充実した教育環境の日大付属高校
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
よく、リベラルアーツという言葉が聞かれますが、たとえば、自然科学、社会科学、人文科学・・・このように便宜的に学問を分けているけど、そこを横断的に横たわる物事について深く理解をする・・そういったことかと思います。
こういった教養を身につけるためには、物事を観察するとき、ひとつだけのモノサシ・・単品主義ではダメで、いろいろな角度から見つめてみる・・そういったことが重要です。
たとえば、ある犯罪集団がいたとして、彼らを追い詰めたのは我々の社会ではないのか?・・という問題提起があったときに、
教養の浅い野暮な人は、えてして、加害者、被害者といった責任論だけで考えてしまうのですね。一見すると法律的な切り口ですが、じゃあ・・具体的にどういった法律に基づくどんな責任なのか?と問われたら、多分、そういった方は答えられない・・実態は感情的な責任論なんですよ。
我々の社会が追い詰めたのではないか?・・こういった問題提起は、教養のある人はすぐに分かりますが、法律的な観点で言っているのではない・・「社会が○○○させた」・・このフレームの考え方は社会学ですよ。
加害者、被害者といった短絡的な発想ではなく、我々の偏見が一因となって、特定の人達を犯罪に走らせてしまった・・この社会学的な問題提起は、内省的に個々の生き方を問うという意味で、連帯が失われる現代社会にはとても必要なことです。
当然ながら、犯罪は刑事事件として適正に処罰する・・当たり前です。でも、それは我々の心の問題とは、別の問題です。複眼的な見方が出来ない人は、加害者、被害者・・という二項対立に固執してそこから抜けられないのですよ。
世の中、「責任」という言葉が好きな人がいますが、えてして「加害者と被害者、加害者に責任がある」などといった短絡思考のもち主だったりするわけで・・「じゃあ、責任って何ですか?」と説明を求めたら、多分、何にも答えられない・・そんなところかと思います。
ちょっと考えれば分かりますが、たとえば、政治的責任をとる・・なんて言葉をよく聞きますが、この政治家は加害者だから責任をとるのでしょうか?・・違いますよね。
加害者、被害者という観点での「責任」というのは、法的責任のなかでの一部・・刑法上の刑事罰、民法上の不法行為による損害賠償請求・・こういったところで論じられるわけです。
でも・・責任って、法的責任で終わりですか?・・違いますよね。政治的責任、社会的責任、道徳的責任・・いろいろな責任があるわけです。
刑法、民法だったら、原因→結果という観点で、原因を起こしたものが結果責任を負う・・そう考えます・・過失責任ということですね。でも、同じ法律上の責任であっても、他の法律では過失が無いのに、責任を問われることがある・・これを無過失責任といいます。
法的責任でさえこういうことだから、政治的責任、社会的責任、道徳的責任を議論しているところに、「加害者・被害者」・・短絡的にこういう観点で語られると、いかにもピントがズレた話になるわけですね。
社会的責任というのは、原因→結果の観点で、結果はリアルに目の前にあるけども、その原因がどうもはっきりしない・・その責任を社会のなかでどうシェアするのか・・そういうことです。
これは、加害者、被害者といった刑事上、民事上の責任ではありません(それは裁判で決着をつけることです)。
われわれが問われているのは、凶悪事件にどう向き合うのか・・そういった社会的あるいは道徳的責任です。
賛否は別として、スループさんの意見表明は、表層に流されないひとつの視点として、貴重なご意見と考えます。
無常感様
こんばんは。
昨日一度打ったのですが、全部消してしまって投稿してなかったようです。
事件には必ず、被害者と加害者が存在します。いつも法律上で裁かれる事により、どちらにもその後
に対しての重石を背負わされる様に思われますが、その事件が起きた時点で、加害者にも被害者にも
一生癒される事が無い傷と重石を既に背負っていると思います。
では、第三者が考えるべき、取るべき立場はどうであるべきか、その事を無常感様が書き込まれてい
ますが、私もその通りだと思います。
そもそも、事件と言うものは起こってはならないものであり、もしそんな事が無ければ大勢の関係者
の人達が苦しい悲しい思いをしなくて済んだ事であるので、誰が悪いかと言う事の追求より、その様
な事件が起こらない様にするにはどうしたら良いかと言う事を第三者は考えるべきだと思いますし、
その後が少しでも良い方向へと向かって行って、再び事件が起こらない事が、きっと当事者の方にと
っても、第三者にとっても、世の中にとっても、正しい道に向かっていくものと思います。
凡才さん
>では、第三者が考えるべき、取るべき立場はどうであるべきか、
>その事を無常感様が書き込まれていますが、私もその通りだと思います。
そうなんですよね。
刑事上、民事上の加害者、被害者、過失責任・・
たったこれだけで、「責任論」をやるのって、個人主義の弊害だと思います。
交通事故も、オウム事件も同じ・・世のなか、そんな単純なものじゃないですよね。
刑事上、民事上の責任に関しては、当然ながらわれわれは一般人は「部外者」ですね
わざわざ、そんなこと説明しなくても、小学生でも分かります。
しかし、そのままの「勢い」で「あらゆる責任」について「部外者」を決め込む態度が正しいのか?・・
スループさんは、そこを問題提起されているわけですね。
この事件に関する社会的責任に関して、われわれ一般人は「部外者」なのでしょうか?
