インターエデュPICKUP
8211 コメント 最終更新:

私学中学の価値 3校め

【2453513】
スレッド作成者: ようこそ!書き込み歓迎 (ID:80gWfX5qAeY)
2012年 03月 03日 00:25

引き続き よろしくお願いします。

【2821905】 投稿者: 枕流漱石   (ID:mF8hBEkPbqs)
投稿日時:2013年 01月 16日 20:23

こんばんは、弱点さま

私も、こんなところで、似たような、しかも、少数派?と思われる人と出会うことは珍しいかなと思います。弱点さまのご家庭も中学受験はなさったのですよね?我が家もしました。
愛と見栄と自己満足の受験だったかもしれません。ただ、唯一の救いは、子どもがその環境で楽しそうにしてくれていること、健康であること、友達に恵まれたこと、などが目に見えること。でも、本人曰く、どこにいってもそれなりの人生はあったはずだと。確かにそのような考え方も正しくて、結局、どんな道でも歩いていける人間に育てるのが、私の役目なんかな?と子どもに教えられる日々です。

その為に大事にしていることは、情報処理能力です。リテラシー能力とでもいいましょうか。勢い、我が道を行く、という孤独に陥りますが、そこを歩いていくうちに、我慢も忍耐も対処方法も身に付け、世の中の理不尽や不条理にも向き合える力を得るような気がします。孤独に耐える力が必要だし、自尊心を持たないというか、何と言ったらいいか、「水」のような、執着心から解放された変幻自在な心が持てればいいなと思っています。。

私は、エデュに集う方々は、たぶん、高学歴で、お子さまもそれ相応に上手く育っていらっしゃる方が多いように推測します。少なくとも、私の興味を引く、立ち寄るところはそうなのかなと感じます。世の中は不条理に満ちている、既に、我が子は、ある意味、私の血を引き、私のとして生まれた不条理を背負って生きている。既に彼らはそこに立ち向かっている、私なんかはそう思います。

いつまでもかわゆい〇〇ちゃん。
痛い目には遭いません。相続税も変わりそうだし、孫の教育にお金も口も出す、ジジ・ババになるのでは?親のみならず、祖父母の期待を背負うことになるのかな。子どもたちも重いと思います。

選択肢は多数あって、どれを選んでも正解の個人主義的世の中になりつつあるのに、皆がこぞって選ぶ選択肢がある。不思議だね、どうしてかしら。みんなが口を揃えれば、裸の王様も洋服を着ていることになる、それと同じ感じがします。どんな選択肢を選んでも、それに後悔ではなく、疑問をもつことは、常に新しい自分を創造するキッカケになると思っています。

【2821908】 投稿者: 弱点   (ID:0CO/X.SL80U)
投稿日時:2013年 01月 16日 20:26

無常感さん
イメージしているものがそれぞれ違うから、違和感だけが残るのです。
会話についても、私は今はこの掲示板での会話をイメージしています。
ショートな会話の共通了解にしたって、
実はどれだけ共通しているのか不明なんじゃないかと思います。
例に出された宗教倫理の共通了解は、BとCに該当して、それが教養なのですか。
BとCを提示したわけでもないのだから、
「あ、結構自分にとって的を射た言葉を返してきたな。BとCを知っているな」という、
非常に感覚的なものなんじゃないかと思うのですが。
それでその人(お互い?)は教養があることになるのでしょうか?

結局何が言いたいのか分からなくなってくるんですが、
自分でいろいろ考えることは大事なことだと思っていますよ。
ただ、それができる=教養があるとは思えません。
それに相手が自分で考えているかどうか自体、他人には判断不能だと思うんですよ。
質問に対して即答できないから自分で考えていないと決められるものでもないと思います。

また、仮に教養が思考回路だったとして、
それを大学で学ぶならば、それまではA→Dでも構わないことになると思います。
長い間受験を重視しすぎると、BとCを考えられないとおっしゃいますが、
大学で学ぶはずの教養(思考回路)があるからいいはずですよね。
でも、実際には大学でそんな教養は教えていないんじゃないですか?

無常感さんがおっしゃる思考回路、自分で考えることは、
本当は大学よりもっと前に学んでおくといいことだと思いますけど。
A→Dの解答一辺倒では問題があるんじゃないかということにつながりますよね。

【2821936】 投稿者: 枕流漱石   (ID:mF8hBEkPbqs)
投稿日時:2013年 01月 16日 20:53

無常感さま、こんばんは。

教養が思考力を養うということに異論はありません。
では、何の為に思考力が必要なのでしょうか。
何に使う為の思考力なのでしょうか。

>>どんな組織にでも育つIPS細胞・・そういった人材を育てるために、国家は大学で国民に教養を学ばせるのですよ。

既に、教養の違いですね。ショートメール的な、阿吽の呼吸が乱れています。私に教養が備わってないのでしょう。

>>どんな組織にでも育つIPS細胞

のイメージが湧きません。

蛇足ですが、上記のような、阿吽の呼吸の乱れは、教養のみならず、経験、価値観などの要素によって変わりませんか。私も実は、このショートメール的感覚は大事にしています。私は「行間」と呼び、時に「脳内辞書」の違いを感じることがあります。でも、それは教養だけの問題ではないと考えています。

