女子美の中高大連携授業
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
まあ、追記さんはエラーだった可能性もあるので、なんとも言えませんが、
よくあるケースで、
自分の都合に良い箇所(相手の言動の断片)だけコピペするわけです。
それに呼応する自分のレスは、決して貼らない。
また、言葉をどんどん置き換えて多段階論法でいくから、もう、原形をとどめていません。
日本語の乱れ・・ひどいものです。
まあ、それこそ、悪意なのかも(意見です)
>中学受験という物語の批判者に、怒りを感じている・・フライング、ドーピングは攻撃するうえでの口実に過ぎない・・ それが、真実ではないかと。 (無常感)
ここを私は、案外サラ~・・と書きましたが、ここでおもしろい言葉は「物語」なんですね。
人生というのは、決して論文のように語れるものではなく、
ひとりひとりが、生な人間として「物語」としてでしか人生を語ることが出来ない。
合理的な根拠をもって議論するという理性的な立場と、人生を語る主観的な立場は別のものである。
よって、どんな理由であれ、個個人が抱いている中学受験という「物語」を批判することは適切とはいえない。
それは、多くの人にとっては当事者意識の無いものであっても、エベレスト登頂の快挙に素直に敬意を
表することと同じ心情である。
こういう主張があってもおかしくない・・とも思うのですね。(あまり、聞きませんけどね)
理性的な立場に固執して、フライング、ドーピングという言語の問題性を指摘しても
あまり意味が無いと思うのですね。(そもそも、この切り口で論破するのは無理ですよ)
震災から一年がたちました。亡くなられたかたがたのご冥福をあらためてお祈りするとともに、被害にあわれていまも苦しんでおられるかたがたにこころよりお見舞い申し上げます。
* * *
なんとまあ さん
無常感 さん
わたしの突拍子もない話題におつきあいいただき、ありがとうございます。
ここではまず、なんとまあさんの投稿にお返事したいとおもいます。
>漢字を捨て、ただの発音記号ともいえるハングルにしたせいで、かなりの混乱や間違いがなんと多いことか。
漢字には表意文字としての長所があり、それをすてるには、文の表現をくふうしなければならない、という例だとおもいます。同じ発音のおおい漢語をへらすことが、そのひとつです。
>長編小説をひらがなのみで読むことを考えてみればどういうことが起こるのかわかるはずです。
読みにくくて実用にならないというご意見かとおもいますが、この点はまったく問題がないとかんがえます。その理由は簡単にいえば、「慣れ」です。わたしたち日本人は、小学校のときから、かな漢字混じり文を読むぼうだいな練習をしています。ですから、かな漢字混じり文を読みやすく感じるのですが、ローマ字であればその数分の一の労力で、おなじ読み取り能力をみにつけられるとおもいます。これはローマ字化のおおきな利点です。
いくつか関連する例をみてみましょう。
わたしたちよりすこしまえの世代では、手紙を毛筆の草書でかくことが普通におこなわれていました。しかしわたしたちの世代で草書をすらすら読めるひとはすくないでしょう。その訓練を受けていないからです。このことは文の読みやすさは、表現形式じたいにあるのではなく、その形式の文を読む訓練の量によることをしめします。
いまはどうかしらないのですが、以前は速記士とよばれるひとたちがいました。国会中継などでごらんになったかたもおおいとおもいます。かれらは速記用に開発されたとくべつな表音文字を自在に読み書きすることができます。書くことにいたっては、話者の発話とおなじはやさでできるという、いちじるしい特徴さえそなえています。まさに訓練のたまものです。
点字。一種のかな文字ですが、じっさいに長編小説などが点字に翻訳されていることはごぞんじのとおりです。日本語をローマ字化しても問題ないことをつよく支持する例です。
