アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
皆様 あけましておめでとうございます。
のぼうの城、私も観ました。とてもよい作品で、
人の心を掴む&人を動かす法が満載です。
小学生の子供も面白かったと。おすすめです!
今年もよろしくお願いいたします。
インフルエンザが寒さとともに関東でもはやり始めました。
ワクチン接種していても罹ることはあるようですので十分な睡眠、栄養などに心がけ初期免疫を落とさないようにしてください。
今年は安倍政権で景気浮揚するか中韓との関係、ロシアとの折衝、何よりもアメリカとの関係でTPPがどうなるかなど・・・・・と懸案山済みですがそれらも健康ならではの関心事です。
くれぐれもご自愛を。
皆さん、よい、お正月だったでしょうか?
さて・・
■教育の議論?について・・・少し、思うこと。
「自分」の子供の教育「環境」において・・・
現在、世の中に「存在する」選択肢の中から(世の中に、存在しないものは、選択できませんから)・・・
「習い事」させるにしても、
「私立」に行かせるにしても、
「留学」させるにしても、
■親ができることは、親が、サポートしても「いい」こと、という判断と、時間的、金銭的、環境的に「サポート可能」な範囲で、サポートすることです。
私は、それは、「基本的」「原則的」に『肯定』すべきことだと思っています。
(「基本的」「原則的」に一番下?もしくは、自分の家?に、に合わせろという意見もあることは、知ってますが・・)
選択は「限定的」であり、各家庭で「差」あるものです。
下を見ても、上も見てもきりがないものです。
そして、その判断と、選択のメリット「のみ」が受けられるものではありません。
選択とは、基本的にそういうものです。「全て」を選択することはできません。
「習い事」「私立」「留学」に、子供の成長について、「デメリットが大きすぎる」と考えるなら、選択可能であっても、サポートしなければいい「だけ」なのです。
しかし・・他人の、判断と、選択を、なぜか、「デメリット」を極大化することなどで『否定』したい人もいるようです。
また、誰もが、「社会的に」選択可能なものなのに、まるで、その選択が「社会悪?、何かに違反?である」ように、「表現」したい人も、いるようです。
そういう、あまり、「意味のない」ことに、時間をかけてもしょうがないのに・・と思いますね。
各家庭が、自分の家庭で可能な範囲で判断した選択を、『まるで非常識な選択のように』『まるで違反的な選択のように』『まるで価値のない選択のように』他人から、執拗に言われないようになればいいですね~。
人は、今までの、『自分の体験や、ルート』から、「価値観」が形成されますから・・そのルート以外の人間は、何か「俺が得ている重要なもの」が『欠落している』と言いたがることがあります。それは『俺は持っている』ということが、『お前は持っていない』が「大前提」なのでしょうけど?(それも、どうなのかな?と・・思いますけどね。どこまで、自分の評価が高いのか?と・・)
しかしながら、体験もルートは、時代と環境で、大きく変わっているわけで・・それを戻すことは現実的ではありません。
塾がほとんどない時代の話と、塾を多くが利用する時代では、違うわけです。
歩いて東海道を旅行する時代は、そうするしかないが、電車があれば、皆、それを利用するわけです。
では、
■どういう話になればいいのでしょうかね?なにが建設的なのでしょうか?
歩いて東海道を旅することで、得られるメリット(重要なもの)を「他の方法」で、得るには、どうしたらいいのか??ではないでしょうか?
それは、電車を、壊すことではないハズです。電車にのる人を(人間性も含め)否定することでもないハズです。
歩いて東海道を旅する以外に「方法がない」と言い続けていもいいですが・・・それは建設的意見ではないですし。必然的に「電車に乗る人」は、「俺が得ている重要なもの」が『欠落している』ということが(その人の中では)確定的にもなりますからね。ずっと、「そういうこと」を言い続けるのでしょう。(言い続けたいのかもしれませんけど)
建設的ではないですよね。(目的が、気に入らんことを、潰すこと。であるなら別ですけど。)
もし・・
「歩いて東海道を旅することで、得られる、メリット(重要なもの)」というなら・・
それが・・
「なぜ」重要なのか、
「どういう場合」に重要なのか?
「どのような立場」の人にとって重要なのか・・・
と・・丁寧に説明し・・それが、相手にとって、「説得力」あるのであれば
誰もが、「自分にも」重要なことと・・思うでしょう。
きっと、それを、「どのうような方法」で得ることができるのか?と考えるでしょう。
それは、認知され・・広がるでしょうね。
なぜ、それを、しないのでしょうか?
人は、必要と思えば、「それを得たい」と思いますからね。
その人の、重要なものリストの上位にすればいい。
もし
「電車を使うことの、デメリットが大きすぎる」というなら・・
それが、
「どのような」デメリットなのか、
「どういう場合」にデメリットになるのか?
