アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
皆さん
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今日の夜はこれがぐるぐる間違いナシ。。。
お返しに
ドナドナドナ ド~ナ~。
もしくは
消~臭~リキ!
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へんなものが・・ぐるぐるまわりそうな方は・・
企業人さん紹介の
youtube で アリス サラ オットのラ・カンパネラ見ましょう
>アリス サラ オット:近年売出し中の、私がピース様の生き写しではないかと想像する女流ピアニストです。
これが、ピース様の生き写しですか~。
うつくしや~
>エエですね♪ 朝の綺麗な空気を吸って一日が始まる。 う~ん。 究極の贅沢かも。
いやいや・・・・・贅沢というより・・・・・体が固まることへの恐怖心がなせるわざです。
皆さんまだお若いので五十肩や腰痛を経験していないと思いますが・・・・症状が一番強い時は寝返りがうてなかったり車の乗り降りに5分もかかったりします。
知性を磨くだなんだと言っても究極のところは・・・・それを支える体力がなければどうしようもないということに中年のある時点で気づきます。
そこで慌ててストレッチだ体操だとやりだし・・・・体のメンテナンスにかかるのですが悲しいことに体は20代ではない。
真向法では脚は開かず後ろぞりなんてとてもできない。レントゲンを撮れば骨棘はできているし脊椎の正常湾曲もなくなっている。
友人がある商社の産業医をしていますが企業戦士たちは病気もちばかりだとのことです。皆さん・・・・・50歳過ぎたら運動してください。転ばぬ先の杖です。
動機さん
> 皆さんまだお若いので五十肩や腰痛を経験していないと思いますが・・・・
> 症状が一番強い時は寝返りがうてなかったり車の乗り降りに5分もかかったりします。
う~ん、お仲間だったんですね。
運動不足、わかってはいるのですが、なかなか・・・
私も立派なメタボ予備軍ですが。。。。。
体幹を鍛えると、腰痛の予防になりますし、背中や肩を鍛えると、40肩や50肩は相当に軽減されるようです。
ストレッチと、ダンベル、バーベルやマシンを使った運動を、定期的にジムで行うようにして以来、吐き気を伴う酷い肩こりとは無縁になりました。まったく凝らないわけではありませんけれどね。軽いジョギングもいいようです。
ただし、使い方を間違えたり無理をしたりすると危険ですので、最初はトレーナーの指導をあおいでください。
皆さま、ゴルフをおやりになるかどうか存じ上げませんが、上半身や体幹を鍛えると弾道が安定し、走りこむと飛距離が伸びるようです。そういうのを楽しみに汗を流しています。
ちょっと思うこと。
・・・「10名のグループにリーダーは何人必要なのか?」について
この問は、アイエンガーさんの「選択」の授業にも関わりとても大事なことと思っています。例えば、相手が自分の会社の社長であっても、大学の教授であっても、仕事のイニシアティブを、誰が握っても構わない、ということを理解できた人間が、リーダーでありえて、その仕事で、積極的にリーダーシップを取るべき、取ることがこれからの社会では求められること、それがグローバル化への対応ということ。(グローバル化への対応とは、英語ができるということと決してイコールの関係ではないということです。)
具体的には、高校生大学生は、リーダーシップが、自然発生だということをまず知らないでしょう。
・・・社長だからえらい、役員だから、リーダーだということをイメージする。しかし実際にはそうではない。価値が個人の知的活動で創出されるような仕事であれば、そういう状況にはない。これは例え、営業であっても、クリエイティブな営業であれば同じ。(実際、わたしは技術営業の支援をすることもありますが、その部分のイニシアティブは私がとります。) もちろん、社長が有能である場合は、リーダーシップを取る領域がかなりあるでしょうが、それは見えている部位分のリーダーシップに過ぎず、無数のリーダーシップの一部。また、社長にリーダーシップがない(=リーダーとしての行動ができない)場合は、あらゆる状況でリーダーシップがない、つまり「飾り」ということさえもありえます。・・・この場合は、「象徴」としてのリーダーというわけです。
では、リーダーシップを10名のグループで多数が持つとは、どういう状況でしょうか。それは、個人個人が、仕事に責任を持てるだけの見識とその期待される仕事をこなせる能力があるということです。その仕事あるいは役割とは何かというと、最初から所与に与えられるものではなく、グループの共通の生み出すべき価値(つまりミッション)から切り出される。
