慢である」と思います。
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ほんと、そーですよね。 その「想像」は『己』の尺度。・・
「想像」が、別に、どんなもんでもいいけど。(個人的な考えですから)
ただ・・その「想像」のままを「事実」であるかのように、その人達に、そして社会に、主張するってのは、『問題』ありです。(少なくても、事実でないなら、反論されます)
間違って、褒めてくれてるならいいけど・・貶してるのだから。
たいがい、個人の「ストーリー」から、離れているんですよ。そういう「想像」は。
『(顔のない)強欲で無能な人』がそこに『存在』するだけで、そこにの「(顔のある)ストーリー」はないのです。そうでしょ?
ストーリと言えば・・
オウムのテロにしろ、その実行に関係した人は、当然、責任をとらなくてはいけないが。。
なぜ、そういうことに至ってしまったのか?その後、そのテロをどう考えているのか?という、「顔のある」ストーリーは、大切なんだと思います。
以前話題になった「さよなら、サイレント・ネイビー」
豊田(本人)ではなく、第三者(著者 伊東乾氏)から見た、一つの「ストーリー」です。
私は・・
実行犯として、責任を取るしかないと覚悟した、豊田本人は、自分が「直接」語るストーリーは、どう書いても、言い訳になってしまいかねない、それは避けたいと思ったのではないか。
と感じました。
それでも、本人が感じた、直接語るストーリも、価値はあると思うのですが・・・
私も・・豊田が、教団から、ターゲットとして狙われ、からめとられ、洗脳された「部分」には、同情するとこはあります。(カルトに、あらがうことができたのか?という疑問でしょうか・・)
また、彼は、死刑が確定していますが。
もし、彼が、社会で戻ったとしても、(オウム的教えを原因として)社会に迷惑をかける可能性は、きっとないだろうと、私は、判断しています。
(しかし、彼を許せない人がいることも、理解します。批判する人も理解できます。)
私の判断は、彼の「ストーリー」の一部を知ることで、判断できるようになったと言えます。
「エリート」「オウム信者」で「テロ実行犯」という「顔なし」では、そういう判断は、できませんからね。
どんな理由があろうと、「テロにより、一般市民を殺したこと」は許されることではないのですから、その責任は「ある」のです。今後も、その流れの教団は、その責任はあるのです。
しかし、それとは、別の部分で、彼の「人間性」を認めてあげたいとは、思っています。
「想像」として・・・
「中学受験」+「私学進学校」+「難関大学」=『テストだけ得意な(顔のない)強欲で無能な人』
という主張があったとしましょう。
そこには、部活をしたり、行事で盛り上がったり、後輩の面倒で苦労したり、親とケンカしたり、逆らったり、悩んでみたり、もがいてみたり・・という『普通のストーリー』を、「わざと」欠落させているわけです。
もしくは、『普通のストーリー』として、認めない。・・例えば、1回戦で負けるような部活は、部活じゃない・・とかね。
まさか、「受験」勉強以外に興味をしめさず、テストの「結果」にしか興味のない子供たちだけで、先生も勉強さえできればいいと思っている、そんな学校で、6年間、感情の動きなく、過ごしているとでも思っているのでしょうか・・・・ね。
また、そんな子になることを、親が願っているとでも、思っているのでしょうかね。































