充実した教育環境の日大付属高校
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
>ポジチブ(価値を強調)x ネガチブ(欠点を強調)の2軸
ポジティブとネガティブでしょ。
ポジチブとネガチブって・・・・・つぼにはまった(笑)。
>長期(理想的)x 短期(現実的)対応の性格の違いを認識せずに考えている方がおられるようです。
対応関係がおかしいよ。
「長期」も「現実」。
うちは、学校に期待してないよ。
活用できるものがあれば活用する。
学校が責任とってくれるわけでないから、自分の力で生きていけるように育てるだけ。
学校なんて変えなくても自分が変わればいい。
勉強したければ、本屋にいけばいくらでもある。
海外の文献も、その気になれば、ネットで調べられる。
自学自習ができるなら、勉強のためなら、学校も必要ない。
私立派は親も子供の学校への希望というか依存性が高いんだよね。
つまりモンペってこと。
依存するということは、自分の頭で考えないということ。
塾に依存する、学校に依存する。
つまり思考停止。
将来の志望を偏差値に依存したり、親が決めてやる。
これも思考停止。
親が過保護に子供に与えるということは、子供が思考停止になるということ。
視点さん
今は、本当に勉強だけなら学校はいらない環境が
整っていますよね。
ネット恐るべし文明の利器☆
視点さんのツボのところ改めて読んだら私もツボりました。
よく、ローマ字の変換がわからなくなるんですよね。
私エデュのローマ字変換を忘れエデユとなったりします。
いろいろ書き連ねてみても
筋が通らなけらば、ただの漢字並べた文になるんですよね。
難しいようにかかなくても・・・
以下、反論ではありません。注釈です。
>無かったら、近代国家は機能しません。
>私立中学、民間の警備会社・・
>無くても、近代国家は機能します。
見方を変えれば、
私立中学、民間の警備会社・・公立や警察では足りない又は出来ないサービスを提供して、社会にニーズがあるのです。否、社会にそういうニーズがあるから私立中学、民間の警備会社が存在しているのです。
> 多様性」は、・・・公立では、あまり聞かないような・・
>「公立=多様性」「私立=温室栽培」
教育内容の観点からは、学力の幅のある生徒に対して同じ授業をする公教育が、同質で金太郎飴的で、学力一定以上の層にとってはぬるま湯的な教育ともいえます。
また、副読本や資料を活用し幅広い学習と教科毎に習熟度別のクラスを提供して、各人に適した学習を提供する私学の教育が多様ともいえます。そもそも、私立は学校入試で学力選抜をしているだけで、それによって人の多様性が損なわれることはありませんし。
程度問題でもあり、捉え方の問題でもあるわけです。
>子供の学校選択は本人の判断に任せています・・なぜか・・自己責任をとらせるためです、
>これは議論になっている学校教育ではなく、私の親としての「家庭教育」の責務だと理解しています。
>それと、私の私学論とは別の話です。
親としてお子さんの選択を承認していることから、受験私学進学することでお子さんが自己責任のもと、ポジチブな価値を得る可能性があると理解していると、解釈出来ます。その暗に期待する価値が何なのでしょうか? そういう前提で下記の注釈です。
> 教育委員会の問題・・これが住民自治の問題だというご自覚が無かったことです。
> 受験私学の保護者も関係あるのですよ、教育委員会の問題は・・住民自治という意味で。
> 受験私学保護者だって、社会の問題を考えるのでしょう
大抵は、問題認識はあっても実際に効果を生むための行動の取り方がわからない、それまで待てない、というのが、現実でしょう。事実、理想論を大きな枠で抽象的に語るところで話の展開が終わり、現実的で具体的な対応策に落としこむ点を語らずに評論家的に語る方が、一方では、受験私学に進学する対策を取るという事実。これは、長期的理想像を思考しながらも、実際することは短期的で現実的な対応という賢い対応です。
> まったく同じ社会を観る場合でも、法律、政治、教育・・いろいろな切り口で観察した場合に、
> やはりいろいろな多様な見え方がするものです。
おっしゃるとおりです。一方、その切り口は、そういう観点でのスレタイで的を絞った話をしないと、話が多様というよりも、拡がり過ぎて雲をつかむようなやりとりに終始するでしょう。この観点で話をするのでしたら、法律、政治の素養のある方が、まず現実的で具体的な対応策に落としこむ具体策案を語らないと、話に広がりも、次の展開も無いように思えます。恐らく、そういう候補案を頭に思い浮かんだとしても、大抵の方は効力のある具体的対応策の取り方、手順を知らないか、行動は無理と考えます。(さくらさんはやる気満々のようですが)多様な見え方を示して下さったので、是非、腑に落ちる具体的案のレベルに展開させて下さい。
