アートの才能を伸ばす女子教育
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
弱点さん
>大学へ行く目的ですが、大学側は教養をつけさせるためと言うでしょう。
本人や保護者も教養をつけるためと言うかもしれません。
だったら、別にどこの大学でもいいんじゃないですか?
大学によって、それほど学ぶ教養に差があるのでしょうか?
なぜ大学名にこだわるのでしょうか。
現在のように受験で過熱するということは、
教養はおまけなんだと思います
レスを戻って恐縮ですが・・
私は、大学に行くのは
教養を身につけることが目的である・・と申しているものの、
現実は、みんな学歴を得るために行っているではないか。
教養を身につけることが目的なら、どこの大学でも同じはないか・・
・・そういう弱点さんの疑問は、ごもっともです。
多くの人が、学歴を求めて大学に行くのですね・・教養ではない。
だけども、社会に出て「教養で差がつく」のだと思いますよ。
社会で多くの場合に、高学歴者が有利な結果になっているのは、
学歴を勝ち取った受験勝者だからではなくて、教養があるからです。
確率的に、高学歴者に教養がある者の割合が多い・・それだけのこと。
ただし、高学歴だからといって、教養があるとはかぎりません。
9歳から塾・・大学受験を見据えてかなり無理してますが、
教養を磨くうえで、こういうのはどうなのか・・と疑問を感じます。
無常感さん
>ゲーム好きのゲーム時の集中力・・私は、認めたくないですね。
「集中力」に関しては、みんなあると思っています。
ゲームの集中力は集中力じゃないって、おかしい話でしょう。
集中力は集中力です。発揮されるかされないかは、対象によって変わるだけで。
すべてのものに集中力がある人なんていますか?
勉強とか仕事とかに対する集中力が見当たらないならば、
それに対する意識や忍耐力や責任感が乏しいんだと思います。
>大学の教養がおまけになってるからこそ、問題なんですよ。
それはわかっております。
>教養が身につく大学と、名ばかりの大学で差が出るのは当然かと。
? 例えば、どこの大学なのでしょうか。
どちらも一緒の大学じゃないですか?
学ぶ学生の意識によって異なるだけで。
無常感さんにとって「教養」ってなんですか?
読んだ多くの本の内容をスラスラ説明できるのが教養ですか?
受験なんて暗記でしょとおっしゃっていましたが、やはり記憶力の問題かしら?
ゲームについてですが、別に私はゲーム推奨者ではないですよ。
今の子は集中力がないというような話が出たから、
集中力がないわけじゃないという例にしたまでで。
それと、初期のゲームの内容は、ただの暇つぶしでしょう。
ゲームもいろいろですね。
ゲーム好きさんなら、よくご存じなのかもしれません。
>ゲーム好きのゲーム時の集中力
>ゲームの集中力は集中力じゃないって、おかしい話でしょう。 集中力は集中力です。
そうかな?同じ種類の集中力と証明されているわけでもなし。それを集中力と呼んでひとくくりにしているだけ。
科学的に証明されたわけでもない。
弱点さん
語感の問題ですが、
好きなものに対して、集中することに「力」が必要でしょうか?特段努力しなくても、気がついたら集中した・・というだけの話ではないですか?
「力」・・集中力が必要なのは、好きでもないことに、取り組まなければならないときではないでしょうか。
私が教養と申しているのは、リベラルアーツです。お作法みたいなもので、共通コードをもっていればいい会話が出来ます。
受験知識とか、本の知識とは違います。
今日の朝日新聞朝刊で、「東大脳の限界を知りました」というコラム記事があって、東大理Ⅲ出身の福井一成氏によれば、東大入試というのは、①効率のよい暗記能力②高速の処理能力の2点に尽きるらしいですよ。脳科学的には、主に左脳の側頭葉や海馬など記憶を担当する領域・・使うのは脳の一部だとか。
この記憶を書いた東大卒の記者が、アメリカの大学に留学して、教授から「私の学説をなぞるな」「君の意見を言え」と厳しく指摘されたらしい。
大学受験は暗記であって、教養ではない。
分かりやすい記事でした。
無常感様
こんばんは。
暗記に関しては、自分が完璧にする意志と最適な方法が見つかれば、かなり完璧なレベルまで達しますね。確かに、
今の試験はどれを取っても同じ様な事が言えると思います。だから教養の域まで達しないのですが、そこから先は
きっと本人次第だと思います。生かそうと思うか、思わないかで、きっとその先が変わってくると思います。
弱点さま
たまごっち、
いつも気にかけ、世話をしていると、成長目覚ましいゲーム内生き物。
少しでも、ほったらかすと、まみれて・・・・悲壮な状態で発見されます。
たとえゲーム内で、リセットできるとしても、世話する側としては、後味の悪いこと極まりない。だんだん、強迫観念に捉われ?世話を始め、過剰な世話をすることに快感さえ覚えます。これは、苦行の末の快感(無常感さま)に近いかも。
子育てが、ある意味で、苦行(自覚はないかも)になっているのではないかと思う部分があります。
親類縁者から、世間から、良いお子さんを育てたという勲章が欲しい、
本人が苦労しなくて済むように、与えられるものを全て与え尽くしたい、
本人の幸福な人生の「基礎」を築きたい、
子育てを点数化して他者と比べる感覚、とでも言いましょうか・・・。
自分は精一杯の子育てをした、そして、それはその子の為にやっている、
それは親なら万人にあること、なくてはならない感情でもありますが。
両義性があると思うわけです。
また、ほったらかすとろくなもんにならないという価値観の芽生え。
実際、プランターで育てる植物などは、ある程度手入れが必要ですし。
雑草を抜いてやり、化学肥料を混ぜてやり、水も太陽も人間の手で加減してやる。
ほったらかすと伸びてくるのは雑草で、本来はその雑草に意味があるように思うけれど、そう思えなくなっている感覚。
という意味合いでたまごっちを使いました。
私も、ほったらかす、というと語弊があるように思うのですが、
本当に、自分自身を律して、それこそ、苦行です(笑)
でも、会話・対話は多くなるように努力したので、一応情報は入ります。
一端、どこかで手を離さないと、下手すると、社会人になってから、転んで大怪我するんですよね。転び方も分からないから大怪我する。
無常感さま
教養、私はとても大事に思っています。
弱点さまのおっしゃるように、どの大学でも教養は身に付けられると思っています。
大学に入ってからの勝負の部分も大きいはずです。また、そうでなければならないとすら思います。その為には、勉強したい人だけが大学に進学すべきだし、卒業の門は狭くあるべきと。
無常感さまは「何の為に」或いは「なぜ」大学で教養を学ぶ必要があると考えますか?特に、国立大学は、学費は安く、国民の税金を「お借り」して学ばせてもらっていると思うのですよね。では、国立大学ではどんな人材を育成すべきなのか、その過程で「教養」とはどんな役割を果たすのか、また、為政者(官僚も含むのな・・・)医者、教育者、科学者、などの育成に専門知識はいらないのでしょうか?
それを踏まえて、大学以前の教育とは何なんでしょう?






























