アートの才能を伸ばす女子教育
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
糞親父さん
>平たく言えば書物からすべてを知ることは大変な困難さを伴いますので実感できる経験をどれだけ積むかが大事ではないでしょうかということです。
体験重視の子育て
水が冷たいとか温かいとか
ヘレンケラーを育てた先生は目の見えない
彼女につききりで教えたんですよね。
こういうことができる人って
多分子育てもものすごく上手なんだろうと思います。
いつだったかな。
夏休みに
日本をめぐっていろんな場所につれだして
地理かん や 歴史 を親子で学んだ
なんていう方の話を聞きました。
その時に、教育ってやっぱりお金と時間がかかるのねって
思いましたが
親御さんの工夫次第で、お金をかけなくても
子供に伝える教育もきっとできますね。
弱点さん
>自分で自分を許せないことはするなと一緒でしょうか?
自分自身に嘘をつかない
の意味を、こどもが今どのように理解しているかは正直解りませんが、
今は今の理解があって、時が経てばそこでまた別の理解をすると思っています。
どう理解するかはこどもの成長にゆだねています。
尾ひれをつけて話すと、こどもも話を聞きませんし。
>どうして学校でできないのでしょうか。そこで教えれば、多勢になって潰れされることも減るはずなのに。
残念なことです。
わかりません。
>経験が少なくて錯覚で固まっているから、どこか自信なさげになってしまうのでしょうか。
自信のなさ・・・危険(疑問)と安心(納得感)の境目がはっきりしない状態でしょうね。
それを明確にするのは同じ体験の繰り返し。それしかないと思います。
何か一つの繰り返し体験を充分すれば、それが核(さくらさん)となって、他のことも自立してできるようになるのでは。
繰り返しの経験が乏しいと、代償として、人に聞く、調べる(読むだけでわかった気になってしまう)という方向に走るのかもしれません。
人に頼ることや調べものをすることで本当の危険回避はできない、
今のうちからこどもに伝えておきたいと思っています。
概念と経験のところですね・・これ、哲学的にあれこれと考えたことがあります。
これは実は、子供の教育の問題 というより、大人の問題でもあると思うのですね・・人類の問題かもしれない。
人間の感覚器官を通じて、知覚しうる外界は限界があるのですね。
たとえば、動物には動物なりの知覚しうる外界がある・・世界の見え方が違う。
動物をあげなくても、人間どうしでも事情は同じですね。
人が違えば、当然、見える世界は違いますね。
知覚って、経験ですね。
経験したら、なんでも分かるか・・実は、分かっていないのですね。
人間の感覚器官では、決して外界をありのままに知覚できない。
概念だけでは当然ダメだけど、経験(知覚)を通じてもやはりダメなんですよ。
じゃあ・・どうするのか?
経験(知覚)を使って得た概念で、おりあいをつけるしかない。
どうやって、おりあいをつけるかというと、他者との会話、承認によってです。
ネットそのものは単なる情報媒体だから、便利な道具というだけで、別に罪はないわけですね。問題がありえるのは、情報を鵜呑みにして分かったつもりで自己完結しやすい・・その悪影響です。
糞親父さんの「自分に嘘をつかない」ですが、私流に解釈すると、
自分の気持ちに素直に人と会話してごらん
そうすれば、世界なんておおげさなものじゃないけど、おぼろげながら、世間が見えてくるよ・・
こんな感じですね。
恥ずかしながら、
そのように感じるようになったのは、学生時代ではなく、社会人になってからです。
前にも書いたかもしれないですが、
新入行員のとき、500戸くらいあるマンションを住宅ローンのセールスで、1件、1件、呼び鈴をならし飛び込み訪問をして・・
当たり前のことですが、500世帯あれば、500世帯分のお考え、ご事情があるわけです。訪問して会話して、その一棟のマンションの総意みたいなものが、分かってくるわけですね。
多分、いまの若い人は苦手だと思いますが、草の根活動って、やってみるとおもしろいと思うのですね。自分しか感じ得ないものだから。
また、フェイスブック就職活動 というカルイ時代だからこそ、そういうバイタリティーが光る時代だとも言えます。
自学受験なんて、昔は当たり前ですが、いまでは、ピカピカと光るんじゃないでしょうか。
無常感さん
ネットだったり本だったり
そこに書いているからと言ってなんでも鵜呑みにしてはいけないんですよね。
私自身は、なぜそうなるのかがものすごく気になるタイプで
全然前に進まなかったです。
ある意味暗記学習なんていうのは、
なんでも鵜呑みにする訓練ともいえますよね。
こういうので点数あげられる試験内容というのは
もう一度考え直したほうがいいですよね。
なんでもその通りにしていれば正解みたいな
そういう問題は。
いいですね。自分の気持ちに素直な人と話をしてごらん。
問題なのが世間を標準にしていて大人でも一体自分の
素直な気持ちがどこにあるのか見失っている場合は、
自分を探しに旅にでないといけないですね。
幸せの青い鳥みたいに。
>概念だけでは当然ダメだけど、経験(知覚)を通じてもやはりダメなんですよ。 じゃあ・・どうするのか? 経験(知覚)を使って得た概念で、おりあいをつけるしかない。 どうやって、おりあいをつけるかというと、他者との会話、承認によってです。(無常感さん)
ええ、そう思います。
表現は違いますが、
だから間違ったことをしないためには人様との交流が欠かせない、
と書いた主旨は同じです。
ただ「承認」は難題で、タイトに考えると達成できる場合というのはほとんどないのではないかとさえ思います。
こどもには「承認」を話せません(笑)。
違う経験をしている者同士が接触するので、
学校のように多人数の場合ほどその折り合いをつけにくくなるのは当然と言えば当然です。
自身にとって?が生じた場合、?の解決法は、経験の上乗せと会話しかない、と思います。
しかしこれも核があってのものだねですから、こどもの核作りに勤しんでいます(笑)。
人に聞く(人に頼る)ことと会話(議論)は意味が大きく異なります。































