アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
白砂様
白砂様のお話ものすごく面白いです♪
これまですごく真面目な話題の時にしっかり書きこんで下さっていたので、私の中でイメージが変わりました。
めっちゃ面白い方なんですね!!
同じ高校で両極端の校風。
確かに、Bが先でAがあとだったらまた見方も違っていたかもしれませんね。
中学受験もなさっていたという事、色んな環境を経験なさっているのですね。
また、その多様な目線で色々教えて下さい。
うちの地域は、転勤族が多いです。
上のお子さんが小学校の高学年になったら、多くの家庭が単身赴任になっていました。
環境の良い中学、公立も強い。単身赴任家庭も多い。
パパ達も安心して家族を残していけるのかな?
また、、悲しい事に、家を買ったら辞令が出る、というのがジンクスで。
ママ友は皆、覚悟を決めて、お家を買っていました。
「これで、パパは単身赴任よっ」って。
そして、待ち構えていたように家を買ったら一年以内に辞令が出るんですよ。
これは、もう会社は意図的なんじゃないかな?って気がしてます。
実際のところどうかは知りませんが、一件だけでしたね。
家を買って一年以内にパパに転勤辞令が出なかったのは。。。
昔は単身赴任は少なかったのですね。
こういった部分でも、時代の変化はあるのですね。
ええかっこしぃ・・・今なら私もわかります。
でも当時A高校では、入学一日目から先輩伝のシャワーを浴び、部活でしごき倒され、宿題の波に押し流されて、
まさに思考停止状態。
とにかく学校の言うとおりにやっていればいいのだ!的な教育で・・・A高校の先生方恐るべし!です。
でも生徒も親もむしろそれを歓迎していたというか・・・それで現役で国公立へ!のような考えだったかと。
そういえばあまり豊かな地域ではありませんでしたから、生徒にも親にも余裕がなかったということ、
あるかもしれません。
それでも努力すれば上に上がれる、と皆、先輩たちの実績を見て信じて頑張っていたのでしょう。
ちょっとA高校のHPを覗いてみましたが、当時ほどの勢いはないものの、今でも進学校のようです。
部活も相変わらず強制みたいですし。(笑)
地域、時代様
うちの父、私が大学生になってもまだ、転勤してたんです。
さすがに大学は転校できませんし(笑)家も買っちゃったしで、とうとう単身赴任となりました。
これはこれで大変なんですよね。二重所帯になって、お金もかかりますしね。
私は、たいていどんな経験でもなんらかの肥やしになると考えていますが、それでも、息子には
やっぱり、落ち着いた学校生活を送ってほしいと思いましたね。
>>白砂さん。
のA高校は日比谷でしょう。
当時の教育委員会の露骨な日比谷潰し。
全く格違いの高校とトリプレットを組まされた。
だから無理やり地に落とされた。
西などは、ほとんど同レベルのペアだったのに。
だから比較的没落せずに済んだ。
B高校は、神奈川の県立トップでしょう。
組合思想に洗脳された義務教育を受けた生徒達が作り出す、公立トップとは名ばかりの雑然とした教室内環境。
教員達も低きに慣れきっている。
プロ教師の会の刊行物で、九州の公立トップ高から神奈川公立トップ高に転校した女子高生が
九州時代の担任に、神奈川公立トップ高の学習環境の劣悪さ(落ち着いて勉強する環境が無い)を
切々と訴えた手紙を読んだ事があります。
■白砂さん
転勤や引越しは、多様な経験になるに「決まっている」のだけど・・・文化圏が変わると・・
自分のバックボーンを、曖昧にするってことでもあって、根無し草?的な、無所属感が・・・匂ってしまうことがありますね。
極端な例だと、ハーフや二重国籍だと・・そういう人は、自分の国?とは?
