アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
公立高校にエートスだか校風だか知らないけれど?
そんなモノ!
その時代の其の学校の進学者所属階層の雰囲気が反映されるだけの事で!
学校としての連続性は無いんだよ~~~!!!
あるのは!
其の時・其の学校内の雰囲気だけ!!!
建学の理念は無い!
教員はローテーション人事で移り変わる!
生徒の所属階層と雰囲気は!
その時点の政治・社会情勢と学校序列で変化していく!!!
社会変化と学校序列の変化がゆっくりと進展して行くから!
局所連続性が保障されて居る様に見えるだけ!!!
同じ変化でも!
社会変化に適応しつつ生存を掛けて行われる!
価値を上昇させる為のアクティブな変化とはチガウのよ~~~!!!
う~ん・・・・・校風というかどんな雰囲気の中で高校生活送ってきたかは実際のところ自分では良くわからないんですよ。やってきた事実はいくらでも書けますが。少なくとも大学入学後に駿台模試を受けるような受験マニア人間は一人もいなかった。
そもそも受験、受験でいつも頭が占領されているなんてことはまるでない。片手間に受験勉強やってあえなく撃沈というのが大方で・・・・・当時現役生相手の予備校なんてのもなかった。せいぜい通信か夏期講習かラジオ講座ぐらい。
旺文社のラジオ講座聞いた人はどれくらいいますか? その前にハリス先生の「百万人の英語」があったですね。 最終講義で先生たちが寮歌など歌ってエールを送ってくれた。三高寮歌歌ったのは勝浦捨三先生だったかな?
さらに思い出しましたが昔は東大合格者ラジオで出身校とともに発表していましたね。人数が多いのでかなりのスピードでアナウンサーが読み上げて。知り合いの兄貴が合格しているのを聞いて「やった」と思ったものです。
周りの人からどう見えるか? ・・・・・・・というのがいわゆる臭さや体臭なんじゃないかな。
我々が先輩に感じたことをやはり周りの人は我々にも感じるらしい。似たような性向、ものの考え方、ある出来事に対するリアクションの仕方・・・・など共通項があるらしい。 それは大方ほめ言葉だから我々の青春時代もまんざらではなかったのだろう。
動機さん
>要するに「受験勉強などより青春時代には大事なことがある」というドグマがあってそれに逆らうのは相当な勇気を要する。
>それを軽々超えて本音丸出しで受験勉強に精出すのが関西の学校というイメージがあるんです。
>多分関西の人が言う「ええかっこうしー」なんです。やせ我慢というかなんというか
正直、私はそれを「かっこいい」と思わないんですよ。
「受験勉強などより青春時代には大事なことがある」とは思ってますが
それに縛られることは、他人の目が評価軸になっちゃってる気がします。
>本音丸出しはかっこ悪い。がり勉はてめえのことしか考えないエゴイスト。
>必読書を読んでいないのはインテリと見なされない・・・・・
>高校時代を受験受験で終わらせるのは「生きながら死んでいる」と思われてしまう。
そう思うヤツがいてもいいし、そう思わないヤツがいてもいい。
私はそのように考えるし、おそらく息子もそうだし、息子の通う学校の雰囲気もそうだと感じています。
前にもチラッと話しましたが、
スキー研修旅行(任意参加)の行き帰り、バスのなかでずっと勉強している子がいるそうで。
誰にやらされているわけでもなく、ただただ勉強が好きな子だそう。
じゃあ家で勉強してればいいのにと人は思うんだけど、スキーには来るんです。
その子のことを評して息子は、軽蔑するでもなく賞賛するでもなく、
ただ「おもろいやっちゃ」と。
言うまでもなく、
関西では「ええかっこうしー」は悪口のニュアンス、「おもろいやっちゃ」は褒め言葉のニュアンスです。
関東と関西は雰囲気が違いますよね。
私の居た高校では、医者家系でもないのに医学部を受けるというのは、かなり心理的抵抗がありました。
その頃でも一部の医学研究には物理・化学・数学は使われだしていたのですが、それを良く知らないいわゆる理系オタクが医学部を受けるというのは、”金・女目当てなんか?”みたいで、恥ずかしかったのですね。
理3に行くのも数学・物理トップの生徒ではなく、これまた”頭に自信がないせいだな”、みたいな評価でした。
今では、あの時1じゃなくて3と書いていたらどんな人生だったかなと思う事もありますが。
Anyway, back to work. であります。
まったく、流れに関係ない、雑談です。
■まあ、ここでも、中学受験が「教育問題」の、まるで、『全ての元凶』であるかのような、主張もあります。
でも、疑問なんですよね・・つまり、因果関係としてどうなの?ってことです。
別の話として、弊害っていう、個人のリスクって話もありますね。
個人のリスクがあるからと・・『外部から強制的に制限する』ってのは、基本的には、権利を奪うってことです。リスクコントロールは、本人の責任でするのが、基本のハズです。
個人の自由ですからね。
個人の自由を奪う場合は、社会的問題として、他人に直接被害があるとか、その個人へのリスクが確定的である場合は、まあ、ありだと思います。(例えば、覚せい剤とか)
びみょーな話として・・タバコの話をしましょう。
一般人?は、肺がんの主な原因は?という問いに・・・・
「タバコ」と答えますね。(アスベストもありますが・・普通の生活においてと考えると)
私も、前提として、「個人」単位では、タバコが肺がんリスクを「高める」ことは、別に、疑ってはいません。健康によくないと思ってますしね。
タバコを「社会的」問題として・・確かに「肺がんでなくなる人や、苦しむ人が、少なくなること」は、「よいこと」と定義できます。人材の損失・・医療費の抑制・・などなど
その為には、タバコの制限や禁止という政策も、ある種の、説得力を持ちますよね。
肺がんの、『主な原因』を、タバコだろうと考える、私たちは・・・
喫煙率が『下がれば』、肺がんでなくなる人も『下がる』と、思いますよね??
