アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
「枠」の中の「自由」のほうが、実は、自由なのではなか?。
という逆転の発想?したほうが・・より楽しめそうですよね。
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適性様
これは、そうなのかもしれませんね。
ここの部分。
以前も書いた事があるのですが、自由に発想が出来るタイプは、「好きなように」と言われるとワクワクする。
しかし、それが苦手な人は「一定の規則」を設けられる方が「やりやすい」→「楽しめる」事につながるのでしょうね。
ぬり絵 なんかがそうかもしれません。
絵を描くのは難しいけど、ぬり絵は得意。みたいな。
あと、少し高度になってくると、デッサンは得意だけど、、という人もいる。
置かれた静物画を描くだけならものすごく上手なんだけど、自分が構図を決めて、となると、それそのものにセンスがナイ、、、みたいな人もいる。
ある種の「合理性」を、完全に、排除すると・・・たぶん、衰退するのでしょうね。
どんな素晴らしい「余計なもの」も、人なしに、残るわけがないですからね。
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適性様
私は、人間も物も「形」というものには、根っこに「合理性」があるんじゃないか?と思う事が多いです。
動物ににオスとメスがいて、子供が生まれる。
その子供は環境に適応するように生まれてくると思うのですね。
「適応→合理性」と考えます。
また、物の綺麗な形ってある程度決まっている事が多くて、私は「美=合理的=強さ」という捉え方をしているのですね。
私の中で長年変化していない美意識の中に
「美しいものは強い」という価値観があります。
かなり詳しく説明しないと、わかりにくい表現なので、明日じっくり書かせて下さい。
例えば。。。
肌が荒れる→強い肌の方は荒れないのですね。ですので肌が美しい。
髪に艶がなくなる→。髪が健康でなくなったわけなんですね。健康な髪の毛は子供のような艶々の髪であるわけです。
そこを、女性達は「美しさを取り戻そうと一生懸命化粧品やトリートメントなどで 強い状態 に見えるように頑張るわけです。
(加齢が始まっている自分がらみで話をしてみました、笑)
美女というものには基準がある。
ここでは「好み」は一切排除して考えます。
ミスユニバースやミスコンなどで美しい。とされる「基準」みたいなもの。
顔の黄金比率みたいなもので、真正面から、横から、など鼻と顎の角度、みたいな一定のバランスの基準は存在しております。
ですので、美人というものはわりと「似たような顔」になる。
プロポーションにも比率はある。やはり人は八頭身が美しい。
あまりに小さい頭過ぎても、足が長過ぎても、なんか違和感がある。
つまり「美しい」とされるものには「基準→見て心地良い」ような「基準」が存在している。
私はその「美→強さ→基準」という事は「合理性がある」と捉えるのですね。
これが、長年「美」というものと向き合ってきた私の中にある考え方です。
そして人というものは、上で適性様がお書きになったように「基準ー合理性」からほんのちょっとだけ逸脱した「よけいなもの」を「違い」として人は捉え、その美女の「個性」と評し、その部分に強く惹かれる。みたいな。。。
「よけいなもの」(合理的でないもの)の部分に「強く惹かれる」ような気がするのですね。
異性の好みというのは千差万別で、上で私が書いた基準の異性に全く興味がナイ。
という方も世の中には多く存在する。
実は、私です。(笑)
私は、八頭身で顔もスタイルも跳び抜けている速水もこみち君みたいな世界基準で見た「カッコエエ男」に全く興味がナイ。
短い手足の頭の大きな男性が好みなんですよ。
これは、もう、誰になんと言われようと仕方ない。
もこみち君に「色気」を感じない。
あまりに整い過ぎていて。。。(外見だけですよ)
そして、私のような人も多く存在するのですね。
ですので、もこみち君が世の女性をほとんどかっさらっていくようなの一人勝ち?みたいな事は起こらない。(笑)
人間の面白さというのは そこ にあるような気がしております。
ですので、今回適性様がおっしゃるところと少し順番が違うかもしれませんが、適性様がお書きになっている事、すごく良くわかりました。
人は、発展すればするほど「合理性」を根っこに持ってはいるが「よけいなもの」に惹かれていく。
これは「集団」にも当てはまるんじゃないか?と思うのですね。
私立中高一貫。
これに話を置きかえると「常に難関大学に一定の割合で多くの生徒をおくり 続けている学校」というものの根本には「合理性」は確実に存在すると思います。
しかし、その学校のカラーは「洗練されている」と思うのですね。
「よけいなものー個性」が学校に出てくる。
ですので、そこを知らない人達から「難関中高一貫は勉強ばっかり」と「合理性だけだ」と推測されると。。。
「ええ~?むしろ、個性ーよけいなもの。の方が多いんちゃう?」と思ってしまうのですね。
私の出身高校だって、うちの子の学校だってそう。
ガンガン勉強だけをやらせるのなら→強い合理性の追求、もっともっと大学入試の結果はエエもんになる。
ところがどっこい。
生徒達は学校生活のよけいなもの満喫です。
「コクリコ坂から」・・・まだ観ていないのですが・・・。
あらすじは何となく知っています。
連れ合いがこの地区の女子校出身でして、私にとっては、ちょっと憧れのある学校でした。ヴォーリス建築の校舎は、本当に素晴らしく、山手の香りを漂わす一つの作品であるかのようでした。
当時は既に大人しい論調になっていた新聞部ですが(連れ合いは新聞部)1930年代の新聞を見ると(文化祭で展示物)、女子高生がこんなにも熱く激論を交わすものか!?と驚嘆した記憶があります。部主導でハイソックスの自由化を進め(当時は足首までのソックス)校則を改変するなど、小さな改革に取り組んでいたようです。(笑)
広告主への営業活動も自分達でやっていたようで、石川町の文房具店や洋食屋さんの広告が目を引きました。
縁あって、今でもこちらに伺うのですが、学生達の発する雰囲気は、似ているようですよ。これがエートスというものなのでしょうかね・・・。
■地域、時代さん
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美女というものには基準がある。
ここでは「好み」は一切排除して考えます。
ミスユニバースやミスコンなどで美しい。とされる「基準」みたいなもの。
顔の黄金比率みたいなもので、真正面から、横から、など鼻と顎の角度、みたいな一定のバランスの基準は存在しております。
ですので、美人というものはわりと「似たような顔」になる。
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ちょと、思いだしたのが・・
以前、華道の家元?(かなり若い先生?)が・・・見て覚えるのではなく・・
まずは、何も知らない人にも、「合理的?基準」を、オープンにして、提供する。
その教え方は・・定規を使い、寸法を出し、例えば、比率が3:7とか、長さは20センチとか・・・
まるで、「設計図」です。
料理の、塩 何グラムみたいなものでしょうか??
そうすれば、素人も、美しく見える「基準」から、そんなに、外れることはない。
そして、基準を、理解できる。
もっと、お花を、気楽に、体験できるようにということなんでしょう。
批判は、されたそうですよ。邪道って言えば、邪道ですしょうからね。
まあ、どっちにしろ、奥は深いのですから・・・
そこから、好みを加えて、個性を出していく・・ということでしょうか・・・































