アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
公立一貫様
そうですね~。
短期の誘惑ほど溺れている間は楽しいかも。
しかし、その後が、、、。
その後に修正がかけられる程度の誘惑にちょっと身を任せてみる、これくらいが親となり、伴侶がいる私達が出来る精一杯の溺れ方?なんでしょうかね。
なんか、書き込みの前に空白が出るようになったのですね。
この反映の仕方だと、書き込みが、詩のようで柔らかい雰囲気になりますね♪
大阪は今日は雨ですごく寒いです。
子供さんの体調管理に気をつけてあげて下さいね。
■地域、時代さん
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「誘惑」
私がこの言葉を使ったのは芸術と誘惑の相関性は非常に高い。
と思っているからなのですぅう~。
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そうだと思いますぅう~。(笑)私も。
「これ いいな!」と思うってことですからね。
絵 でも 音楽 でも 文章 でも・・「食べるもの」でも・・・
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短期の誘惑ほど溺れている間は楽しいかも。
しかし、その後が、、、。
その後に修正がかけられる程度の誘惑にちょっと身を任せてみる、これくらいが親となり、伴侶がいる私達が出来る精一杯の溺れ方?なんでしょうかね。
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>親となり、伴侶がいる私達
は、「守る」という枠?や制限?があるので・・・「なんでもあり」はないですからね。
しかし、その枠や制限が、もたらしてくれる・・・おもしろさ や たのしさ や カオス も、魅力的です。
例えば・・子供がいるから・・・孫の可能性があるわけですし。(笑)
「枠」の中の「自由」のほうが、実は、自由なのではなか?。
という逆転の発想?したほうが・・より楽しめそうですよね。
■地域、時代さん
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なんか、書き込みの前に空白が出るようになったのですね。
この反映の仕方だと、書き込みが、詩のようで柔らかい雰囲気になりますね♪
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よくなったと思います。
レイアウト と フォント で、雰囲気かわりますよね。同じ文章でも。
■動機さん、地域、時代さん
またまた、雑談です。
映画「コクリコ坂から」見まして・・・今頃~。
想像以上に、よかったですね・・・・吾朗くん頑張りましたね。
たしかに、全体の雰囲気は、昔の「伝統公立校」的だが・・・
理事長?(出版社社長)に直談判ということは・・私立の中高一貫校という設定??らしいですね。
さて、公立なら、どこに、直談判に行くのでしょうか??。
昔?は、OB寄付金で、体育館などを作るってなことも、公立でもあったのですが・・・
映画の校舎や建物は・・モダンクラッシック?・・そして、並木道・・・
皆さん・・「あの学校の雰囲気に、似てない?」・・などなど・・あるでしょうね。
監督は、多分、いろいろなディテールを、組み合わせて、作られているのでしょう。
伝統と愛着のある、空間・・を守る、残す・・ってのが、テーマでしたね。
それに比べ・・
私の時代の。多くの(中学、高校)公立は、コンクリートの「機能的」・・箱・・でしたね。
私も、校舎への、思いは、あまりない・・・
その後立て替えられても・・「きれいになってよかったね。」です。
変えるにしても、残すにしても、「愛着」を持つような・・自分の記憶とつながるような・・「美的?」ものが、空間として、あまり、なかったのですよね。
それは、「普通」なんですから、しょうがないのでしょうけど。
うちの子の、学校には「象徴」になるような、風景?があるので、それは、とても、うらやましいですね。
もし、自分なら、好きになる風景?というのでしょうか?
ただ、高校時代の記憶は、学校にとどまらず、学校の「周辺」と「通学ルート」に広がるのですけどね。
駅(踏み切り)商店街(のおばちゃん)川や橋(部活で走るルート)などなど・・あるでしょう。
もう、自分の学んだ、校舎ではない、人も、けっこういるのではないでしょうか?
同じ「風景」を共有すること、同じ「雰囲気」を共有すること・・・・・それが、多くの人に支持されるなら・・なんとか「残そう」と思う気持ちが「力」になるのだと思います。
そういうものは、機能的でも、合理的でもないし、不要な労力さえ必要なのだから・・・・残す意味としては、「不利」ではありますが・・大切にするものって、そういうものも多いですよね。
では・・大切にするものは・・・気にかけて、「労力」かけないと・・「いつの間にか」なくなるってことです。
また、こういうものは「余計なもの」なので、ある種の「合理性」とセットにしたり、絡めたりしないと・・生き残れない・・そこは、戦略的であることも必要でしょうね。
芸術家が、生きるには、買う人が必要で・・スポーツ選手が生きるには、観客が必要で
学校が、生き残るには、入学希望者が必要で・・・・というように。
ある種の「合理性」を、完全に、排除すると・・・たぶん、衰退するのでしょうね。
どんな素晴らしい「余計なもの」も、人なしに、残るわけがないですからね。
映画では、理事長?が、あまりに「ものわかりのよい大人」ということで、「合理性」なんて関係ないのです。
文化部部室棟「カルチェラタン」の取り壊しをやめ、別の場所にも、新しい部室塔を建てるという、「太っ腹」というか、「余裕」があった時代なので・・・「合理性」なんて、要求されないのでしょう。
現在は、背(余計なもの)に腹(合理的もの)はかえられぬ
と・・いろいろ、消えていく時代なわけで・・・そこは、知恵と工夫が必要なのでしょう。