【2823086】 投稿者: 弱点   (ID:0CO/X.SL80U)
投稿日時:2013年 01月 17日 18:00

枕流漱石さん
中学受験、上の息子はしました。息子がしたいと言ったからです。
本人が小学校生活にがっかりしてしまったんですね。
何をどう言っても、学校へ行く意味が見いだせなかったようです。
友達もいましたが、毎朝足どりが重かったです。

学校は楽しいと思ってほしかったんですね。
自分は学校が楽しかったかと問われると微妙だったりしますが、
子どもには、ごく普通を求めてしまうんですね。
それで安心したいんですよ。笑ってください。

私にとって中学受験は、一縷の望みでした。
もちろん愛も、たぶん見栄もあったと思いますが、もっと切実でしたね。
普通の中学生か不登校か。
下の娘は公立です。なので、何が何でも中学受験ではないのです。

ちなみに私立へ行ってよかったですよ。
毎朝早いのに、いそいそと学校へ行きましたから。
学校には心より感謝しています。
ただ、中学受験も私立も向き不向きがあると思っています。
進度の速い学習で悲鳴を上げてしまうならば、
ゆっくりと進んだほうがいいと思っています。

「執着心から解放された変幻自在な心」ですか。仙人のようですね。
何というか、そうなってくれたら、親としてうれしいのですが、
ふと思うんですね。そういう人自身は幸せなのだろうかと。
最近駄目なところもそのまま持っていてほしいと思うようになりました。
その駄目なところを自覚していてくれれば、それが人間らしくていいかなと。

何でもそうですが、理想は必要だけれども、現実があります。
理想に近づいたら、たぶん現実で苦しむことになるんですよね。
理想を説くのはいいけれども、現実も徐々に教えていかないと、たぶんつぶれます。

「私の子として生まれた不条理」、ああ、わかります。
私もそう感じます。それも私の親から私、私から子へ連鎖しています。
だんだん弱まっていくんですが、切ることができない。
親の影響は計り知れないものがあります。申し訳ないと思うこともあります。
と思いつつ、開き直っています。

親は痛い目に遭いませんか。
世の中には理不尽なことが溢れているので、子どもが巻き込まれることもあります。
子どもが痛い目に遭えば、親も確実に痛い目に遭いますよね。
あとは子ども自身の生きる力の強さによる反抗でしょうか。
親の重さに静かに耐えているほうが心配ですね。

>どんな選択肢を選んでも、それに後悔ではなく、疑問をもつことは、
>常に新しい自分を創造するキッカケになると思っています。

そう思います。未熟な自分にもがいています。

長くなってしまいました。
ショートのセンスがなくて、ごめんなさい。(笑)

【2823286】 投稿者: 枕流漱石   (ID:5NEb8g48d5I)
投稿日時:2013年 01月 17日 20:49

弱点さま

いろいろな中学受験の形があるのですね。当たり前に学校に行って欲しいという親の願いは切実ですよね。我が家の長子も不登校になりかけました。毎日、小学校まで一緒に歩いていきました。少し距離があったので、家に帰ると弟が格子戸の間に顔を押し付けて私の帰りを待っていました。顔に痕がバッチリ。

普通って何だろう?と思いますが、普通であって欲しいんですよね。
自己矛盾ですね。

理想と現実の矛盾こそが、不条理なんですけどね・・・
理想を持たなければそういったことも感じないで済むんですよね。
執着しなければ、理想にも執着しなくて済むかなと。

痛い目に遭う?
そうですね、遭うかもしれませんが、ほら、人の所為にする未熟なオトナも多いではないですか・・・?学歴主義の弊害かしら?

掲示板でのショートコメントは、誤解を生み易いですよね~

興味をもって学ぶ、学ばせる?という命題は、どうやって実現できますでしょうか・・・・?学歴はあっても邪魔にはなりませんが、それだけのことかな~とも思います。

【2824407】 投稿者: 弱点   (ID:0CO/X.SL80U)
投稿日時:2013年 01月 18日 19:42

枕流漱石さん
人によって違うと思いますが、私は「普通」でいいんですね。
普通を求めるということは、世間の目を気にしているということでもあります。
ここから、どうしても逃れられない。
窮屈さを子どもに求めているであろうことに申し訳なさを感じます。

枕流漱石さんの上のお子さんもなりかけましたか。
もしかしたら、それは低学年の頃ではないですか?
うちは先生に恵まれたおかげで、行けない期間は短かったです。
自分自身のうまく行かないことは山ほどありましたが、
それとは全く次元が違う非常に苦しいものでした。
そして、行けたからといって楽しくなったわけでもないのもね。

>理想と現実の矛盾こそが、不条理なんですけどね・・・
>理想を持たなければそういったことも感じないで済むんですよね。

確かにそうですね。
ある程度周囲で理想が機能していれば、それなりに心地よく過ごせるのですが…。
1人で理想に近づくのは危険です。
特に子どもは大人のように器用に立ち回れないんですよね。

世界を見ると、今朝のアルジェリアの人質がいても攻撃。
これが世界か…と思いました。
日本人も理想からちょっと遠のいたから、世界で十分対峙できるかというと、
全くそうじゃないところが恐ろしいですね。

>ほら、人の所為にする未熟なオトナも多いではないですか・・・?

