在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
留学や行き過ぎた英語教育のメリットがよくわからない
英語が大切だということはわかります。しかし上位校であれば、どの学校でも英語はもの凄く勉強するし、子どもも卒業までには英語を長い時間をかけて勉強して覚えます。
英語が大切だということは誰も異論はないと思うのですが。
留学や行き過ぎた英語教育にどういったメリットがあるのか、さっぱりわかりません。
医学部や司法試験と同じで、医者や弁護士になる人は上位校(東大としても、早慶以上としても、何でもいいですが)の中でも少数派で、半分以上の人には関係のない話しです。
それと同じで、留学だ英語だと熱を上げている人は全体の中では(医者だ弁護士だと言っている人と同じ様に)実際には少数だ、ということでしょうか。
英語が大切でないとは思っていませんし、我が子も毎日の様に英語をよく勉強しています。英語が大切なのはわかりますが、言ってしまえば数学と同じ程度に大切だとは思います。
留学や行き過ぎた英語教育のメリットがよくわかりません。ごく一部の人たちが掲示板を賑わせている、ということでしょうか。
前のポスドク10000人で何が起きたか。
大学院の定員充足が目的化し、大学側は、博士課程学生の質や修了後の進路は大学とは関係ない、というスタンスでした。深刻な大学院生の質的低下は見て見ぬふりをされました。雇用については国策であるポスドク10000人に協力しない産業界の責任だ、という大学幹部もおられました。
ポスドク10000人は日本の科学技術の強化のために行われたはずですが、2000年くらいから日本の大学からの論文数はピタリと伸びなくなり、全く逆効果でした。
文科省も大学幹部も名誉に包まれて、後は知らない知らない。文科省は各大学の行政指や屋経営指導のためと称して副学長や総務部長など大量の天下りポストを新設してムニャムニャニタリ。
博士課程30000人なんてやったら、低学力でマインドの腐った日本人やわけのわからない外国人を大量に入学させて数合わせに走る恐れが大きいです。
まー、魅力がない大学には留学生もわざわざ金を払ってまで日本に来ないでしょう。
数あわせすらできない大学の方がはるかに多いのでは。
世界中から優秀な人材が集まる米国トップ大学のような魅力的なカリキュラム、リベラルアーツ、秋入学、英語授業、学生寮での留学生との生活、ほぼ24時間図書館、数十もの図書館、優秀な教員、優秀な生徒、必死に勉強できる環境、卒業後の進路等含めて、魅力的な環境をつくらないと優秀な留学生は集められないよ。
相当大胆な改革をしないと優秀な留学生は集められない。もちろん、日本人も。
東大も新学部のように、旧学部を5年で修士、英語授業、留学生半数、寮で留学生と生活、文理融合等に変えるだけでなく、カリキュラムを含めて、世界中の優秀な人材が集まる環境をつくらないととても世界ランキングトップ10は無理だよ。
留学生の質を問題にすれば、お書きになった通りです。
留学生の質はとりあえず無視して、大学院定員枠の拡大、留学生枠の新設を行い、数合わせだけやろうとすれば、いくらでも方法はあります。ビザの大盤振る舞いと多少の奨学金でOK。
今の非常に不健全な技能実習生の状態を見れば明らかです。
高らかに大学院留学生の増加を制作にかかげ、質はシラナイシラナイ、となる可能性が極めて大。
文科省は、各大学のグローバル化および外国人留学生の教育指導を強化するため、各大学に理事ポストを新設し、またまた天下り先を増やしてムニャムニャニタリ。
こうなるのは目に見えている。
ポスドク10000人がどれだけ日本の科学技術にネガティブなインパクトを与えたか、なんお反省も総括もなく、また同じことをやるのか、という思いしかありません。
>ポスドク10000人は日本の科学技術の強化のために行われたはずですが、2000年くらいから日本の大学からの論文数はピタリと伸びなくなり、全く逆効果でした。
論文数に関してはその通りかもしれませんが、主に旧帝大が大量の博士を生産したということは、世界ランキングを上げる要素としては機能してきた、と思っています。
世界ランキングを上げることは、留学生の呼び込みには良い効果をもたらします。
留学生が増えれば、これもランキングを上げる要素になる。
ただ、外国での「博士号」は高く評価されるが、日本の企業での評価は低かった。
その理由として、博士号の所持者は自らの狭い専門分野に閉じこもり、広範な視点から物事を見ようとせず、他者とのコミュニケーション能力に著しく欠ける、ということがまことしやかに言われております。
その原因として、大学での学問研究のタコツボ化が指摘され、衣鉢を継ぐ、などという封建的な師弟関係が未だに続いている大学の研究者の世界の影響が挙げられている。
師匠の研究の遺産が必要以上に神聖化される結果として、学際的な分野の開発が遅れ、新機軸による独創的な研究が閑却化されてきた、ということです。
それがひいては、日本の大学の国際的な競争力の低下を招いているというわけです。
また、彼らを採用する企業社会の観点からは、個人的な技能や専門性よりも企業内の経験知が過度に重視される共同体的な性格が挙げられております。
これは、規格品における性能の追求や価格競争では強みを発揮するが、規格外の独創的な商品の開発においてはマイナスの要素が大きい。特に、専門的なモデュールの独創的な組み合わせでの商品開発が主流であるIT産業ではまったく機能しない。
ということで、戦後の一時期までは無類の強さを発揮できた、学問研究、企業経営の日本的な性格を全面的に改めなければ、日本経済の失われた30年からの脱却は不可能ということです。
文科省の大学改革はそのビジョンの下に進められています。
つまり、国際化は日本再生の基本なのです。
世界ランキング、2000年前後との比較はデータが見つかりませんでしたが、2012年前後からは横這いあるいは緩やかな低落で、決して楽観できる状況ではないです。
博士採用に関しては、私は一人称で苦労して来ました。私が居た企業では、修士課程修了後3年経過した社員とどちらが優秀か、という選考基準でした。
専門性は重視しますが、優秀なら、欠員に従来のテーマがドンピシャはまらなくても良いのです。
多くの企業はこのような感じになっているとおもいます。
もっとも、企業によりえらく温度差があり、某中央官庁の研究会で痛切に感じました。
国立大学協会会長、筑波大学学長のいうとおり、
べーバーテストの一般選抜入試を国立大学すべてやめて、各大学がそれぞれの特徴やポリシーでほしい人材をそれぞれの特色入試で選抜すれば、偏差値等なくなる。
今必要な人材は独創的な取組ができる人材。それをのばす改革を行う必要がある。東大は東北大を超えてべーバーテストの廃止を掲げてほしい。
それぞれの大学で特色ある学問やカリキュラムにして個性をのばす教育や取組にしていけば良いのでは。
そうすれば、主さんのような東大のべーバーテスト以外の勉強は東大に合格してからやればいいというような、ある意味時代の犠牲者を出さずにすむだろう。
ロボット開発や人工衛星の開発等、自分が興味や関心あることを追究した結果、MITやスタンフォードやCALAに進学している高校生たちをみていると自分の学びたいところで学べる米国の大学の方がよほど健全かではないか。




































