女子美の中高大連携授業
最難関に受かる子供は生まれつき、、、
子供達が公立小に通っています。
長男はまだ読み書き以前からなんとなく賢そうという感じがあり、中学受験を視野に入れた時に受けさせた塾のテストは初めから優秀でした。
下の子供たちは同じように育てたつもりですがいまいち。
塾のテストを受けた後は必ず塾から電話があります。
決まって言われる言葉がまだまだ低学年だから可能性はある、初めてのテストだから、、、的な話。
私立小は分からないので、公立の子供を例にあげますが、参観日で色んなお子さんを見ていると、特に塾など行ってない子供達が沢山ですが、とにかく勉強だけでなく生活全体に覇気がある子、ぼーっとしてやる気ない子がいます。
覇気がある子は親が中学受験も考えてはおらずどこの塾も通っていないから大手塾のテストをもし受けてもはじめはきっと偏差値も低いと思われます。
でもこういうお子さんが入塾したらものすごく伸びるのでは?と他人ながら感じるお子さんが数名いました。
そういう子が初めはテストの点数が悪くても可能性があるのであって、最難関に受かる可能性があるという子供は入塾前からほぼ確定なんじゃないかなと思われるですが違いますか?そんなことないと言わないと商売にならないから低学年ならどんなお子さんも可能性があるとは塾側もいうでしょうが。
我が子たちを見ていてもなんとなく生まれつきの素質なんじゃないかと痛感するのです。
長男もまだ最難関に合格したわけではないのでなんともいえませんが。
本音は違うよ、可能性あるよという意見が欲しいです。
オカヤドカリさんの投稿を拝見して、いわゆる名言をどう受け止めるかについては「時間軸」の要素が入ってくるのかもしれないと感じました。
「今から何事かをなそうと思っている人」にとっては名言は時に空疎に聞こえるかもしれないが、「何事かをなした人(あるいは、何事かをなそうと思ったが奏功しなかった人)」にとっては名言の精髄が理解できる、という面があるかもしれません。
オカヤドカリさんが別のところで「寓話には、それを本当に必要とする人間には決して理解されない、という難点が有ります」とお書きになり、なるほどと思いましたが、それと通底するものを感じます。名言であれ寓話であれ、受け止め側にそれを受け止める構えが必要になるという意味において。
「あく きん (ID:3mdn2x5aUbk)」さん
>きっと「現代文の勉強において正しい努力とは俺の講義を聴くことだ」というような事をおっしゃっているのではないかな?これは想像ですが。
努力云々の話を前提とすれば、「あく」さんの書くような方向に行くはずなんですが、林氏は次のようにも言ってるんです。
「僕は「俺についてこい」とか「俺の言うとおりやれば大丈夫」という言葉、好きじゃないです。自分では使いません。」
不思議だなあ。
努力の性質そのものを定義しようとすれば、「俺の言うとおりやれば大丈夫」という向きになると思うんだが、彼の中では違うロジックが走っているのかな?
>テレビは視聴率がとれてナンボですから。同様に野球は勝ててナンボ、受験は合格してナンボです。
まったくその通りだと思います。特に受験のところ。
むろん合格しなければ人生の失敗だとは思わないけれど、合格を前提としない受験勉強なんて、趣味でやってるようなものだからね。
林先生が出てきたので予備校を絡めていえば、
予備校や塾の講師が結果的に人生の師となることはあるだろうけど、それを欲して保護者は金を出すわけではないし、
生徒も「良い授業だけど早稲田に落ちた」よりも「つまんない授業だったけど早稲田に受かった」ほうが遥かに良い、と思うがどうかな。
※当然この「早稲田」には別の名前を入れてもいいですよ。
「慶應」でも「東大」でも「天使」でもお好きなものをどうぞ。
格言の類は具体的なアドバイスにならないので役に立たない、という意見は面白いと思いました。
私の親父は、「公教育だけで十分。中学受験なぞもってのほか、公立の学校で教科書と先生の言うことをしっかり理解していれば何の問題もない」と常々言ってました。
私の中でこれは、「当たり前のことを当たり前にやることが大切である」という格言に変換されています。
ことわざでいれば、「急がば回れ」とか「学問に王道なし」あたりでしょうか。
一方私の母親は、「そんなきれいごと言っていてはダメである。みんな、もっと要領よく子供の教育をしているのだから、それにあわさなければ競争に負けてしまう」という強い信念のもと、具体的な戦術を教えてくれるような「塾」に子供たちを通わせ、大学受験に有利と信じられている「中高一貫」に子供たちを通わせました。
それでもなお飽き足らず、中学以降も塾に通わせて、子供である僕は唯々諾々と従っていました。
そんな自分が親になって、やはり母親と同じように、子供には中学受験をさせました。
しかし、自分の親父の「教科書だけやっとけばいい」という言葉は、大人になってから理解できるようになりました。
ですので、子供たちを鉄緑会には通わせてないです。
具体的なアドバイスや戦術を与えられることを強く期待する人は、格言的なものに物足りなさを感じるのかもしれないと思います。
そういうのは、基本的には自分で探し当てるべきものだろう、というのが今の僕の考えです。
とはいうものの、とてものんびりしている高校生の息子に「おい、お勉強で不安なことがあったら何でも聞きなさい。相談に乗るから」と水を向けたところ、「ふっ(笑)」と返されました。
まあ、そうなるよな~
中学受験を否定はしませんよ。
自分も子供も経験してますから。
でも、中学受験は今でも一部の人のためのものだし、それを通過しなければならない、というわけではない、とは思います。
東大生の半分は今でも公立高校出身ですし、そういう人の中に優秀な人材はたくさんいますから。
もっと言うと、東大卒じゃなくても優秀な人はたくさんいますよね。
あ、そういえば「今は昔とは違う」ってのは、40年くらい昔に私の母親が父親によく言ってました。




