そうですね。痛い目は避けて、転嫁する場合が多いですか。
私もその1人でもありますが、何の弊害でしょうか。
人の意見も、最後まで意見として聞けないところがあるような…。

>興味をもって学ぶ、学ばせる?という命題は、どうやって実現できますでしょうか・・・・?

発展途上国の子どもが「学校で勉強したい」と言っているのを何度もテレビで見ました。
こういう気持ちになったら、すごく吸収するし、忘れることもないでしょうね。
学びに飢えるまで待つことができたらいいのですが。

【2824918】 投稿者: 無常感   (ID:z0CWyD0JlfU)
投稿日時:2013年 01月 19日 09:26

弱点さん

>ショートな会話の共通了解にしたって、
実はどれだけ共通しているのか不明なんじゃないかと思います。
例に出された宗教倫理の共通了解は、BとCに該当して、それが教養なのですか。
BとCを提示したわけでもないのだから、
「あ、結構自分にとって的を射た言葉を返してきたな。BとCを知っているな」という、
非常に感覚的なものなんじゃないかと思うのですが。
それでその人(お互い?)は教養があることになるのでしょうか?


誤解を恐れずに言えば、

教養というのは「通(つう)」の世界だと思うのですよ。
その領域に関して深く知っている・・暗黙の了解がある。
だから、ショートメッセージで「あ、分かってるな」と、あれこれ会話が楽しめるのですよ。
韻文的ですね・・俳句のようにショートメッセージからの広がりがある。

大学の教養課程は「大衆教育」であって、これとは違います。
だけども、大学卒が本来身につけるべき教養は「通の世界」であるべきだろう・・
ここに「大衆教育」とのギャップがある。

そこを自覚している人の割合が、東大、京大など上位大学では高い、これは事実だと思います。
だけども、低学歴だから教養を身につけるのは無理と言っているわけではありません・・割合の問題です。


>自分でいろいろ考えることは大事なことだと思っていますよ。
ただ、それができる=教養があるとは思えません。
それに相手が自分で考えているかどうか自体、他人には判断不能だと思うんですよ。
質問に対して即答できないから自分で考えていないと決められるものでもないと思います。

自分で考えられなきゃ、次のショートメッセージを展開出来ませんよね。

ショートメッセージだけで、つなぐ会話って、素敵ですよ。
シャープで、キレがあって、カッコいいですよね。
そして、そういう間柄で「商談がまとまる」ことも多いのですよ。


>長い間受験を重視しすぎると、BとCを考えられないとおっしゃいますが、
大学で学ぶはずの教養(思考回路)があるからいいはずですよね。
でも、実際には大学でそんな教養は教えていないんじゃないですか?

でも、どうですか・・

受験ごっこを、高校2年くらいから1~2年で済ませるのと、小学4年から9年もやるのと同じだと思いますか?
児童期から始めるのは、決定的に違いますよね。

【2824930】 投稿者: 無常感   (ID:z0CWyD0JlfU)
投稿日時:2013年 01月 19日 09:41

枕流漱石さん

>教養が思考力を養うということに異論はありません。
では、何の為に思考力が必要なのでしょうか。
何に使う為の思考力なのでしょうか。


端的に言えば、生きるためです。

たとえば・・
何もかもがうまくいかなくて、「オレの人生って何なんだろう」と悲嘆にくれる。
「いっそ、死んでしまった方がいいかも」なんて考える。

そこで・・

「こんなに自分を苦しめているものは、何なのか?」・・それを考えるべきですね。

そう・・自分の頭で考えるのですよ・・これって哲学ですよね。

「そうか・・自分を苦しめていたものはこんなものだったのか、世間体、他人の目を悩んでいたんだ。
何が良いか、悪いかなんて、自分で決めるものなんだ、自分の人生をケリをつけるのは私自身なのだから」

こんな風になってくれたら、いいですよね。


>既に、教養の違いですね。ショートメール的な、阿吽の呼吸が乱れています。
私に教養が備わってないのでしょう。

私の申している教養は、書いてのとおり「通の世界」です。
分かる人だけ、分かればいいのですよ・・大学って、本来は大衆教育ではないはずですね。
あまりにも大学が多過ぎて、どうも、高校の延長みたいになっています。

スペシャル連載

すべて見る

サイトメニュー