>視点さんが引用した大前研一氏のコメントが興味深いのは、
>「自分が何者であるか」という自己規定を求めて考え、行動すること・・・
>それが、学び、成長することなんだという示唆ですね。
>それは偏差値なんてもので分かったような気分になり、
>見通せると錯覚することで、学び、そして成長は止まるのだ・・と。
>私なりに、解釈しました。
このように大前研一氏のネガチブな側面を強調したコメントを対偶として解釈をしてポジチブに捉え、活用出来る形に転換するという点が、このスレに不足している面なんですね。それ無しでは、目的が見えないのですよ。不満ばかりをいうクレーマーみたいで。この解釈はそれでいいのですが、大前氏のこのコメントの成立は程度の問題であって、事実はそういう側面もあるが必ずしもそうではない面もある。彼は、単に自分の主張を強調するために都合のよい一面を抽出したという見方も出来る、という点はお忘れなく。
>うちは、学校に期待してないよ。
>活用できるものがあれば活用する。(視点さん)
そうです。そこが私の言いたいところでもあります。学校は子供にインテンションとヒントを与えてくれればいいのです。私立校率に関係なく。
>教育内容の観点からは、学力の幅のある生徒に対して同じ授業をする公教育が、同質で金太郎飴的で、学力一定以上の層にとってはぬるま湯的な教育ともいえます。
東大、京大、医学部に合格するために、お受験私立と公立中学じゃ、どっちが大変?
楽な方が温室。
地域・時代さんに質問
>うちの息子も小学校にやっていた競技とは違う競技をやったので、最初は公立で(地域のクラブチーム)でその競技をやっている子達に追い付くのに必死でした。
>中3ぐらいでやっと選抜のすごい子達と同レベルになった。って感じです。
中3で選抜組と同レベルって、部活毎日何時間くらい?
朝練ありだよね。
頑張っておいつきましたってさらっと書いてるけど、条件が同じなら、選抜のすごい子達以上の練習しないと追いつけないからね。
無常感さん
前ページでのお話で、お子さんの私学受験の件は、ある程度理解しました。保護者としての承認、そこに認めた暗黙の私学への期待・・・ポジチブな価値を求める私としては、そこが核心なのですが、その点については(本件においてではなく)別な話題で紹介していただければと考えます。
> 私たちには、「国民・地域住民の立場」「社会人の立場」「有権者の立場」「納税者の立場」・・
> いろいろな立場があるわけで、
>「親の立場」とは違う立場で、
> 社会がおかしいぞ・・これは、「学校教育」の問題、受験偏重の私学の問題ではないのか・・
>このように考えることは、全然、おかしくはないわけですよ。
>「親の立場」「学校教育」こういった狭い視点から、「受験私学ブランド」崇拝・・(無常感さん)
先に述べたとおり、時間軸を考えず理想的な教育の形とか仕組みをイメージして考える方々は少なからずいますよね。中受スレでも他のスレで頻繁に公教育の改革について取り上げられています。でも、そのような意見もその先の実際に教育を動かす組織への関与という現実の行動には至らずに、考えただけで消えてしまっています。まず、効力ある行動を取る難しさがあります。それに、実は、視点さんもが言われたように、学校を期待せず頼らず、自分で出来る対策があるからです。私学もその選択肢の一つではないですか?、
そもそも「国民・地域住民の立場」「社会人の立場」「有権者の立場」「納税者の立場」というのは、それこそ多くの立場が複雑にからみあっていて混沌としていますが、それが民主的に折り合いをつけてバランスしているのが現状ですよね。現状が全てを織り込んでいるのです。そういう観点から個々の問題は説明出来ます。それでも社会や政治が動くのは、社会の様々な要素が動的であり、静的なバランス上の均衡に、見過ごせない問題点が顕在化するからでしょう。それでは、今、教育の大局的問題って何でしょう。
小中義務教育> 高等教育 > 大学教育 > 社会の要請 の関連に今より幹の太い連携を持たせることだとおもうのです。受験私学の進学先偏重は、見方を変えれば教育に関心を持つ層が(民主主義によって)選択して現れ出た現象であって、根本的原因なんかではないのです。






























