アートの才能を伸ばす女子教育
とにかく公立中が嫌
我が家は、とにかく公立中が嫌で中学受験をさせました。
理不尽な内申点、授業のレベルの低さ、生徒同士の過剰な同調圧力等、自分自身がウンザリしましたので、子供は絶対私立と考えていました。大人になっても、中学が公立で良かったことなどありません。幸い、息子は最難関の一つに合格したのですが、そのことよりは、公立中に行かせずに済むことの方がうれしかったです。
とにかく公立中が嫌という方、どんなところが嫌か、お考えをお聞かせ願えますか。
仮に「公立は理不尽なことをたくさん経験してたくましい。学力面なら私立だけど、精神面なら公立」が正しいとして、だから公立出身を尊敬するって続くならまだ分かる。
しかし、だから我が子には理不尽なことをたくさん経験して欲しいので公立に行かせたいって続くと意味不明。
本気で理不尽なことをたくさん経験させようと考えてるなら児童虐待だね。
「私立の成功といえるのは、偏差値60以上」
と「せめて、早慶に進学できないと失敗」とする人は残念。
「せめて、早慶に進学できないと失敗」なら、大学受験まで成功したかは分からないし、どんな進学校に合格しても失敗になる。
それなに「私立の成功といえるのは、偏差値60以上」と矛盾する成功の定義をする。
論理的思考ができてない証拠。可哀想…。
多くの競技でよく言われるのですが、若くして実績をあげる選手には「未完成である」という共通した特徴があります。
昔の農村には、村民として完成形にいたっている少年少女がよくいたものです。
畦道で会えば一人前に時候の挨拶をしますし、煙草を吸いおとなの猥談に加わり何の違和感もない。
たいてい、そういう子どもは学業成績はよくないわけですが、村民として支配される側で生きる分には困らない。
大人になるための道具だてが少なくてすむので、そういう人生も可能だったのでしょう。
でも、現代人は違います。
同僚とうまくやり上司に阿るだけで給料がもらえるサラリーマンなど絶滅しています。
生きる力のもとになるのは、学識や専門性などであって、それがなければ同僚とコミュニケーションも困難です。
悪環境で身に付く処世術など、所詮悪環境のもとでしか役に立たず、汎用性がありません。
そんなことのために子どもをその種の環境に放り込むのはただの虐待です。
不良さんはあなたの子どもを鍛えるために都合よく配置されているわけでないことをお忘れなく。






