そのためには、各人の側に共通の認識を持ちうる具体的な素養(土台)と、自由な対応の能力(直感&理性)が必要になります。そこで、仕事な単なるコピー取りや、事務にとどまらないということがあれば、すべからく、グループのメンバーはリーダーシップが期待されるということをグループ員に説明し、認識を共有し、そこを目指させることが、機関の長の最低限の役割です。
で、機関の長、とリーダーシップをとる構成員とどっちが大事かといえば、当たり前ですが後者であるのが最先端の社会。文系の職種でも理系の職種でもいくつか例が見られます。専門性で優秀な、400-500名の弁護士を有する四大法律事務所などがあるそうですが、理系でも、研究所などはそういう組織体にしているところは増えています。
その時には、たいてい、自分とほとんど同じ学歴と経験を持つ人を、プロジェクトの同僚・部下というべき役割で持つことがあるし、上司・部下というような言い方をしなくてもよい段階になっているのが、現代の会社での仕事の仕方。大学は、この点、一般にまだまだ教授中心で作られていて、非常にハンディキャップを負っているように見えます。
こどもに説明する例として考えて見ているのは、家族とは何か、ということ。家族も基本は階層社会。実際、未成年であれば、こどもの教育や生活、人生の進路の判断のイニシアティブは、親が取るのであって、子供が意見をいうことはあっても、責任を取る場面はない。しかし、家族でなにかをすることをイメージすると、そこには子供にもイニシアティブがある、ということです。対等に親と話がうまくできることは悪いことでは全くないし生意気だということもない。
例えば、家族で家を持つ、とか筆耕しをする、というIssuを考えいるのであれば、真っ当な意見があり採用されれば、後段の話の展開でも、リーダシップは自然に与えられる。それは年齢の違い、親と子の立場の違いを超えて「採用」されうるし、そこには、良い「選択」に向けて、共同作業があるだけだということ。
最後に、なぜ、実際は7-8名で10名ではないか、というと、高度な仕事では、勉強中のひとが、1-3名はいるからです。私のグループでも、組織上の長は、違う専門性からきた人なので、まだまだ「価値創出」の戦力にはならない。また、若手社員も勉強中の卵は当然にいる。ということから、リーダーシップが取れるひとは、10名中で7-8名位を組織として目指すことになります。
追伸:
アイエンガーさんの「選択の授業」2回目が、今日放送ありました。慶應義塾のMBAの生徒向けです。内容は、オリジナルの白熱教室よりもわかりやすく、優れた授業なので、高校生の子供にも録画して見せて、解説をするつもりです。
以下は雑談です。「情報に基づく直感」というくだり。ちょっと気になりました。私見では、別の説明のアプローチが有力ではないかなと思っています。それは、「情報」というものが独立に外部にあるからではなく、「関係性の中で見出される」から出発するとわかりやすいということです。先見性のない(=企画力のない)選択とある選択を結果的に分ける部分であり、「情報」という言葉を使わないことで、初めて見えてくること。情報という、何か出来上がったモノのイメージをいだかせる単語を使ってしまうことで、先見性を持った選択を行う、あるいはものごとの深い理解へ至る道筋、の説明から遠のく感じがします。「選択」の違いとは、何を「情報」として見るかから始まり、それが、歴史的、経験からの抽出を前提にできることだと、つなげて考えるべきだろうと思います。
通りがかりの企業人さん、
わたしは、企業人さんとは、それほど必要な人材のイメージでは違いがないのではないかと思っていますが、おそらく今、少しお互いにイメージが違うことがあるとすれば、わたしが、国や企業の大きなところのリーダーシップの問題を、今、とても気にしているからかもしれません。
おっしゃる点は、理解と納得はできていて、特定の専門家集団においては、専門性でやっていけるような人は、数千人から数万人毎年必要なので、その部分の教育は必要だというイメージは持っています。東南アジアや中国の若者たちにも負ける日本人が多いように見ている点も一緒です。
それから、専門性が高いとはいえそこの部分に特別の高度な知識がどの程度求められるかの点ですが、企業人さんの企業がよって立つ専門分野と私の企業のよって立つ専門分野では、明らかに違う特徴がありそうですね。当然、企業のビジネスモデルおよび企業のキャラの違いで、影響をうけるところがあるだろうと考えます。
ご意見、ありがとうございました。































