充実した教育環境の日大付属高校
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
あさがおさん
>うちが私立を選んだ理由のひとつは、一貫校として中高で連携の取れたカリキュラムと高校入試がないことによるゆとりによって、本人の好きな学習や課外活動を深める時間を長く取ることが出来て、また子供の学習環境として現行の公立より魅力を感じたからです。ですから、そのメリットを享受して学習の習熟度を深めることが、我が家にとっての私学での価値のひとつです。私立の価値とは、そういった個人的な価値観の総和:Σ と考えます。
同じことを何度も繰り返しておられるけど、
あさがおさんは、要は、これが、言いたいわけでしょ?
私は別に、個人的選択の好みに口をはさむつもりは、ありません。
ゼロの適性さん ご存知ですか?
あなたが、個人選択至上主義の彼と話をすると、
受験私学バンザイ!で、盛り上がりますよ・・ウマが合うと思います、お勧めです。
無常感さん
では、無常感さんの話への不満を一つ指摘いたします。
AからBへ、BからCへ、というそれぞれの論理展開が100%成立しているわけではない。
見方によっては正しいが、そうでない部分もある。
つまり条件付きで成立していることを、あたかも100%正しいかといった展開をしている。
だから、最終的な主義が確かに一見納得がいく内容ではあるものの、広い象限のなかでは、あくまでも条件付きの限定的な主張(解)でしかない。その条件を少し丁寧に示し、貴方の主張はこういう条件下で有効であると述べれば、おそらく納得で出来るのだが、その条件については何も触れずじまいで、全ての対象に対して主張を拡げる。その主張が本スレで私学に向けられるようにネガチブである場合、私のポジションが無常感さんの説明しない「条件の外」にあるので、無条件さんのご意見に対して、そうではないだろうという不快感を感じているのです。それは私だけではないでしょう。無常感さんのご意見は、視点さんの主張の構造(言っていることはある意味正しいが必ずしもそれが全てではない)に似たものがあります。
意見さん
>恥ずかしながら、視野が狭く教養の足りない私には、どうしてこれが
当てはまる理由になるのか理解できません。
どうして国立大学が無料ということが、現代社会で中学が公でなけらばならないことの説明になるのか。
近代国家たる日本では、「学校教育」は国家が行わなければならない・・
これは、近代国家のすごくベーシックなところです。
学校教育を国家の責務である・・その証拠に、
国家の責務だからこそ、大学までの学校教育を無償化するぞ・・と国連で各国が協議を重ねていることを
示したのですね。学校教育が国家の責務ではないのなら、こんな協議は無意味です。
『「学校教育」は国家が行わなければならない』・・では、なぜ私学があるのか・・
この考え方がセオリー、正しい流れなんですよ。
これは何も私個人の考え方、想像ではありません・・行政法上の「特許説」といいますが、
文科省もこの考え方に沿っています。
国家が学校教育を行うべきである。(一義的)→では、私学をどう考えるか(二義的)
>>学習障害の子どもがいます・・私学は受け入れてくれますか?
>受け入れさせたら良いのでは?いやいや受け入れる公立より本人にとってもよいかもしれません。
受け入れてくれない公立が問題になったこともありましたね。
主体を国家でなく「教育を受ける子供」としたとき・・・どうしたらその子供は幸せになれるのでしょうか?
公立学校でしっかり受け皿を用意しないと、人権問題の議論になりますよね。
でも、私学で、学習障害の子どもを一定割合、引き受けるべきだ・・このようなことが議論になりますか?
・・ならないですよ。
逆に、中高一貫校で学力不振の生徒を高校に進ませない、人権上問題では?・・と思う事例に
遭遇したことがあります。
人権って何なのか、人権が国家とどういう関わりがあるのか・・その概念が欠落したまま、
私学助成金欲しさに私学も公教育だ・・と主張するのって、無意味だと思っているのですね・・
特に受験私学は。
意見さん
無常感さんのずっとこれまでのコメントを読んで理解できないのなら
理解できないと思いますよ。
これ以上噛み砕く必要がないくらい噛み砕いているから
おそらく私が説明しても、結局堂々巡りしてしまうだけです。
無常感さん
私学助成廃止は、いままで抵抗あったけれど
考えてみれば、私学助成だってこれから続けられるかどうか
教育費だってこれほどまでに少ない日本なら
私学は自立してもらって
公立を立て直していただきたいです。
そうなんですね。いつか調べたときのは高校の割合だったのですね。
とすれば、
30%もないのですね。
それでは、このまま少子化になってくるのですから
公立に切り替え時ですね。
このまま中学受験の低学年からの通塾が一般化するって
歪んでいるように思います。
>無常感さんのずっとこれまでのコメントを読んで理解できないのなら
理解できないと思いますよ。
これ以上噛み砕く必要がないくらい噛み砕いているから
おそらく私が説明しても、結局堂々巡りしてしまうだけです。(さくらさん)
国家と自分(国民)の関係を理解してないと、理解は難しいのかもしれませんね。
自分は自由だ・・学校を、公立を選ぼうが、私学を選ぼうが自由ではないか・・
国家なんか信用していないし、私学で十分だ。
適性さんのように、個人の視野に局所化して語るのは、それは自由です・・勝手ですよ。
個人的に気に行った受験私学があったのですね・・
個人の好みですもんね、よかった、よかった・・
でも、社会を語るのは、それとは違うわけです。
もっと、視野を広げなければ、語れないですよね。
国家が国民に学校教育を行う責務を負っている・・
この事実が、「個人の好み」に左右されることはありません。
では、文部科学省が考える定説では、私学(いわゆる一条校)とは何なのか?・・
国家の代理なんですよ・・その基本が分かっていないと訳がわからなくなります。
いじめの問題で注目していたのが
表面化しましたね。
私思うのですけど、カソリックとかいって
看板にだして教育をしている私学なら
もしこのような事件が起きたときに
本当にその精神性が問われると思うのですね。
一体なにを基準に教育しているのか
結局、お金中心ブランド中心だったのではないのかな。
学校とは、教育とは、
なにか違った方向にいった結果じゃないんですかね。






