余談になりますが、時代をさかのぼって、「平家物語」をとりあげてみましょう。この長編軍記物は、いまでこそ和漢混淆文のかたちをとっていますが、もとは琵琶法師による「語り本」でした。口承ですから、そのゆたかな内容は視覚的な漢字のたすけなしにつたえられていたのです。日本語にとって漢字が必須ではないことのあかしともいえるのではないでしょうか。
ほかにも、むかしの電報(カタカナがつかわれていました)やモールス符号など、かな文字の使用とかんがえられるものが実用になっていた例があります。
ここでは、「読みさすさ」というてんについてのべさせていただきましたが、はんたいに「書きやすさ」については、どちらに軍配があがるかあきらかでしょう。
>言葉は文化です。
なんとまあさんのばあい、この文はつぎのようにつづくのでしょうか。
「言葉は文化です。文化はたいせつにまもらなければなりません。だから、言葉をむやみにいじってはいけません。」
つまり文頭でのべられた
>ひとつだけ言いたいことは、日本語のローマ字化はあってはならないことなのです。
ということですね。けれど、この文はつぎのようにつづけることもできます。
「言葉は文化です。文化は時とともにかわってゆくものです。だから、言葉を時代にあわせてゆくことをためらう必要はありません。」
しかし、わたしはさらにふみこんで、「言葉は文化です」という主張に疑問をとなえたいとおもいます。ことばの第一の本質は、ひととひとがコミュニケーションをするための「道具」であることではないでしょうか。道具であれば、時代の要請にあわせて改良していくのは自然なことだとおもいます。
ずっと前の削除申請の話。
「1つの意見と思うから、自分は申請しないという意見だ」
と、ありましたけど。
その前に、NGワードだとか差別用語だとかいう
流れがあったのにもかかわらず、書きこむというのは
確実に削除される、又は削除されるかもしれないということを承知した上で
その間に読んでいる人たちに読んでもらえればOK、
で書いたということだったのでは?
瞬殺のケースでなければ、一定時間はそのままですからね。
削除される書き込みの中にも意見が含まれている、なるほど。
コテハンは遠慮さん
>その前に、NGワードだとか差別用語だとかいう
流れがあったのにもかかわらず、書きこむというのは
確実に削除される、又は削除されるかもしれないということを承知した上で
その間に読んでいる人たちに読んでもらえればOK、
で書いたということだったのでは?
そうなのですか?私やりとりの今を読んでいなので
状況を掴めないのです。
こうして掲示板で書き込むって参加している
ライブ感からその場が読めるっていう場合ありますよね。
なので、削除されると余計いったいどうだったかわからないですね。
話は、ちがいますけど
今、おなじHNを使って反撃するパターンエデュで増えてますね。
そうです。たとえば固定ハンドルネームは遠慮さんのHNで
他の方が書き込むっていう反則といえば反則技です。
人は、常識良識といいますが、エデュをもってこれですから
がちがちにならず、それでさえもうまくサーフィンできたらいいですね。
今日で、去年の震災から1年経ちました。
NHKで神戸の震災の方々と東北の方々が復興について
語っていました。
今回の震災のは、原発事故があったこと
そして、被害規模が広範囲に渡っています。
亡くなられたのご冥福をお祈りするとともに
これからの復興に日本全体がかかわっている意識と
今回の震災の教訓を未来に活かすこと
若者に不屈の精神としなやかさを感じる
日本になって欲しいです。
D:ふーん、だからこっちの人たちは「属性批判だ!」って攻撃してたの?
F:まあね。でも厳密に言うとこの「属性」と○○○○は違うんだよ。
D:そうなの?でもなんで直接的に反撃しないのかな?言葉尻ばかり捉えてたみたいだけど。
F:それはね。どっちも傷つくからさ。「悪意の顕在化」とだけ言っておこうか。
D:なんか良く分からないや。
F:多分どっちの人たちも分かっているよ。まあ、言わぬが花ってこともあるからね。
D:あーめんどくさい。遊びに行こうっと。
F:こりゃ、英単語やるぞ!
D:ならドーナツ買って。百円セール中だから。
F:ふう、、昔より質が落ちてんのにねえ、、。




