もしくは、肺がんの上昇率が、顕著に、抑えられるとか・・・・
社会的データでも、顕著な影響があるだろうから、タバコを社会的に敵視したハズだろうと・・
しかし・・このグラフ・・・どうです?
http://www008.upp.so-net.ne.jp/takemoto/D7_85.htm
まったく・・・そんなこともないようです。
影響が見られないというより、「逆」の結果になっているわけです。
逆のデータの中には、すでに、喫煙率の効果が反映されているのでしょうけど。
期待するのは、喫煙率が下がれば、顕著に、肺がんも下がることだったハズです。
※私は、個人的には、喫煙率が下がればいいと思ってます。好きではないのでね。
すくなくても、原因の一つではあるが・・・他の要因(原因)を、特定し対処しない限り、肺がん率は下がらないということではないでしょうか??。
私は、タバコ吸わないので、いいのですけど・・・たまに、悪者にされる、喫煙者が、かわいそうにも思えてきます。
自分のリスクで、他人に迷惑かけずに、やればいいだけじゃない?ってね。
皆さん、どう思います??なんか、びみょーじゃないですか?
適性様
どうなんでしょう。単にピークがずれてるとかいうオチじゃないですよね。
癌じゃなくても、真っ黒けの肺で酸素ボンベ引っ張りながら歩くのは辛そうです。
でもまあ、喫煙者は3年半寿命が短縮するそうですが、年金負担が浮くから国の財政にはいいのかもしれませんね。
こんばんは。
適正様が因果関係のことを書いていらしたので、ここのところ、ずっと思っていたことを書いてみます。
専門の方からご覧になるとまたいろいろなご意見があるかとも思いますが、以前読んだ「データはウソをつく―科学的な社会調査の方法」という本がとても参考になりました。
うろ覚えで書いていますが、冒頭に 紙おむつを使用すると、キレる子が多くなるという調査の正当性(実は全然関連がないものを関連付けて捉えてしまう)について書いてあったと記憶しています。
上の肺がんの件についても、他要因が加味されていないからの結果ですよね。きちんとしたデータを調べたわけではないのですが、たとえば、ひとつには、死因がガンである人自体が増加しているという背景があるかもしれないとも思います。現在ガンで亡くなる方が増加しているのは、長寿化の結果(つまりは治せる病気をどんどんなおしていくと)死因がガンになってしまうことが増えるという結果だと聞いたことがあります。
たしかに、お年寄りは多くガンでなくなっています。また、昔はガンだと診断がついていなかったものもガンだと診断が下ることも多くなってきていると思います。ですから喫煙率の減少と単純にガンで亡くなった方の数字を比べるということ自体が因果関係を語るには弱いという結果ではないかと個人的には思っていました。
本来は、肺がんで亡くなった方の喫煙歴や家族の喫煙歴、生活環境でタバコの煙に触れるかなどの情報がわかればよいのでしょうが、それが取れない状態ですよね。
話は教育からはそれますが、
https://aspara.asahi.com/blog/ishin/?page=18
こういう話もありますよ。
で、適正さんがおっしゃりたいことは、大きく同意です。
「中学受験が「教育問題」の、まるで、『全ての元凶』であるかのような、主張もあります。
でも、疑問なんですよね・・つまり、因果関係としてどうなの?ってことです。」
この部分ですね。































