女子美の中高大連携授業
『名門校』と単なる進学校は違う。
●名門校の定義。
由緒正しい伝統と格式。
歴史的に長年に渡り政、官、医、教育、財界等に有能な人材を輩出、
それによる圧倒的知名度と社会的評価と信頼感。
単なる大学への通過点の(予備校的な)学校ではなく、
その学校(校風)で教育を受け卒業する事自体に価値のある学校。
それが名門校だ。
薄っぺらな昨日今日の偏差値上位校を指しているのではない。
私立御三家、国立附属、早慶附属の一部は名門と言うのに相応しい歴史と実績を持っている。
また都立、公立のトップ校もこの範疇に入る。
いまで言う中高一貫私学の受験校は、昭和40年代に東大合格者数で日比谷を抜いた灘校がオリジナルで、当時は衝撃的だったけど、それ以外の中高一貫私学って結局、灘のモノマネで新鮮味が全然無いわけね。
しかし、あれから40年を過ぎ、さすがに中高一貫私学はもう古いな、こんなのばかりではアカンわ・・という危機感が、東大、京大の入試制度改革につながっていると思います。
ナダはね・・・
そのむかし「なだのあほ」って言われて
神戸一中(神戸高)神戸二中(兵庫高)はおろか三中(長田高)にも
通らないあほぼんが行く学校でした。
(多少賢いええしのボンは甲陽・関学へ)
それが戦後なんとか見返したいばかりにガリベンをはじめたが
京大阪大では神戸・兵庫はもちろん北野・天王寺。住吉などの大阪府立名門校や
洛北(京都)に全く歯が立たない。
そこで、これら公立高が地域性と伝統から殆ど受験しない東大にターゲットを
置き換えて成り上がった経緯がある。
しかし、それも半世紀以上も経つと流石に認知が行き届いた名門になりえるが
残念ながら百年以上の歴史を持つ学校に比較すれば送り出した卒業生や様々な
伝統という観点では見劣りは否めんよ。
受験校という意味では、灘は間違いなく日本一だと思いますよね。東大理Ⅲ、京大医の圧倒的な合格実績・・開成と筑灘を足しても歯が立たない。そもそも理Ⅲ27名合格って、東大27名合格の学校だって数えるほどでしょう。
だけど、灘OBがどれだけ社会に貢献したのか・・往年の日比谷OBと比較してどうなのか・・と考えていくと、日本一の名門と言えるかという疑問につきあたりますよね。受験校と名門は、概念的に明らかにズレがあると思うなあ。
出展元はWikipedia
確かに戦前は公立の前世時代。
明治時代は、早稲田中、開成、独協等、私立も健闘していたが大正以降、上位脱落。
麻布が唯一上位食い込むのみ。
灘はまだまだ無名。
それにしても、東大は東京の人間が行く学校だったということが良くわかる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昭和9年~昭和17年
(1934年~1942年)
第一高等学校入学者輩出校
順位 出身旧制中学校名
カッコ内は現在校名 一高入学者数
1 府立一中 430
2 府立四中 234
3 府立五中
(都立小石川中等) 207
4 第一神戸中
(神戸高) 130
5 府立三中 120
6 東京高等師範附属中 115
7 府立六中
(都立新宿高) 87
8 府立八中
(都立小山台高) 70
9 湘南中
(湘南高) 61
10 麻布中 56
11 横浜一中
(希望ヶ丘高) 54
12 第一東京市立中
(区立九段中等)
西に目を移すと
第三高等学校 1941年(合格者316人)
京都一中(洛北)62
北野中 18
京都二中(鳥羽)15
京都三中(福知山)11
神戸一中(神戸)10
奈良中 8
住吉中 7
膳所中 7
高津中 6
東京府立六中(新宿)6
和歌山中(桐蔭)6
大阪高等学校 1941年(合格者111人)
天王寺中 22
北野中 20
住吉中 19
今宮中・高津中 11
市岡中 10
堺中(三国丘)5
生野中・八尾中 3
茨木中・岸和田中 2
一高の傾向と同じく地元出身が大多数を占める。
三高は多少全国区的な要素もあり広域から合格者が出ているが
大高は当時「市内六中」と呼ばれた大阪府立名門校の独壇場。
私学が入る余地は殆どない。
「名門は、公立のみ」ということで決まりですね。
そもそも、私学は、創立の動機に「金儲け」が、入っており、教育機関としては不純そのもの。
公立とは、比べ物にならない。
官尊民卑バンザイということで・・・




