が悩みの一つになり、どちらを選択?しても、中途半端にしか受け入れられていないという感覚になったりするらしい。
転勤や引越しで、自分の育った?地域が、複数だと・・日本人だけど、とか、東北人だけど、関西人だけど、河内だけど、関東人だけど、江戸っ子だけど・・・ということさえ、はっきり、言えないわけですよね。
(まあ、東京は、もともと、それが言えない人が、多いのでしょうけど)
だれだったかな?忘れたのですが・・・「そこ」に深い悩みを持った学生?が、ある先生が、
「コスモポリタニズム 世界市民主義というものがある、コスモポリタンになればいい。」
と言われて、救われたらしいですが・・・・
理屈は、わかります。上(世界)に上がれば、いいのですから。
確かに、救われたのなら・・よかった、よかったですが・・
でも~正直な個人的感想はちょっと飛びすぎてる感がありました・・・世界市民の実感??って持ち続けられるのかな~ってね。ぜんぜん、悪くないのですけどね。
他の納得のしかたは・・『架け橋』という役割とかでしょうか?そちらの方が、納得感があるのですけど。
しかし、これも、どっちの味方??みたいな話になると・・ややこしい。
両者に、「感情的」な対立軸がある場合は、気持ちよ~く、片方を、糾弾できないのですよね~。たいてい、気分がわるくなる。
だからね、公立、私立についても・・・・
完全公立賛美派は、きっと、私学糾弾に、葛藤が生じないのですよ。
■動機さん
「表向き」勉強することを・・『肯定する、文化』と、『否定する、文化』?
『否定する、文化』は、本当は、●●より勉強を「優先」させることが問題なのですよね。
●●を、する価値を、大切にしているということですから。
確かに、勉強より、優先することは、沢山、あるのですからね。
しかし、●●があろうがなかろうが・・関係なく、勉強する「匂い」を出すことを、『とにかく否定する。』文化は・・・もう、難しいよ。(動機さんの理想論は、わかるけど)
それでも、否定しながらも、『まるで肯定したかのような・・結果』をだしているならば・・その方法は「肯定」される。その文化は「肯定」される。
だって、『誰も、困っていない』のだから。肯定していい。
しかし、『結果』がでなくなっても、『とにかく否定する』そして、否定したとおりの「結果」になる。
『ふり?や演技?』のない、否定は、「実際しないのだから」結果も・・そのまま、否定になるに決まっている。
勉強することも肯定し、勉強以外のことも肯定することは、何の矛盾もないのだから・・それでいいと思う。
勉強を肯定 = 勉強を「全て」に優先させること ではない。
その時々で、優先させるものを、変えていくのだから。
中高一貫進学校が・・勉強以外を「肯定」し、それに「皆」集中し協力する姿が、『ない』と思っているのは・・・まあ、勝手なんだけど・・・あるよ。
でも、時代として、政治論争とかは、ないのだよ。
この本を読まないとエリートじゃない、バカにされるってのも、ないのだよ。
それは、時代としてね。
動機さん
みなさま
コメントありがとうございます。
考えてみれば当たり前なのですが、おぼろげながら、自分の違和感の原因がわかってきました。
私は、「勉強」と書きました。
動機さんは、「受験勉強」と読み替えてレスをくださいました。
このあたり、かと。
結論から申し上げると、今の、東大、京大などの入試は、それなりに良く出来ていて、センター試験は、難易度は高くないけれどそれなりに練られていて、本物の「勉強」ではないと太刀打ちできないのではないか。
それなら、勉強と受験勉強が違うのか、同じなのか、ということなのですけれどね。
わかりやすい例で、英語なんですが。
大学受験頻出構文、とか、頻出単語集、のようなものを無理やり暗記するより、新聞読んで、小説を読んで、英文で要約をつくったり感想を書いたりして教養あるnativeに添削してもらったほうが、よほど近道かと思うのです。
(普通の英語の先生は、残念ながら実力が低すぎて、正しい英文添削はできないと思われます。たいへん残念ですが。。。。)
これで、英検準一級、あるいは、TOEIC800くらい取れば、日本の大学入試で見劣りする点数を取ることは、たぶん、ありません。
漢文なら、白居易の長恨歌読んだり、片っ端から律詩でも読んだほうが早いのではないか。
そうすると、勉強と受験勉強の違いはなんだろう、と思うわけです。
一般に考えてられている受験勉強、第一志望校の入試問題を的確に予測し、もっとも効率よく学習範囲に志望校の出題がはいるように学習範囲を設定する、というのは、実は、予備校に乗せられているだけではないか、というふうにも思うのです。
私の高校にエートスがあったかどうかはわかりませんが、授業は高度に趣味的で、定期試験はむちゃくちゃ難しく(100点満点で平均13点、という数学の試験もありました)、偉そうなことを言っていて点数の取れないやつも、しこしこやってそれなりに好い成績残すやつも、お互い許容しあっていたように思います。
前に片山さつき代議士の例を出したことがありますが、ああいう、猛烈に勉強してあっけらかんと強烈な上昇志向を隠さない女性も、べつに陰口をたたかれることもなく、ふつうに(数多く)存在していました。私は苦手、ですが。































