アートの才能を伸ばす女子教育
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
凡才さん
私自身の拙い受験経験で感じたことは、受験知識というのは、ショートカット、過程省略系の知識だということです。
本来、A→B→C→Dと考えることを
A→Dとショートカットで暗記するわけですね。BとCの存在を考えもしない・・受験はこれで済むわけです。また、そうしないと時間が足りない。
でも、どうでしょうか・・B、Cという前提条件が何らかの理由で変わっていたら?当然、A→Dにはならないのですが、受験知識漬けの学生は、どう考えればいいかさえ見当がつかないわけですね。
私は、教養というのは、A→B→C→Dというプロセスを自分で考えることが出来ることだと思うのですね。たとえ、Dという結論をド忘れしていても、自力で導くことが出来る・・また、変化にも強いですね、自分で考えられるわけですから。「もしかしたら、前提条件が変わっていて結論はDではなく、Eかもしれない・・」そのように推考出来る人が頭の良い人ではないかと。
本人次第というのは、誠におっしゃるとおりですが、9際から塾通いでA→Dと暗記に慣れきってしまうとどうでしょうか・・児童期からの丸暗記は、私には良いこととは思えないのですね。
無常感さん
>「力」・・集中力が必要なのは、好きでもないことに、取り組まなければならないときではないでしょうか。
そうかもしれません。
が、そうなのでしょうか?と言いたくなってしまうのは無常感さんだからでしょうか。
すみません。
好きな仕事だって、集中力は必要ですよね。
好きなんだから力は必要なかったはず、なのでしょうか?
そんなに白黒はっきりできるものなのでしょうか。
>私が教養と申しているのは、リベラルアーツです。
>お作法みたいなもので、共通コードをもっていればいい会話が出来ます。
大学の1、2年で学ぶものならば、誰でも一通りは学びますよね。
>確率的に、高学歴者に教養がある者の割合が多い・・それだけのこと。
>ただし、高学歴だからといって、教養があるとはかぎりません。
と書かれていましたが、
いい会話ができない=教養がないと判断されるのでしょうか?
会話なんてお互いさまの部分が多いと思うのですが…。
その値踏みが会話を壊すんじゃないかしら。
>受験知識とか、本の知識とは違います。
だから、どういうものなのかを聞きたくなるんですね。
それで何度もお聞きするのですが、その答えは私には同じに思えるのです。
教養は自分で深く考え、自分の身としたものと定義されているように思いますが、
一般的にそう定義されているのでしょうか?
記憶力の高い人が有利になる幅広い知識なんじゃないかと思うのですが。
無常感さんがおっしゃる部分に欠かせないのは、
身の程を知る経験の有無のような気がするのですか。
ゲーム好き?さん
違うところで反応されてしまいました。
ゲームで何か考えさせられたことがおありかなと思ったのですが。
枕流漱石さん
このような掲示板では、私は相手から自分と同じ考えの部分を探すのですが、
枕流漱石さんの場合は私と違う部分を探さないといけないほどです。
たまごっちは、ほうっておくと死に神が訪れますが、
人間には死に神を退ける力がありますよね。
いや、最初はないのかもしれません。
自分でその力をつける必要があるのでしょう。
親はその力をつけさせる手伝いをしないといけないのに、
私が追っ払ってやるという気持ちが強すぎるんだと思います。
永遠に生き続ける自信でもあるのでしょうか。
冒頭のたまごっちの説明を読んで、
子育てが自己満足になっているのねと思いました。
何だかんだと理屈をつけても、そうなっているのでしょう。
そこから逃れられないとしても、自己への問いかけは必要ですよね。
子育てって、子どもの年齢によって対応を変えないといけないものなんだと思います。
その辺をうまく変化させられない気がします。
いつまでも小さな○○ちゃん。
それこそ痛い目にでも遭わないと、身に染みないのが難点なのかしら。
枕流漱石さん
昨日、紹介した朝日新聞記事で、
東大卒の官僚、政治家が、尖閣など領土問題、巨額の政府債務など国家的課題を解決出来ないのはなぜか?・・という問いがあって、答えは、
脳内で受験とは使う場所が違うから
・・ということでした。
東大入試で鍛えた側頭葉、海馬だけではダメで、論理的思考をつかさどる左脳の前頭葉が必要らしいです。
私が、教養と申しているのは、枕流漱石さんに書いたレスのとおり、自分で考える力です。
何のため大学で教養を学ぶか・・たとえてみると、
どんな組織にでも育つIPS細胞・・そういった人材を育てるために、国家は大学で国民に教養を学ばせるのですよ。
何かの目的のための専門教育とは違います。高校と大学の違いは、教養課程の有無にある。もちろん、高校卒の方が教養は身につけるのは可能ですが、学校としての機能の違いを申しています。
現実には、大学の教養教育がうまくいっているようには見えませんけどね。児童期からの受験・・ここで暗記主義を刷り込まれてしまうわけですね。
弱点さん
ほんと語感の問題なんですが(笑)・・
好きな仕事に、集中力は要らないですよ。
むしろ、好きな仕事だけに流されず、嫌いな仕事にも目を向ける意志「力」が必要です。
好きな仕事だけの幸せな環境の方は、好きなことだけに集中すればいいかもしれませんが・・
大学教養課程が教養を実現できていたらいいのですが、現実には、「大学教養課程の単位をとること」と「教養を身につけること」は違います。
私が言う「いい会話」というのは、お互いに擦り合わせなくても、共通コードで暗黙の了解があって、あうんの呼吸で会話出来ることです。多弁は不要、ショートメッセージでいいのですよ。そういうのを教養というのではないかと。
凡才さんへのレスで書いたように、記憶量ではなくて、思考回路ですよ。
無常感さん
>好きな仕事に、集中力は要らないですよ。
そんなことを言うと、好きなことを仕事にできた人に怒られますよ。
仕事なんだから、そんな気楽なものではないでしょう。
どんなに好きでも。
自分で考える力が教養ならば、
別に大学へ行く行かないは関係ないですよね。
掲示板で話している相手に教養とか知性とか、ないニュアンスでおっしゃるでしょう。
それも気になっていて、しつこく聞いているのです。
何か違うんじゃないかなと思って。
私は幅広い知識があれば教養がある人と思っていましたが、
(というか、教養云々をあまり意識しませんが)
人によっては人徳があることを教養がある人と思っているようです。
どれもこれも全部ってことならば、教養のある人なんてほとんどいませんね。
それと、ショートメッセージは誤読を生みやすいです。
それを気にするか気にしないか、性格の問題だと思いますけど。
弱点さん
まあ、好きな仕事・・というのが幻想ではないでしょうか。どんな仕事でも大方は辛いもので、そんななかに苦労してささやかな喜びを見つける・・私には、その方がしっくりします。
教養が知識に過ぎないなら、雑学と何が違うのか?・・という疑問が湧きますよね。教養というのは、あくまでも思考回路だと思いますよ。
さきほどの例でいえば、
A→B→C→Dと理解してるのが教養で、
A→Dと中間を省略して暗記してるのが雑学かと。
教養のある人と教養がない人を、あえて分ける必要はないですよ。ある種の共通のコードで、ショートメッセージの会話が成り立つ・・その2人の間に共通了解の教養があるとは言えないでしょうか。
たとえば、
「予定調和的だよね」「そう・・神の意志かも」・・といったショートの会話が成り立てば、2人の間には、宗教論理の共通了解があるわけですね。






























