在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
弱者の定義ってなんでしょう。
中受板、それもスレタイが私学の価値ですので、どうしてもある一定レベル以上の話になるのでしょうけれど、教育ということで考えれば、全体の底上げが必要なのではないかと感じます。
弱者に目を向けているという方々に、公立ってそんなにだめですか?と聞きたくなります。
うちは弱者かもしれませんが。
恵まれている方たちが自覚しないといけないと言われているように、弱者も自覚しないといけませんかね。
公立だろうが私立だろうが、個人としてはそれぞれが努力をすればいいだけの話ではないですか?
恵まれている方たちが自覚することはご自分たちの為であって、弱者には何の関係もないのではないですか?
こちらの方たちはそんなつもりはないのだと思いますが、私学の価値に疑問を持つ方、共感される方々は、結局は弱者を切り捨てて話しているだけのように思えてきました。
私学の価値、個人的にも社会的にもあると思います。
でもだからといって、私学(学校や生徒とそのご家庭)を敵視し責める必要はないと思います。
すれ違い、的外れのようでしたらすみません。
被災はしんどかったけど、特殊事情や
教育とゴチャ混ぜで考えたらアカン
フツーに生活してるもんに、弱者ちゅう気持ちなんかあらへん。
フツーの格好して満足してるもんに
ボロ着てカワイソ
なんて上から目線で見たらアカン
それこそ差別やで
面白い考え方ですねさん
意識しなければ、育てられたように育ててしまうから、
大丈夫のように思いますけれども、
語り手も受け手も違うから、やはり微妙に変わるのかもしれませんね。
面白い考え方ですねさんは親として父を思い浮かべ、私は母を思い浮かべる。
単に同性というだけなのか、こういう違いも面白いですね。
さくらさん
蛍の光に続きがあったんですね~。
なるほど。
いろいろ排除されてきたのね。
汽船さん
>「物足りなさ」だけを感じて授業中も「やることがなくて」つまらないという生徒や
>自分の子がそうであるという保護者は多くいるが
>実はそういう子は勉強に向いていないのかもしれない。
そうかもしれませんね。
ただ、すでに知っていることやすぐに理解できたことを、
ゆっくりと延々と聞かされる苦痛はあるんじゃないでしょうか。
その時間を自分の調べ物に費やせるわけではないので。
jyakusya?さん
以前もいったことがあるのですが、私は弱者という言葉が嫌いです。
発する人の立場によって、驕りのようにも、甘えのようにも感じてしまうんですよね。
こういうのも、スループさんのおっしゃる漢語の汚染の一つなのでしょうか。
jyakusyaになると、視覚での嫌な感じが多少弱まるのね…と思いました。
社会を大きく動かしているのは主に恵まれた人たちなんだと思います。
だから、ここで語りかける必要があったんだろうなと思っています。
恵まれた親が気づいてくれることを願い、恵まれた子に伝えてもらうために。
動機が大事だよねさん
お声がけいただき、ありがとうございました。
沈み行く船なんていわれていますが、
そのときは、泳ぎは下手だけど、どこかに泳いでいきます。
子どもの間にしておくべきこと、変わらず訴え続けてくださいね。
子どもの頃の一見くだらない楽しい思い出、とても大事だと思います。
視点さん
時には、「否定的な」主義主張も、あってもいいと思います。
刺激になりますからね。
でも、どうせ、皆をビックリさせるなら、「創造的な」主義主張をしてほしかったな。
誰しもが、考えつかなかった、気がつきもしなかった「主義主張」を。
そして、我こそが、そういう「主義主張」をしてやろうと、皆が考えて、考えて、考え抜く。
次は、そういう議論はいかがでしょうか。
(でも、視点さんは、そんな議論はやらないか。)
とりあえず、お疲れ様でした。
ふう様
あまり、会話はできませんでしたが、最後の「味」なコメント、ありがとうございました(「通りすがり」も入っていたし)。
4文字は、選民意識だったのですか。
まったく、わかりませんでした。
自分は、意識・自覚したことは、ありませんでしたね。
そういえば、「トロッコ問題」で、「背中を押す人」は、「自分は他人より価値が高いと思っている人」という言葉をおっしゃってましたね。
これは決して「ふう様」のことを言っているわけではありませんが、「人の価値に差異がある(自分の方が高いと感じているという意味ではありません。念のため)」と潜在意識にある人こそ、「他人より価値が高いと思っている人」が「存在するはずだ」と感じられてしまう、ということはないのでしょうか。
私も、自問してみます。
お疲れ様でした。
面白い考えですねさん
公立校でいい先生だなあ(教え方含め)の率って
どのくらいだったですか?
私は、10人に1人ぐらいでした。
先日、ある中堅以下を教える塾の塾講師さんの
話を読んでいたのですが、相手は、公立中学の
ボトム当たりの学力で自分は、中堅大学の大学生
中学3年にして 主語の後に動詞がくることも
わかってないようです。
勉強方法は、教科書をまる写しさせるのが宿題だそうです。
やはり、幅がありすぎですよね。習熟度を持ち込めないのは
つらいところです、上、中、下で習熟度を設けるのが
(名前を変えてでもいいから)
ひとりひとりの勉強のためでもあるんだけれどな。
jyakusya?さん
弱者というのは、希望の光がひとつも与えられていない
状態の人というイメージです。
人生の逆転が不可能なような。
日本では、まだ恵まれているほうなんでしょうか。
上から目線というより
自分もそのように生まれてきたら
そのような生活だっただろうと思います。
たまたま、日本で普通だったからありがたいだけで
今の自分がなにかの心がけで
もう一度生まれなおしたときにその状態になるかもしれません。
その時貧しいながら隣人に食べ物をわけあたえるだろうか
なんて考えます。
動機さん
私もお誘いありがとうございます。
そちらの船はどんな船でしょうか。
皆さん 沈みゆく船ということで表現されていますけれど
私的には、ロマンティクなゴンドラなんかも素敵だと思います。
恋人同士でヴェネツィアのイタリアの運河をめぐる
ご一緒にいかがですか?
弱点さん
お返事有難うございました。
>>「物足りなさ」だけを感じて授業中も「やることがなくて」つまらないという生徒や
>>自分の子がそうであるという保護者は多くいるが
>>実はそういう子は勉強に向いていないのかもしれない。
>そうかもしれませんね。
>ただ、すでに知っていることやすぐに理解できたことを、
>ゆっくりと延々と聞かされる苦痛はあるんじゃないでしょうか。
>その時間を自分の調べ物に費やせるわけではないので。
すでに「自ら」考えたことであったらその時間は考える(妄想する)のであります。
愚生は決して出来のよい生徒ではありませんでしたがそうして参りました。
たとえば卑近な例ですがそれでも負の数に負の数をかけると正になることの説明が
自分でできる中学生がどのくらいいるでありましょうか?そのことを(何かで勉強した
(習った)のではなく)(または勉強したあとでも自分の言葉で)自ら徹底的に考えた
ことのある生徒はもっと少ないでありましょう。
もしそういう生徒がいたらそれこそ天賦の才と言ってよいのではなかろうかと思います。
「すでに知っていることやすぐに理解できたこと」という言い方は愚生はあまり好みま
せん。何故ならどんなことでもよく考えて自明なことになるまでは奥があるものと思う
からであります。「もう知っている」というときはたいてい「知っている」だけであり
ます。中学校で習う内容は徹底した議論ができないという制約上自ら考え直す
(妄想する)余地がたくさん残されておりますよ。
長く書くと疲れるので中途半端ですがこの辺で。




































