アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
適性さん、
雑談のつづきです。
ほろ酔ですみませんが。
・・・たとえば、オペレーションナルな仕事では、軍隊的なヒエラルキーがもっとも効率が良いですね。
リーダーがいて、場合によりサブリーダーがいて、一般人がいる。軍隊がこの組織ですし、
(ある種の確立した公共サービス業は、この仕組み。警察、役所、民間でも鉄道などはそう。製造業でも製造現場のかなりの部分ははそうです。)
しかし、知的生産を求められる社会であれば、同じ地位のフラット組織で十分です。そこにリーダーの存在は、大きいものではなく、リーダーシップ。キャラでエッジが立った、専門家集団がいて、そこでは、場面場面で「リーダ-シップ」がダイナミックに人から人へと移って仕事が進む。ここでは、”階層”が意識されない。リーダーとは、「看板」以上でも以下でもない。知的成果物は、すぐには結果が見えませんが、それでも5-10年経てば成果の有無は自明。潰れるような会社でない前提で、個人の報酬も自然に成果ついてくるものと思って良いです。(だから会社選び、職種選びなどには真剣さが必要で、重要です)
わたしは、オペレーショナルな現場で働いたことはありません。製造業なので、身近に見てはいますけど、常に、専門家集団での仕事を期待されて生きてきたので。
今、こどもは文系コースですが、明確に文系的な知的社会でのキャラ立ちを意識して勉強しはじめています。・・かれがいつ、ブレークスルーし、全知全霊を傾け戦いとるべきテーマを見出すかは、わたくしにもわからないけど、「価値」を見れるようになり、「選択」に資する歴史的なものの見方、そして真の企画力を身につけることができれば、いつかは仕事ができるイメージを持てるのではないか、そういう期待をしています。
今、「大部分の大学の存在価値がない、とわれわれは見はじめている」とだけは、言葉に出して、明確に伝えています。
それは親としてではなく、一人の日本人の大人として。
量的としては、下記は、本当に大事だとAgreeします。(笑)
<適性さんWrote>
「立場的リーダー」でない場合は、自分は『非』リーダーという意識。から 「立場的リーダー」でない場合でも、局所では、自分は「リーダー」的動きを意識する。 (決定権があるかないかは、別にして)
だけで・・・「大きな違い」になるかもしれません。
でも、下記は、ちょっと違う見方をしています。
わたしは立場的リーダーが、自分の仕事がオペレーショナルではないと気づいても食券乱用で威張っているようなケース(たとえば一部の勘違いキャリアの役人など)は別にして、普通は”気づいていない”のだと思います。そこまで、リーダシップのあり方を掘り下げる人はいないからです。
それから、適性さんが書かれたプロセスはたどらないとわたくしは思います。
知的生産現場では、「立場的リーダ」(≒「無能なリーダー」のケースも多くある)がアサインされたとたん、リーダシップのダイナミズムが人々を奮い立たせ、高度な組織体に変容するメカニズムの第一歩が、そもそも潰える。で、そこで、立場上のリーダーが肩に力を入れて、「リーダ-」たろう、あるいは「リーダーシップ」をとろうとすればするほど、それは人工的なもの、ミリがあるもので、人を動かすものではなく、傷は深くなるのではありませんか?
むしろ、だからこそ、「ラジオの時間」がその”解”のひとつです。・・・すなわち、カオスから、真のリーダーシップの切り結ぶ”緊張感”が価値を発見させ、組織の力を飛躍的に高める。これが前に進む原動力足り得る。・・知的社会の組織の「変容」です。これはきれいごとのプロセスではなく、「混乱」を経たもの、火中に栗を拾うもの。
・・蛇足で書けば、わたしは地域・時代さんの「リアルな世界」に思いを馳せるとき、
この火中の栗をあえて拾う彼女をイメージできる、だから全く違う世界に生きていても、しばしば、会話が成立するのでしょう。
<適性さんWrote>
しかし・・これは、前提として・・・環境的な問題があって・・・先に・・・
「組織」「立場的リーダー」が、局所の「リーダー」的動きを、推奨する。各人も、そこを意識した動きをする。そして、それを、繰り返し、レベルを上げていく。 『局所的』のリーダーシップによる、ある種「混乱」を、コントロールする方法も、メンバーに、共有される必要があるかもしれません。(フォロワーシップも意識させるなど。)
難しい話は良くわかりませんがリーダー的気質というのはあると思います。問題はそういう子供が社会的に影響力のある立場に立っているか?・・・・ということ。
学歴のある人物が社会的にはリーダー的位置に立つ(出世する)ことが多くてもその人物にリーダー的気質がないなら・・・・・・胆力もないしここ一番の大勝負などもできないでしょう。
あちこち周りを観たり将来の保身を考え結局無難で事をすます。
私が子供の頃のガキ大将なんて「大人になったら社長や自営業やるだろうな」と思わせる人物でした。後年カナダに渡ってレストラン経営しています。
なぜかというと・・・・・遊びを造る才?に溢れているというかガキの一団を引き連れて次々と遊びをリードしていく。その人がいないと皆が退屈する。
喧嘩も強くて卑怯なことをしない。子供目線で見ても尊敬されている。手先が器用で竹馬を作るのがうまいしペン画も戦闘機など迫力ある絵を描く。
ああいう人が勉強も得意で学歴もつけて一国のリーダーになっていくということは昔はあったと思う。自分で遊びを考え出す。冒険に繰り出す・・・・・こういうことは今の中学受験時代の子供たちには望めないのではないだろうか?
今の親は圧倒的に過保護ですしね。遊び=受験勉強に差し障る なんて発想する時代からはスケールの大きな人間は・・・・・生まれない気がします。
リーダー湿布を育むということに関しては、
私立小ではいろいろやっていたりしますね。
自信をもたせ、自分で考え、自分で能動的に動く機会を数多く用意していたり。
公立小では、、、先天的な資質のみに委ねられている印象。
リーダーはストレスに強くないといけないと思いますが、その資質は日本人の約3%にしかない(セロトニントランスポーター調節領域として)です。
学業成績とは別なんで、無理しない・させない方がいいと思いますけどね。
量的さんの【2691808】 の投稿を読んで、
「踊る大走査線」の室井さんと青島くんたちの関係を思い出しました。
あの映画のなかでの部下の立場としての違いは、
自己判断で臨機応変に能動的に動くことを求められるのか、
or
上からの指示により自らのスペシャリティを発揮するのか、そこでした。































