アートの才能を伸ばす女子教育
国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
これまでの議論を整理してみました。
①筑波大学の附属としての役割を今後しっかり果たしていく。←粉雪の考え
②筑波大学から切り離し、国立のエリート養成校とする。
③私立や公立にする。←一部の過激派
④筑駒は有意な人材を輩出しているから国立附属だが例外扱い。←無知蒙昧のスタンス?
>筑波の附属学校については、附属の役割という観点での細かい突っ込みはしないで、せいぜい政策特区ぐらいに考えて、有意な人材を輩出しているから、まっいいか、程度の受け止めで良い(しかない)かなと思います。
丸付き数字は機種依存文字なのでインターエデュでも推奨していません。
3番は粉雪さんの昨日12日のご発言です。
【4607574】 投稿者: 粉雪 (ID:56qzG7J6FAk) 投稿日時:17年 06月 12日 10:11
4番ですが
一目瞭然ですが、筑駒には一度も言及していません。
「有意な」からエリート教育を標ぼうする筑駒を想起されたのかもしれませんが、「有意な」は改正前の学校教育法にて高等学校普通教育の目標として「社会の有意な形成者」という表現が用いられていたものによります。
www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/06091908/003.htm
現行法では、よりかみ砕いた表現で「豊かな人間性、創造性及び健やかな身体を養い」となっていますので、読んで字のごとくです。筑駒を想起するようなものではないでしょう。
当該文章の重み(意味合い)としてはむしろ、言及をことさらに避けていらっしゃる「政策特区」としての附属学校の価値にあると言えます。モデルとしての価値だけが存在意義ではないことはこれまでにもご説明した通りです。
頼まれてもいない整理など買って出ずに、ボールを投げ返すのかやめるのか、シンプルに判断されたほうが良いと思いますよ。迷惑なので、こんな添削で引っ張り出さないで下さい。
粉雪という方は、国立としての役割、という部分を随分狭く解釈、あるいは一部のみ取り上げて、筑駒を攻撃する事が本音のように見えますね。少し前の書き込みで、私立か公立に移せと言っていた事、無知蒙昧という方は一言も筑駒と言っていないのに、自分から筑駒を持ち出した事、などから、それは容易に見て取れます。
教育機関の使命は、有為な人材を輩出する事、個人の能力に応じた教育の場を提供する事に尽きると思います。税金がとか、お決まりの屁理屈をこねる人間も居ますが、公立にしたら税金という点では同じ。私立にしたら、学費を負担できる家庭に受益者が限られます。
筑駒に特段こだわっているわけではない。
それが筑附でも、学芸でも同じ。
附属の役割については、この有識者会議の議事録や文科省の資料をよく読んでみて欲しい。
過去の書き込みを転載する。
国立の附属学校の設置目的が、
「附属する国立大学、学部における児童、生徒、幼児の教育又は保育に関する研究に協力し、当該国立大学、学部の計画に従い、学生の教育実習の実施に当たる。 」
ですので、無知蒙昧さんの、「附属の役割という観点での細かい突っ込みはしないで、・・・有能な人材を輩出しているから、まっいいか」という発言は問題なのです。
そして、このような考えの関係者が多いから、
第7回の資料2にあるように、
【エリート校化、独立的】
「一部の附属学校は、いわゆるエリート校化し、教育実習生の受け入れ機能、実験的・先導的な教育課題への取組、地域の指導的・モデル的な取組が不十分。 」
と言われてしまうのです。
「自らの附属学校の研究成果が教育委員会や学校においてどの程度活用されているかを大学及び附属学校が調査・分析すること。」も、とても重要な指摘かと思います。
自らの附属学校の研究成果が教育委員会や他の学校においてどの程度活用されているのか。
その成果を見える化していくことが重要かと。
いずれにせよ、第8回の有識者会議の資料が出たらまた議論しましょう。
その時期にまた会いましょう。
































