充実した教育環境の日大付属高校
私学中学の価値 3校め
引き続き よろしくお願いします。
>子どもは別に同じ考えになるとは限らないでしょ。
>勉強の方法なんて、基本的なしつけとも違うし、言うとおりにさせる必要もない。
誤読してますよ。
親子で意思の疎通をし、親は子の意思を、子は親の意思を理解した上で、自分の意思(子供の考え=親と違っても良し)を選ぶことは自主独立だし、親としてその意思を尊重すべきと言っています。
理解したって、何に重きを置いているかが違えば、同じ考えにはならないでしょ。
理解こそが大事。考え違ったって尊重できるけど、理解していないのに尊重するっておかしいでしょ。
無常感さんやたらようさんには、親として理解・納得した「子供の意思」を説明して欲しいとお願いしているのですよ。でも説明できないみたい。
このスレの構図と一緒と言ったのは、
>おたくのお子さんはどうなんですか?
なんて言って、結局、他者に理解・納得できるような説明をしない。
だから、尊重されないんでしょう。
意見が違うから尊重されていないわけじゃありません。
ほっとけさん
だ・か・ら・・
あなたが、やってごらんなさいよ。
あなたのお子さんへの教育は
どうなんですか?・・と聞いてます。
「ほっとけ教育論」を書けばいいじゃないですか。
あなたは、なぜ他人に説明出来ないのですか?・・
ここまで書いても、
ほっとけさんは意味が分からないのかな?・・
だとしたら、「ほっとけさんの理解力」の問題です。
以前、ふふ・・さんが、親の教育は究極的には「親のエゴ」なんだ・・と書かれていて、とても関心したのですが、
親が子供のことを理解しようと努めても、理解出来る限界がある・・親が子供に教育を施すことに、「親の思い込み」が入ることは必然であるし、また、その教育の結果、子供が将来どうなるかは知る由も無い・・
こういう趣旨だったと記憶していますが、これね・・深いのですよ。
親は、どうしたって子供のことを完全には理解はできない、教育の結果もあらかじめは分かりはしない・・これを、ポジティブに読むのか、ネガティブに読むのか・・それによって随分、親の姿勢、態度が違ってくるとおもうのですよ。
ほっとけさんのような人は、ふふ・・さんがいうところの「親のエゴ」・・これをネガティブに読むのですよ。
だけども、私はポジティブに読むのですね・・だから、親の教育には謙虚さが必要だと。
養老孟司さんが書いた本で、教育というのは「手入れ」だと書いていたような記憶があります。草花に毎日、水をあげる・・どんな木に育つのか、どんな花が咲くのか、誰にも分からない、だけども、毎日水をやり、肥料を与える。
インプットしたものが、アウトプットで返ってくる・・原材料→生産物・・これは工業的な発想ですが、これが教育と言えるのか?・・
9歳から塾通い→中高一貫私学→東大・京大・国医
これが教育と言えるのか?・・
まあ、いいのですよ、「親のエゴ」ですから・・だけども親には、謙虚さが必要でしょう・・私は、そう思います。
親の教育は結果的にみて間違っているという危険を常に孕みながらやるしかない。
子供の様子や反応をよく見ながら細かく修正していけば、子供にとって大きくそれることはない。
もちろん、親の理想とはかけ離れるかもしれないがね。
笑
まあ、そのように考えていくと、親の教育というのは「手入れ」・・もっというと「祈り」ではないかと思うのですね。少なくとも、インプット→アウトプット、工業製品を作ることではない。
親の教育 vs 親の教育は、祈り vs 祈り なんですよ・・だから、炎上しやすい・・宗教戦争と同じです。親の教育を語るときは、謙虚さが必要です。
だけども、社会の教育を語ること・・これは、親の教育とは、また別ですよ。これが分からなければ、議論をしても意味がありません。他人の子供にも目を配る・・それが出来てこそ、議論が成り立ちます。





























