アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
■公立一貫さん
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単純に考えれば「型」には「量」があり、「量」を憶えるには一定の時期に憶える時間
が必要になるので、「ある時期」の選定には気を使うべきなんでしょうね。
その意味では一貫校のカリキュラムは良く練られているように思います、確かに合理的
なんだろうという思いが強いですね。
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一貫校が必要な「型」を、必要な「量」を・・上手に提示している。ということはあるでしょうね。
しかし、私たちが期待するのは、「型」の「量」だけではありませんよね。
個人で考えれば、「型(知識?)」を習得するまでは、そこは、その個人にとって「カオス」ですよね。(意識するかしないかは別にして。)
教える時に・・「型」を提示して・・覚えてもらう。
××は○○である。とか・・・ね。
しかし、それは、「点」であって、脳への定着率も、あまりよくないハズですよね。
そうではなく・・
「カオス」から提示して・・・じょじょに「型」を個人(自分)で「発見」したかのように・・誘導する。
ってのが、より理想的ではあるのではないか?。
または、提示した「型」の先に「カオス(よくわからないこと、答えがないこと)」があることを、教えたり。
そういうことで「点(型?知識?)」がつながり「線」になり、「面」になる・・さらに「立体化」する。
そうすれば、「自分の・・型」ができるのではないでしょうか?
そういう環境も・・私たちは、期待しているわけです。
時間は、有限ですから・・
もし・・
必要な「型」を、必要な「量」・・こなすだけで、いっぱい、いっぱいなら・・その「余裕」は、あまりない。
それなら・・とにかく「覚えろ」でしょうね。
教科書の枠内の「型」を超えた・・「型」や「カオス」の提示を・・一貫校?の学校や先生は「とても意識」していると「私」は感じることがあるのですよね。(※公立が意識してないとは、言ってません)
「型」を教えず・・自分で「型」にたどり着け・・という授業が、「ある」わけですが・・これ、リスキーですよね。わからない子は、わからないですから・・・
それが、成功しているのかどうかは、皆さんわかっている通り、相性や感度もありますからね。
何割かでも、ヒットすれば十分です。
> カオス」から提示して・・・じょじょに「型」を個人(自分)で「発見」したかのように・・誘導する。
ってのが、より理想的ではあるのではないか?。 (適性さん)
この場合の「誘導する」という言葉の使い方はなるほどと思いました。
こういうタイプの先生は今や塾予備校に意外と多いのかもしれません、
であるならば、塾の方が楽しいという子供がいることも、なんとなく
頷けてしまうのです。
多分動機さんが仰る昔の公立トップ校なんかには、大勢こういったタイプの教師
がおられたのでしょう。
知的好奇心への追及、哲学的関心への高まりなどはある程度「煽られる」ことが
必要なんでしょう、
それが「気付き」へのきっかけとなる・・・
> 教科書の枠内の「型」を超えた・・「型」や「カオス」の提示を・・一貫校?の学校や先生は
「とても意識」していると「私」は感じることがあるのですよね
同感です。
たまたまかもしれませんが、息子の担任は6年間で4回同じ先生にうけもってもらいました。
まさに上記文章のような感じでした。
■公立一貫さん
>この場合の「誘導する」という言葉の使い方はなるほどと思いました。
>こういうタイプの先生は今や塾予備校に意外と多いのかもしれません、
>であるならば、塾の方が楽しいという子供がいることも、なんとなく
>頷けてしまうのです。
「塾」にも、そういう面はありますね。
「とにかく、覚えろ」ではなく。
興味をもたせ、論理的に思考させるような、先生は、場所は関係ないですね。
>知的好奇心への追及、哲学的関心への高まりなどはある程度「煽られる」ことが
>必要なんでしょう、
学校では、先生に煽られたり、友人に煽られたり、学校のエートスに煽られたり、・・・
まあ、学校以外でも・・・親や、本や、周囲の大人などなど・・でしょうか?
