アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
地域、時代さま
wikipedia で「理」を調べてみました。
「理 (り、Lĭ)とは、中国哲学の概念。本来、理は文字自身から、璞(あらたま)を磨いて美しい模様を出すことを意味する。そこから「ととのえる」「おさめる」、あるいは「分ける」「すじ目をつける」といった意味が派生する。もと動詞として使われたが、次に「地理」「肌理(きり)」(はだのきめ)などのように、ひろく事物のすじ目も意味するようになる。それが抽象化され、秩序、理法、道理などの意に使われるようになった。」
地域、時代様の「合理=美」の直観、スゴイです。
確かに、数学の定「理」も美しい。。。
私が私学派なのも、教育の「理」想や「理」念が大事、だと思うから、なのかな。
理想があり、学校を興す。その理想は、やがて見える形と見えない精神になり、
その学校に、脈々と、生き続けていく。。。
私立中学の説明会に行って、一番感じたことが、校長先生の言葉が、
公立の校長先生と、全然違うな、ということでした。
公立小学校の校長先生の言葉は、ツマラナカッタ。
なんて言うか、どの人も、「管理者=マネージャー」の言葉、なのですね。
そこが、私立は、教育の理想を語る。人の心を熱くする言葉。
「理想を語る」大人なんて滅多にいない、今の時代に。
どこまで子どもの心に届くかは、わからないけれど、
子どもは聞いていないようで聞いている、と思うから、
そういう「場」で育つことは、今の時代だからこそ、ものすごく大事だな、と。。。
その教え方は・・定規を使い、寸法を出し、例えば、比率が3:7とか、長さは20センチとか・・・
まるで、「設計図」です。
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適性様
たぶん、この上にある状態を、「これが得意」という人達は得意分野において「感覚」として捉える事が出来るのかな?
と思う事が多々あります。
信頼感様
奥様横浜出身なんですね。
お洒落~♪
うちの学校は適性様と似たような感じで、すでに私が入学した頃は近代的なコンクリートの建物。
友達が通っていた近所の元旧制女子高の校舎はコクリコの校舎みたいな感じでした。
中学生の頃、その学校の文化祭が盛んだと聞いて、友達と一緒に行ってみたんですね。
コクリコ坂の校舎のような建物と、ほんのりと感じたワックスの匂いを今でも思い出します。
歩くと、場所によっては床がミシミシいうのです。→特にここを強烈に覚えています。(笑)
また、そこの学校は私服だったので、当時流行していたボックススカート&トレーナー、聖子ちゃんカットの綺麗で可愛らしい女子高生の姿に「この学校は、なんか違うな~。お洒落やな~。」と、ワクワクした事を思い出します。
友人から、「ここの学校は芸大に行く女の子が多いみたい。」と教えて貰い、音楽室?みたいなところを覗いた時に、びっくり!
アップライトピアノが何台か練習出来るように並んでたんですね!
部活帰りに立ち寄るお店のおばあちゃんも「昔は00高校の男子(私)と00高校(隣の高校)の女子がよおさん結婚したんやで」と聞きました。
わかる気がしました。
頭も良いし、華やかなんですよ。女の子達が。
一度、口の悪い男子が、私達に「お前ら、ドブネズミみたいなんよな~。」と冗談で言って、女子から総スカン食らってましたから。→総スカン食らわしたのは、私ですが。。。
■地域、時代さん
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また、物の綺麗な形ってある程度決まっている事が多くて、私は「美=合理的=強さ」という捉え方をしているのですね。
私の中で長年変化していない美意識の中に
「美しいものは強い」という価値観があります。
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伝統文化 伝統芸・・茶道 華道 落語 歌舞伎 能 クラッシックなどなど
も、『最初の最初』は、フリースタイルだったわけです。
フリースタイルの、「良い?」「美しい?」「魅力的?」部分が残っていき・・・それが、「型」?として、伝統になったわけですよね。
カオス → 秩序 → 「型」が出来たわけです。 それは「合理的」ですよね。「強さ」「美しさ」ですよね。
ただ・・
その「型」を、大きく飛び出す、大胆さは、どの時代でも、行われ、それが、良いと思われれば・・新たな「型」になったり(流派がわかれたり)、一過性のものとして、消えたりするのでしょう。
「型」を「見せられていると、感じる」場合は・・・魅力的に感じないことが多い。
そして
「型」を「やらされていると、感じる」場合は・・・魅力的に感じないことが多い。
そりゃそうです。
なんでもそうですが・・教育で考えれば・・
「型(基礎?)」が、標準化された場合は・・・
習う、個人、個人は、なぜ、「型(基礎?)」を学ぶ、学ばされるのか?それは、合理的だからでしょう。
個人で、すべてのことを・・・カオス → 秩序 → 「型」まで、してれば、そこまで、たどり着けず、そして、時間だけがかかりますからね。
学校の勉強も、「型(基礎?)」が標準化されたもので・・ある期間に「合理的」に、身に着ける『側面』があるのですから・・
子供から見れば・・魅力的に、感じないのも、「あたりまえ~」って部分はあるのです。
「守離破」って言葉があるのですけど・・
その道を極める為の成長段階を示した言葉で、道を極める成長段階は、文字通り守・破・離の三つの段階に分けられます。
守…ひたすら教えを守り、学ぶ
破…教えの言葉から抜け出し、真意を会得する
離…型に一切とらわれず、自在の境地に入ること
の「守」の部分からスタートするのですよね。(しかし、先に「離」も「破」もあるのですけど。)
学校の勉強の「多く」は・・そういうものというのが、前提になっているということです。
ただ・・学校でも、そういう部分と・・自分の「フリースタイル」的発想の、『バランス』の問題だと思うのです。
「フリースタイル」な部分から、魅力的部分を感じて・・実は、「型(基礎?)」が含まれていると気づくことは、モチベーションの上で大切でしょうからね。
まあ、「型」に美しさがあることに、気づくのは・・けっこう先かもしれません。
> 私の時代の。多くの(中学、高校)公立は、コンクリートの「機能的」・・箱・・でしたね。
> 私も、校舎への、思いは、あまりない・・・ (適性さん)
そうですよね、市内の公立高校は見事なほど無個性な建物ばかりでした。
当時の政治的な背景もあったのかも・・・
改めて思い出してみようとしても高校の校舎については余り思い出せない。
> 個人で、すべてのことを・・・カオス → 秩序 → 「型」まで、してれば、そこまで、
たどり着けず、そして、時間だけがかかりますからね
> 学校の勉強も、「型(基礎?)」が標準化されたもので・・ある期間に「合理的」に、
身に着ける『側面』があるのですから・・(適性さん)
このご意見に惹かれます、なるほどそうなのかという思いです。
> まあ、「型」に美しさがあることに、気づくのは・・けっこう先かもしれません。
つまり洗練されていく過程が大事で、限られた時間の中でどれだけ合理的に基礎力を
身に着けることが出来るのかとの考えでよろしいのでしょうか。
単純に考えれば「型」には「量」があり、「量」を憶えるには一定の時期に憶える時間
が必要になるので、「ある時期」の選定には気を使うべきなんでしょうね。
その意味では一貫校のカリキュラムは良く練られているように思います、確かに合理的
なんだろうという思いが強いですね。
問題は子供が使いこなせるか否かなんじゃないかと思うわけです、子供の成長過程もそれ
ぞれなので、18歳まで限られた期間では、引用文のごとく、気づくのはけっこう先になる
子も多いのかもしれません。































