アートの才能を伸ばす女子教育
国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
私は私学でフェアにエリート教育やればイイと思います。
学資について必要な方は、公助または当該私学の篤志によって賄うのが、筋が通る方法であると考えます。
筑駒廃止 → 売却代金を国庫に収公 → 教育財源の関する最適配分
これが私の考えであります。
もともとは、東京教育大附属駒場だったわけで、
東京教育大が勝手に移転してしまったから、
筑附と筑駒が取り残されてしまったわけで。
駒場って、つけちゃったから、駒場から移動するわけにはいかないでしょう、池尻だけど。
農業高校は都内にもすでにあるしね。
>農学博士が歴代校長を勤めるのはおかしい
学校の成り立ちがありますから、利害関係ではなく、「伝統」ではないかと思いますよ。
学校のカラーの一つと考えればよいのでは?
そんなちまちましたことではなく、国立はもっと実験校らしいことをすればいいと思います。
例えば、他国では制度があるのに日本では本格的に導入されていない飛び級制度などを試すとか。
アメリカのように小学生ぐらいの年齢で大学生になるのは、精神成熟の面であまりよくないとは思いますが、中学校、高校ぐらいの生徒であれば、人によっては大学生にしてしまってもいいと思います。
エリート教育というくだらない範疇ではなく、様々な制度を試す機関が必要という意味です。
ギフテッド教育もどこかが試さないと全国には広められません。
ギフテッド=エリートではありませんし。
筑駒のような小さい(予算も少ない)学校を廃止しても、教育界全体に貢献することはないので、それならば逆にもっと徹底的に実験校化して、子供をモルモットとして扱えばいいと思いますよ。
それが一番日本のためになると思うので。
優秀な子が多ければ、モルモットとして扱われても大丈夫でしょうし。
国立附属廃止論者の気持ちは、「平等」「公平」に向いていると思いますが、それが日本の国をダメにしている原因の一つでしょう。
視野が狭いだけで、納得感のある意見にはなっていません。
もっと特色ある教育を先進的に研究し、さらに実践していかなければ、海外に遅れるだけです。
ただし、今のまま国立附属を維持しても、まったく意味がないと思います。
もっと高度な研究をそこで行うのでなければ、存在意義が薄いと思いますので。
せっかく、箱があるのですから、それを最大限に活用することを、まず考えるべきでしょう。
その意味で、学芸大学附属の新しい取り組みの発表は非常にいいと思います。
全国の国立附属が、それぞれ大きな取り組みをしなければならないようにすればいいのでは?
今の附属校の教師による研究の方向性は、ダイナミズムがないので、支持できません。
筑駒のような国立校は、授業料がほとんどただのようなものなので、浮いた分を通塾費用に当てている家庭がほとんど。
異様に通塾率が高いのが筑駒の現状だ。
要するに税金が塾に流れているのと同じ。
もともと、そんな余裕のある家庭の子息を国立で教育する理由はないと思うな。





