その、どこかで、ひっかり、煽られればいいのですが・・。
>たまたまかもしれませんが、息子の担任は6年間で4回同じ先生にうけもってもらいました。
>まさに上記文章のような感じでした。
それは、「運」がよかったですね。そういう「運」は大切ですからね。
雑談で~す。長いので、興味のある方だけ。
■いままでも、話題になった、オウム 尼崎事件、と 洗脳、マインドコントロールについて・・
そこまで言って委員会が、ネットにて見れますね。
http://www.dailymotion.com/video/xvcyei_yyyyyyyyyyyyyyy-2012-11-25-1_tech
http://www.dailymotion.com/video/xvcyek_yyyyyyyyyyyyyyy-2012-11-25-2_tech
元オウム幹部 上祐史浩が 出版予定の「17年目の告白」の内容を語っています。
例えば・・
上祐史浩は、自分の常識を外れた行為、判断は、『マインドコントロール』『妄信』によるものであったと主張。
現在を自分が罪を問われていない、犯罪については、ほとんど、知らなかった、関与していなかった・・と主張。
『ひかりの輪』の存続理由を、アレフからの脱洗脳の為、もしくは、元信者の生活、そして、損害賠償の為と主張
その後・・立正大学の心理学の西田公昭教授が・・出てきて、カルトや、尼崎の事件を解説。
興味深いのが・・■洗脳とマインドコントロールの違い。■(※西田公昭教授の考え?ではありますが・・)
洗脳 と マインドコントロールは、自分の思い通りにさせる目的は同じだが、
マインドコントロールは、洗脳が進化してできている・・少し違う。
拉致して、拷問で、言う事をきかせるのは「洗脳」という段階・・
マインドコントロールで『ここは素敵な世界、楽園』と思わせる。
例えば、尼崎の事件の場合は・・恐怖による・・支配
暴力による、無気力状態を作りだす。
「学習性無力感」と言って・・この人の言う事をきかないと・・殺されてしまう・・ある種の拷問に近い状態で支配。
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学習性無力感(learned helplessness)は、長期にわたって、ストレス回避の困難な環境に置かれた人は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという見解。学習性絶望感ともいう。
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なるほど・・ですね。これは、マインドコントロールではないそうです。
さらに、教授が言うには・・
「マインドコントロール」された。とは・・
『情報を支配』されていたことが基本になる・・『情報遮断』、『思考能力低下』させ・・それが『長期』にわたる場合・・そう判断されやすい。
しかし・・
上祐史浩が、本当の意味で「マインドコントロール」されていた。と・・当てはめるのは疑問がある。
幹部という立場(情報を支配されていない)で、また、海外(ロシア)など、麻原と離れた、活動も多く・・・・自らの理解と判断も、かなりあるのではないか?
単なる、末端の実行犯とは、違う立場である。
・・という意見のようです。
また、勝谷氏の「上祐氏は、呼吸をするように、ウソをつく、サイコパスではないか?」という問いには・・
サイコパスは人格障害なので、簡単に判断は、できないが・・
性質として『平気でウソをつく』『権謀術数で人を操る』などは・・サイコパスの条件には当てはまると指摘している。
さて、サイコパスとはなんでしょうか・・
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三省堂の大辞林によると「性格が逸脱し、そのために社会を困らせたり自らが悩むもの。性格異常」と記載されている。
サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、極端な冷酷さ、未慈悲、エゴイズム、感情の欠如、結果至上主義が主な特徴で[2]、良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。その大部分は殺人を犯す凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者である。北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理学者ロバート・D・ヘア(en:Robert D. Hareは統計的に見積っている。
殺人者(シリアルキラー・サイコキラー)や強姦殺人犯、重度のストーカー、常習的詐欺師・放火魔・窃盗犯、カルトの指導者の多くがサイコパスに属すると考えられている[要出典]。
日本の法律「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」の第5条では精神障害者と定義している。
特徴 ヘアは以下のように定義している。
良心の異常な欠如
他者に対する冷淡さや共感のなさ
慢性的に平然と嘘をつく
行動に対する責任が全く取れない
罪悪感が全く無い
過大な自尊心で自己中心的
口達者
エミール・クレペリンによるとサイコパスのひとつに「空想虚言者」という類型がある。
【想像力が異常に旺盛で、空想を現実よりも優先する】
一見才能があり博学で、地理・歴史・技術・医学など、何くれとなく通じていて話題が豊富であるが、よく調べるとその知識は他人の話からの寄せ集めである。
【弁舌が淀みなく、当意即妙の応答がうまい】
好んで難解な外来語や人を脅かす言説をなす。
【人の心を操り、人気を集め、注目を浴びることに長けている】
自己中心の空想に陶酔して、他人の批判を許さない。
自ら嘘をついて、いつのまにかその嘘を自分でも信じ込んでしまうのである。
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確かに、彼は非常に、論理的で、頭もいいが・・、
当時のウソは「教団の正当化、教団を守る」為であり・・
今回の告白も、反省や、謝罪もあるのだが・・やはり「自己正当化、自分を守る」方向になっている。
今の、行動が懺悔の表れや、社会貢献であるかのように、説明されている。
※昔は、他人の批判も許さなかった。
多くの、パネラーも、結局は、「こざかしい」「ああいえば、上祐のまま」・・という「感想」である。
あのような大量テロ事件なのに、今でも、答えは、あまりに、よどみなく、クリアカットである。
あまりに、ディベート的・・(稲田大学在学中、サークルでディベートの技術を取得して、活躍していたらしい。)
上祐には「宗教と離れ、額に汗をかいて・・それで、被害者へ賠償する」意志は・・やはりないようです。
その理由は、『ひかりの輪』を存続させることが・・賠償・・カルトからの救済には、より効率的であるということだ。
宗教?である『ひかりの輪』の、代表?幹部?としての、地位や立場を捨てるつもりはない。
それこそが、自分が依存する(したい)場所であるのでしょうが。
まあ、上手なのが・・
『他者や社会の利益?の最大化というロジック』を盾に、『自分の利益の最大化』を、実は、謀っている?というとこだろう。そこが、どんなに、謙虚で丁寧な受け答えでも「匂う」のでしょう。
社会や、被害者の「思い?気持ち?望み?」としては・・・・「元信者は、宗教と離れ、額に汗をかいて・・それで、被害者へ賠償しろ」が、もし「多数」を占めていても・・彼は、それに、応えることは、ないのだろう。自分の利益とは相容れないから。
彼の、生き方は、自分の望みでいいが・・・この問題(事件)に関してだけは・・他者(被害者?)が「大切」というならば・・・他者(被害者?)の望みを優先させるべきだろう。
そうでないなら、「大切」にしているという気持ちが、伝わらないからね。
でも・・この問題(事件)に関しても・・隠しているが・・
自分の望み > 他者(被害者?)の望み
なんじゃないでしょうか?
