アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
みなさまお久しぶりです。
ちょっとへばっているので一言だけで失礼します。
エートスの話、興味深く拝読しております。
私流にいうと、
・勉強しないほうが偉いかのようにふるまう
・一生懸命勉強して良い成績を取ることを潔しとしない
・それでいて、実は、陰で勉強している。
・勉強して成功をおさめると、自分はいかに勉強しなかったか、自慢げに語る。
ということになります。
この、最後のくだりだけ読んで、前段を知っていて無視したり、本当に知らなかったりして、ミスリードする人は少なくないように思います。
なぜこのように屈折した人が多いのか、私にはよくわかりません。
■多分さん
多分さん、お久しぶりです。
引用通りですか~。それは、それは・・・
まあ、皆さんが語ってくれたように、学校「毎」にも、いろいろありますけど・・・・ある時代の都立のトップ校という枠でも、「匂い」があるのでしょう。
笑えるので、いいのではないでしょうか?(笑)
■企業人さん
>ちょっとへばっているので一言だけで失礼します。
風邪もはやってますので、体調には、気をつけてください。
公立でも、国立は、国立の、「匂い」がありそうですね~。
>エートスの話、興味深く拝読しております。
>私流にいうと、
・・・
そういう、ある種の「ふり?演技?」は・・自己形成に少なからず、影響をあたえたでしょうね。
でも、本当に、勉強しないなら・・結果がでるわけないのに、
当時?は、・・圧倒的結果を出していたとこが・・「特別感」だったのでしょうが・・・
だんだんと・・結果も落ちてくると・・・現在?の都立のように、「特別感」も、徐々に失われたのは、しょうがないでしょうね。
自分の学校の過去の栄光を見ても、「なぜ、こんなに勉強しない学校なのに?昔は・・なぜ?」と思い。「まあ、頭の構造でも違うのだろう」という結論になったりして。「でも、伝統の自由はいいよね。」って楽しんじゃうのかも。
自己レス追加。
企業人さんの出た中学みたいに荒れてなければ、都立組はクラブ活動なんかで中学の間に仲間意識が強くなってるんですよ。
つまり、貧乏な家の子や頭のそれほど頭の良くない子たちに対するシンパシーが生じる。
自分だけ勉強して”良い学校”に行って楽チン裕福生活をするってのに、何か潜在的罪悪感を感じてしまうんですね。それが屈折の原因かなと思います。3校目土着組の論理の根底もそこなんじゃないかな。
小・中からの私立組や国立組には分からない感覚なんでしょう。小学校かずっとら国立だった女性が大学のとき「公立の人と関わるのが怖い」って言ってました。
・勉強しないほうが偉いかのようにふるまう
・一生懸命勉強して良い成績を取ることを潔しとしない
・それでいて、実は、陰で勉強している。
企業人さんお久しぶりです。
当時ガリ勉が尊敬されなかったのには・・・・・「受験勉強ばかりやっていると人間が狭くなる」・・・・・・・という考えがあったことは確かです。
自分が興味あってやるものと違って受験勉強は「仕方なくやる」「やらされるもの」という雰囲気があって・・・・何だか本物の感じがしない。
クラス討論や全体行事をさぼって受験勉強なんかしているのはエゴの塊のように見られて肩身が狭いんですよ。
要するに「受験勉強などより青春時代には大事なことがある」というドグマがあってそれに逆らうのは相当な勇気を要する。それを軽々超えて本音丸出しで受験勉強に精出すのが関西の学校というイメージがあるんです。
多分関西の人が言う「ええかっこうしー」なんです。やせ我慢というかなんというか・・・・・・そろそろ俺も受験勉強しなくちゃいけないな・・・・・と思いながら関係ない本読んだり朝まで徹夜で政治を語ったりしてしまう。
本音丸出しはかっこ悪い。がり勉はてめえのことしか考えないエゴイスト。必読書を読んでいないのはインテリと見なされない・・・・・高校時代を受験受験で終わらせるのは「生きながら死んでいる」と思われてしまう。
そんなことやっているから浪人必然となる。まあ・・・親も稚気を大目に見て何かを一所懸命やっている姿を見せておけば安心していたんです。子供に対する信頼が厚かったというか・・・・その高校に入った段階で親も教師も潜在力を認めて今はどうしようもないが・・・・いろいろプラスアルファを身につけるのが高校時代だ・・・・と達観していたんです。
事実、いい加減にやって今の中高一貫生の生活からはかけ離れた無駄を腹一杯食らって卒業して予備校通いしても・・・・・・うん十年すれば皆それなりの地位についている。
これが昔の首都圏県立トップ校です。































