充実した教育環境の日大付属高校
国立大附属は「誰でも入れる学校に」有識者会議
文部科学省で、「国立教員養成大学・学部、大学院、附属学校の改革に関する有識者会議」が開催されています。
国立大附属については、筑駒、学芸大附属、筑波大付属を念頭に、「特定の層しか入れない学校」と批判され、共働き家庭なども含めて、だれもが入れる学校にしなければならないとの提言がありました。
現状の国立大附属は「受験校」であるとして、本来の国立大附属の役割とは異なることから、改革が進みそうです。
進学校としての役割は、私立学校や都立学校が担うことになり、国立大附属は、進学校というイメージは消えていくかもしれませんね。
>筑駒出ても庶民なら、公費支弁すべきエリートはどこにどれだけいるというのだろう。
エリートなんてそんなに数多くいないし、必要ない。
同期を思い浮かべても、一割いない。
でもそれで十分。
国を動かすエリートはそんなに必要ないが、エリート予備軍はたくさん用意しとかんと、何が起こるかわからわだろ。
だからエリート養成を公費で行うことは必要。
そのうち一割でもエリートとして育ってくれればもうけもん。
実際問題としては、コピペしたような(聖書)理念は公権力を有するような国キャリアとかになる可能性のある生徒には広く常識とすべきもの、筑駒どころか地方公立も含め。財務あたりは公立の方が多い。
対象を極端絞って行うべきではない。
現実には、ああいった心ばえの教育は、日本では重視されてきておらず、公セクターで行うのも実際問題としては壁が厚いものと思料
都会の生徒は筑駒含め、めはしのきくのが多いから、公よりも自己の利益を優先するのは少なくない。
でも、一定数、公のことを真面目に考える生徒もいた。
そういうのが、優秀児にかこまれて鍛えられることが大切と思う。
>ああいった心ばえの教育は、日本では重視されてきておらず、公セクターで行うのも実際問題としては壁が厚いものと思料
その通りだと思います。
NOは、その役割を私立に期待するのは難しいと思いますが、公立では制約が大きい。
国立が実験名目で行うのが現実的だと思いますが、それも反発が大きい。
難しいですね。
話を戻し
ごくごく一部の、そういう「エリート」のために、その他の単に個人的立身を求めるだけの大多数有象無象をひっくるめて教育段階から優遇する理屈は納得しがたいところ。
きちんとそういう「エリート」になったところで処遇すればよいかと
この理屈が成り立つのは、典型的には軍学校、官吏養成学校ぐらいでは?





