「自分で、設定した」社会、他者の利益の増大の為・・という理屈は、バッチですけどね。
さらに。。立正大学の心理学の教授は・・指摘してます。
教授達が実施している、脱カルト、脱洗脳の方法論は、その人を、経済的にも精神的にも「自立」させ、「そういうもの」から、完全に「開放」することを、前提にしている。
上祐氏は、光の輪も、脱カルトが目的というが・・それは、あちらの思想から、こちらの思想に変えただけで、本当の、開放ではない。(宗教から、宗教に、グルから、グルに・・・)
方法が、まったく「逆」である。・・と批判している。
これも、なるほど・・です。
蛇足?
■なんでも、すぐに、簡単に、「マインドコントロール」だ!!「洗脳」だ!! といいだす人がいますが・・・・
誰かが、自分の思ったとおりに、人を支配しようとしているのか?
情報の支配があったのか?(他からの情報が遮断されたのか?)
環境の支配があったのか?(思考停止状態にする為の、暴力、睡眠、労働、食事などのコントロールがあったのか?)
それが、反社会的で、局所的ルールなのか?
などなど、よ~く考えてから、判断した方がいいようですね。
そうじゃないと・・××に行くと、「洗脳」!!とか、簡単に、言えちゃいますからね~。
教える時に・・「型」を提示して・・覚えてもらう。
××は○○である。とか・・・ね。
しかし、それは、「点」であって、脳への定着率も、あまりよくないハズですよね。
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適性様
確かに。
私はこの状態ではなかなか定着しないタイプなんだと思います。
学校での想い出みたいなものも。
人の名前とか先生の名前はヤバい。(ここは私にとっては点になるのかな?)
しかし、出来事などは覚えているんですよね。
それを勉強に置き換えると~なんでしょうね。
「型」を教えず・・自分で「型」にたどり着け・・という授業が、「ある」わけですが・・これ、リスキーですよね。わからない子は、わからないですから・・・
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例えば「受験勉強など、学問でない」という極端な意見があったとします。
「なら、効率的にとっとと終わらせたらええんちゃうの?」と思ってしまうのですね。
自分なりの方法を模索する時間は勿体ないですよね。
その時間を合理的に終わらせて、空いた時間で好きな事をする方がエエんちゃうのん?
「たかが受験勉強」なのであれば。
と、思ってしまうわけです。
しかし、実際はそうではない。
そんな「切り離し」みたいな事は難しい。と私なんかは思ってしまうんですね。
興味をもたせ、論理的に思考させるような、先生は、場所は関係ないですね。
↑
同意いたします。
うちの子も塾は楽しかったと言います。
おとといかな?
息子が「昨日00バックを持った小学生を見たよ。楽しかったな~塾に通っていた頃は」って言うのですね。
私が「どこが楽しかった?」と聞けば、まあ、、うちの息子は結構勉強もゲーム感覚でやるタイプなんで→「模試はゲームのようで面白かった」と。。。
ここは、批判もあるのでしょうが、個人の気持ちなので動かしようがない。
実際に、勉強を教えていて偏差値が2倍程あがっていく状況の息子の嬉しそうな顔は実際そうでしたからね。。。
もちろん、そこには「俺はやれば出来るんだ」という自分自身への肯定感と、まあ、スポーツ好きの息子が本来持っている競争心の部分に火がついていたからなのでしょう。
しかし、だからと言って、今、彼がゲーム感覚でやっているか?
と、言われればそうではナイ。ですからね。
うちの子はいつも言ってます。
「俺は、塾の先生に勉強のやり方を教えて貰った」って。