そして、電車を使うことをやめられないのなら・・
その、デメリットを、どう工夫すれば、小さくすることができるのか?
と・・丁寧に説明し・・それが、相手にとって、「説得力」あるのであれば
それを、注意し、避けることができるでしょう。
なぜ、それを、しないのでしょうか?
是非『気に入らない選択の破壊ではなく』建設的な議論にしてほしいですね~。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
震災後、初の主人の実家。と言っても去年行かなかっただけなのですが。。。
北海道に住んでいる親戚の方から、海の幸を送って貰い、皆で食べました。
皆でしんみりしてしまった時間もありましたが「一生懸命人生を楽しもう」という話になりました。
主人の兄弟の嫁さんから中学受験の相談をされたのですが。。。
思いっきり、そこの嫁さんに「ダメでしょう。子供さんが可哀想。」と言ってしまいました。
理由は、子供さんの成績がどんどん下がっていく。
お母さんが教える。→子供、理解出来ない。→お母さん、イライラして怒鳴り散らす。
。。。。。。。
「あ~、、、それはダメですよ。うちの母も、私も”わからない”ことに関して、怒った事はなかったですよ。」
「なぜ、00ちゃんがわからないと、00ちゃんのせいにするの?00さん(お母さん)の説明が下手かも?って思う事はないの?」と、思いっきり言ってしまいました。
怒られる子供の身になってしまうんですよね。
うちの父がそうだったから。
本人賢いけど、教えるのが下手。
だから、わからない→父親怒りだす。私の気持ち→「説明が下手なんだよ!」と。
教師の母は、絶対に怒りませんでしたから。
「どこがわからない?う~ん、、お母さんの説明がわかりにくいか?」と、なるので、こちらも「ここと、ここがわからない。」って落ち着いて教えて貰う側に説明出来たんですね。
教えて貰う→教えてくれる側ですね。
子供がしなけばいけない事をしない。→怒る。
これはわかります。私も時々しますので→今日も「宿題終わらねえ~!」という高校生の息子に「エエ年して、時間の計算も出来ひんのか!!」と一喝していますし(自分の学生時代は棚上げ)
しかし、一生懸命机に座って親御さんの説明を聞いているお子さんに怒っても仕方ない。
これは、そう思うんです。
帰りの新幹線の中で、うちの息子も言ってました。
「中学受験の時は、お母さんに教えて貰う事が多かったけど、確かに勉強を教える時にお母さんが怒った事はなかったよな。」と。
「そうやで~、今、あんたに教えてくれてるおじいちゃんと、昔のおじいちゃんは全く別の人やで!」と私。
息子、ちょっと笑いながら
「いや、、わかる。確かに、おばあちゃんの説明は非常にわかりやすい。でも、おじいちゃんはな~、、ちょっと下手だよね。」と。
ちょっとじゃないと思う。ものすご~く下手だと思う。
地域、時代さんお早うございます。今年もどうぞよろしくお願いします。いろいろ楽しい話を聞かせてください。
「子供が理解できない」・・・・・・・・叱る。
これって一生懸命考えようとしている子供にとっては地獄です。なぜかというと「分からないものは分からない」からです。大人の頭で容易に理解できることでもこどもには何だかわからないということはあるのです。
ここのところは中学受験を難なく突破してきた人たちには(塾が楽しかったという子供)本当に分からないところかもしれません。
説明の良し悪し以前に・・・・・・・・生物学的な脳の発達が未熟という事は厳然としてあると思います。 論理をたどる力とか図形的なヒラメキ云々するよりもそのことに向かう集中力がない・・・・・要するにやらされていることには興が向かない。
早熟な子はいます。でも逆も世の中にはいて・・・・坂本竜馬なども寝小便をずっとしていてとても聡明な子供時代ではなかったといいます。
中学受験に向いている子もまだまだ脳の発達が十分でない子もいます。その辺を理解してやってください。私は旅人算もニュートン算も仕事算も何をやっているのかまるでわかりませんでした。鶴亀も「どうして全部鶴(カメ)と仮定するのか?」あたりから分からず・・・・・・ちんぷんかんぷんでした。
そもそも母親が未熟な子供に受験算数などやらせようとしたのが失敗です。文字通り野山を走り回り蝉やクワガタ取りに繰り出し、毎日泳いでいた子供なのですから。
でも・・・・・・文字式の計算から三平方の定理の証明などになるとがぜん数学が面白くなり後年、国立理系に進んだのですから人の一生など分からないものです。
今、受験算数(中受勉強)ができなくても案ずることはありません。どこかでその人間のもっている資質は顕れてきます。それを親が信じられるかどうかです。