社会全体で責任を考えなくていいのでしょうか?
>誰が悪いかと言う事の追求より、その様な事件が起こらない様にするにはどうしたら良いかと言う事を第三者は考えるべきだと思いますし、その後が少しでも良い方向へと向かって行って、再び事件が起こらない事が、きっと当事者の方にとっても、第三者にとっても、世の中にとっても、正しい道に向かっていくものと思います。
そうです・・凡才さんのおっしゃるとおりです。
中学受験そして私立中高一貫校進学と、
毎年、同じような母数の親子が歩み、
そして同じように、その中で、
中受と私立中高一貫校のメリットを享受して、いわゆる波に乗って順風の中高生活を送る者から、
中受で無理をするデメリットと中高一貫校の生活を中だるみとして過ごす者へと、
その両極の間で山形に近い分布のいずれかに落ち着く理由は何なんでしょう。
ようは、自分にとって道標のない将来への航路に対して、
同じ道を歩んだ親子からフィードバックを受け想像力と行動を持って自分の対面する現実に向かい合って良い成果を得る者から、無理や好ましくない状況に直面し自らが望んでいなかった結果に落ち込む者へと
幅広い分布のいづれかへと道を分けるポイントなのではないでしょうか。
そういう見方から中受と私立中高一貫校のメリットを享受して、波に乗って順風の私立中高生活を送るポイントは、経験者のフィードバックのなかに見出せました。
EDUでは、何年もの間、さまざまなスレで中受と中高一貫校の多くのメリットや反省が語られてきまして、私自身、我が家のでの親子の対面する近い将来を見据えて現実に直面する糧として参考にして考え行動し、子供の教育学習で望んだ目標を達成してきました。
ここでの長い語らいでの、有効なポイントは何なのでしょうか。
あさがおさん
>中受と私立中高一貫校のメリットを享受して、いわゆる波に乗って順風の中高生活を送る者から、
中受で無理をするデメリットと中高一貫校の生活を中だるみとして過ごす者へと、
その両極の間で山形に近い分布のいずれかに落ち着く理由は何なんでしょう。
私的には、2つあって・・
ひとつは、この疑問文に関して、「私立中高一貫校」を「公立中高一貫校」に代えても、
何らおかしくはないわけで、あえて「私学」と提起する理由が無いということなんですね。
ふたつめは、これが本質的なことなんですが、メリットとデメリット・・
これは具体的に「何の」メリットとデメリットなのか?・・を語らないと意味が分からないと思うのですよ。
多分、あさがおさんがおっしゃることは「受験の成果」なんじゃないですか。
でも、教育って「受験」のことなんですか?・・・そういうアンチテーゼが、
>ここでの長い語らいでの、有効なポイント
・・になっていると思いますよ。
このスレでは、「良い教育(受験トレーニングではない)」という観点での、
「私学の価値」とは何ですか?・・そこがテーマになっています。
そこで私学支持者から有力論が出ずに、答えに詰まって「長い語らい」になっているわけです。
受験に有利・・これが私学一貫校のメリットですよ!
こういうご意見であれば、私は何も言うことが無いのですね・・正直な方だな・・と敬意を表します。
でも、こういう素直な方って、ほとんどいないです(笑)
いろいろとカッコつけちゃうわけですね。





























