アートの才能を伸ばす女子教育
私立中学の価値ーゼロ
内容は、私立中学の価値から続く話題です。教育全般です
条件は1つだけ・・「最初から、誰かを、無視する意図がある人を除く」です。
■視点さん
視点さんの・・
>本田さんも従業員も満足し、日本を代表する企業を作り上げたのに、何が問題なのか全くわかりません。
日本を代表する企業を作り上げた人『だから』と言って・・・
様々な指導方法をしただろうが、スパナで頭を殴ることも含め「全て」正しい・・・
だから・・・『一般的に、体罰も正しい』なんてことは「ない。」
>入江塾のやり方を否定する気もないし、本田さんのやり方を否定する気もない。
私達も、「全」否定なんてしてない!・・「理不尽な体罰」を「限定的」に否定してるんだよ。
■日本を代表する企業という「結果」から、『すべて(理不尽な体罰も含め)のそこに至った方法・手段』が、正しいなんてことはない。
なんでも、否定される、批判される「部分」があるのは、当然。
だいたいさ、視点さん・・・よく考えてみ?
■高学歴という「結果」から『すべてのそこに至った方法・手段』は「正しくない」。という主張だろ???
ちがうのか~??
視点さんは、その「方法・手段」として、「私学や塾を使うこと」を、どう書いているのか??
●私学や塾に行くことは・・・まるで、ルール違反?であるかのように、ドーピングだのフライングだという表現をわざわざ使い。まるで、「反社会的」行為であるかのように、書くし。
●私学では、人格において、取り返しのつかない、デメリットである。
●塾は「洗脳」であり、子供が、かわいそう?
●俺が出せる以上の教育費を出している。
という、主張だろ??
つまり、まとめるとだね・・視点さんの感覚?思い込み?では・・その手段は・・
①反社会的行為?ルール違反?としている。
②子供の精神に「取り返しのつかない」重大に傷を負わせる。
③卑怯である。
なのだろ??
※私は、①も②も③も、「否定」させてもらっているけどね~。
もし①も②も③も・・事実ならば・・問題だけどね。
まあ・・もし、受験を理由に「子供をなぐるけるの虐待」したのなら、それは、当然、ダメということになるが、それが、一般的ではない・・ということは、知っているだろう?
さて・・
『スポーツの指導において、子供を成長させる?試合で勝つ?』という「結果」の為に・・
視点さんが必要という『理不尽な体罰』は・・・現実的に・・(現実的だろ?)
①反社会的行為?ルール違反?としている。
・・法律違反である
②子供の精神に「取り返しのつかない」重大に傷を負わせる。
・・それが、直接的理由で、取り返しのつかない、今回の事件があった。
多くの、選手が、それで、潰れている。
③卑怯である。
・・「絶対に仕返しされない」という上下関係の中で起きるのが体罰
体罰は暴力で子供を脅して思い通りに動かそうとする卑怯な行為
だ。
となると、視点さんの、いままでの主張であれば・・・当然『ダメな方法』となるハズなのに・・
そうでしょ??ルール違反だし、被害者いるし、卑怯だし・・・
なぜ、ダメにならずに・・「必要だ」というのか?。なぜ、発言が矛盾するのか??
きっと、
■『自分の経験と、自分がしてきたこと』を、・・誰が何を言っても・・
「正しく」「素晴らしく」「情熱があった」ということに、したいのだろう。
そして
「反社会的」で、「被害者」がいて、「卑怯」なことであったということに、したくない。
だって、だって・・俺も、俺の周りも、満足してるのだから~~。ってね。
まあ・・私は、言ってるじゃない、個人としては「そりゃ、よかったね。」って。
だけど、「一般化」しないで欲しい。他人にも、それを容認することを、求めるなよ。
私はね・・、
『社会で認めれていない?ようなこと』であっても、「デメリットだけ」しか「ない」から、認められていない・・のではない。って思っている。
メリットもある。人によっては、メリットが大きいこともある。視点さんは、そうなんだろう。
『体罰』を乱発する指導も・・「理不尽な体罰擁護者」も
●試合にも勝ったりするし、その結果で、褒められたりもする。
●生徒に言うことをきかせる為には、手っ取り早い安易な指導法だし。
●自分の美化された過去の経験と体罰が混ざり合い、体罰抜きの思い出など考えられないし・・それが、その集団の「連帯感」を強くする可能性も強いし。
体罰、肯定派には、メリットもある。
このメリットが『大好き』だと、
社会一般に存在する「デメリット」なんて、どーでもよくなっちゃう。のだろう??
ほーんと、なんでも、自分基準だね~。。。
「理不尽な体罰」は、社会一般でも、その、視点さんの好きなメリットを享受する可能性は、あるけど・・・デメリットの方が、大きすぎるのだよ。
それぐらい、理解できるだろ??
そして、そのメリットも、「他の方法」で、享受可能だ。と皆が言っているのですよ。
そりゃ、手っ取り早くもないし、もっとスキルも必要かもしれないけどね。
>厳しさも必要だし自主性も必要なのですよ。
そりゃ、厳しさも必要だが・・
じゃあ、厳しさは・・「理不尽な体罰」しか方法がないわけじゃないよ。そうだろ??
手っ取り早さは、特筆するべきものがあるけどね~。
>では、桑田氏のPL学園高時代はどうだったん
>でしょうか?
PLの練習ですか?
清原選手が書いてますね。
3時過ぎにグラウンドに集合し、日が沈むまで、冬は3時間、夏は4時間。
桑田に課せられた練習メニューは特別。
本気で桑田が死んでしまうんじゃないかと思ったことが何度もあった。
しかも桑田は、野球部としての練習が終わった後に、ひとりグラウンドで走り込んでいた。
桑田は人の5倍練習すると言われた。
負けられないと思った。
桑田が走っている間は、僕もバットを振り続けた。
詳しくは清原選手の「男道」を読んでください。
■視点さん
**********************
私は、体育会の理不尽さで、精神的な強さを得たと思ってますけどね。
世の中の理不尽に対する耐性はある方だと思っています。
**********************
そうでしょうね~。
理不尽の耐性を高くするには、理不尽を与えること・・というのは、わからないでもないな。
しか~し・・今までの、視点さんの・・他人への、「理不尽」な発言の数々・・・
「理不尽への耐性高い人」と「人に理不尽を積極的に与える人」との相関関係でもあるのか???
そういう人は、理不尽を与えることへの、抵抗感がないから・・
自分の周囲から、「理不尽な社会」を作ることに、とても積極的であって。
いつまでも、理不尽のレベルが高い社会を望んでいるようだ・・自分達しか、生き残れないような??
自分が耐えられるレベルの、理不尽に、耐えられない人間を、「できない人間」として、排除したいのではないのか??・・と思えてくるね~。
「東大??体育会の理不尽さに耐えられるのか??おい??」ってな感じでね~
>その厳しさを自主的に乗り越えるよう導くのか、強制的に乗り越えさせるのか、
>どちらがあるべき教育の姿か、という話です。
PL時代、桑田選手や清原選手に課せられた練習メニューは強制。
練習後の走り込みや素振りは自分の判断。
強制と自主性の共存です。
■動機さん
********
本田宗一郎を「暴力絶対反対」の建前から否定するのはなるほど今時ではあるかもしれないが・・・・・・・カリスマと弟子。圧倒的な先達とその極意を盗みたいために集まった者たちとの関係を周りがとやかく言っても詮無いことだろう。
********
********
「スパナで叩かれた」という話は彼らにとっては・・・・・・・本田宗一郎が自らの手で自分に触れたというかけがえのない貴重な出来事なんです。
********
本田さんの場合だけでなく、人間は、「欠点も含め」て、尊敬されたり、愛されているのでしょ?
べつに、その欠点がなければ、尊敬されない、とか、愛されないということはないでしょ。
しかも、偉人?の、欠点や、エピソードは、その人の象徴として、語られる。
そういう欠点は、被害を被った人もいるが・・・しょうがないな・・と、思っている。
ということでしょう。
「自分の仕事のレベルが、おやじの、求めるレベルではない」ということだったということは、理解しているのでしょうし。
本田さんの?師匠の?、親の、「無謀さ」を、ノスタルジックに語る・・・は、
やはり、その人との『連帯感』を感じているのでしょうか。感じたいのでしょうか?
それは、それで、しょうがない。
親に殴られたことがあるからって、親を全面否定できないのだから。
前の自分のレスの再引用だけど・・・暴力は、「連帯感」と関連づけられることがあるね。
******************
親と子の絆には、怒りや恐れがあるかもしれないが、また同時に連帯感のような感情も含まれる。親と子だけではなく、サークル活動の上下関係などでもよい。
連帯感と葛藤が交差するような状況において、しばしば体罰が用いられる。体罰に関する表面的な怒りの感情は、時間とともに消え去るかもしれない。しかし、連帯感は儀礼が繰り返されたことによって維持される可能性がある。
体罰を受けて育った者が、親がどのように自分をぶったのかを愛情を込めてノスタルジックに語るケースがある。体罰という儀礼が成功すると、それが永続する。
体罰を日常的に受けてきた子どもが親になった時に同じように振舞う傾向にあるが、それは報復的な行為とは言えない。むしろ、連帯感を世代間に伝達する行為と考えられる。つまり、体罰を受けた者が体罰を肯定する結果になる。
******************
少なくても、会社や学校のような「一般」の組織の上下関係において・・
スパナを振り回すような「無謀さ」を、親密さとして・・その被害は、甘んじて受けるべきという前提は・・・まったく、違う。
「自分のレベルが、相手の、求めるレベルではない」場合は、相手は、自分を殴っていい?。
それも、おかしいでしょ?。上の人間は、いつでも、殴れるからね。
落語の師弟関係は、「一般」組織じゃないし。
師匠の「無謀さ」も、受け入れないと、その人の近くにいられないような状況もあるのでしょう。
現代の師匠が、それほど、無謀なことをしてるとも思わないけど。
なんども書くけど・・
素晴らしい師匠の、「すべての思い出」は、自分にとって「すべて」素晴らしい。
という人は、いてもいい。
これは、個人的話であって・・個人的には、解決済み。
たとえ、スパナで殴られた人が「多数」いてもね。
が・・
素晴らしい師匠の、全ての行動は、『誰にとっても』「すべて」素晴らしいわけない。
これは、『一般化できないの。』
*************
何のことやらわからずきょとんとしていると・・・・・・「あれは調べたのか?」「これこれは読んだのか?」「この点はどうか?」・・・・と要するに元文献をしっかり確認していないことを「私はこういう手抜きをする人間は大嫌いだ!」と叱られた。
*************
??これは、文字通り『叱られた』・・・のです。なにも、問題はありません。
言葉がキツイからって「理不尽」な言動ではない。でしょ??
■視点さん
>強制と自主性の共存です。
は~???
自主的に走ってるのは、自由だし、自分の責任で、自分でコントロールしてるのだから・・・指導者との関係はないだろ????????????
今回の話と関係ないだろ~
理不尽とも関係ないだろ~
あるのか~??????あるのか???なあ、あるのか??































