充実した教育環境の日大付属高校
社会は実力主義という明後日な意見
東大スレなんかで、毎回同じ人が繰り返し同じこと言ってて、綺麗事で疲れます。仕事で成果を認められて出世とか、もう働いて疲れてるのに、寝言やめませんか?
①受験は少し勉強したらいい学校受かります。要らない授業は内職でも寝ててもいいし、受験学年までは遊びの片手間でいい。しかし、仕事は基本、生活の全てを仕事に振り向けることを要求してきます。実際、会社や上司が求める以上を仕事に向けたら、自分の生活なんかありません。
②現に仕事人間で家庭や夫婦が崩壊したり、健康を壊す人もたくさんいます。受験でそこまで生活が崩壊する人は少ないでしょう。
③受験に比べて異動は滅多にありません。
④仕事はチームプレーなので、自己責任以外の運要素が大きい。特に上司との巡り合わせは決定的に重要で、上司が無能ならどれだけ頑張っても数年単位で簡単にロスします。これは公立中学の内申教師の巡り合わせに相当しますが、担任教師のローテーションは1、2年なのに、上司は普通に5年とかありえます。
⑤上限。受験は本人の頑張りで開成でも東大理3でも青天井ですが、仕事の出世は自社の役員や社長がせいぜいです。確かにソニーの平井社長は子会社のCBSソニーからソニーの社長になっていますが、こういうのは極めて異例なことです。つまり、ソニーに入れないことにはまずソニーの社長にはなれませんし、平井さんもICUというソニーに就職してもおかしくない学歴です。
⑥社会人経験のある人間なら、能力人格素晴らしい人が滅私奉公で会社や上司に尽くして、潰れていく姿をたくさん見たはずです。受験ならそこまでやって本人に返っていかないことはありえませんが、社会では人柱となって忘れられていく人はわんさかいます。社会は実力とか綺麗事いい加減にしろよと。
大学受験掲示板でも、実力主義重視を嫌う学歴主義重視者がよく出現しますが、学歴か実力かと、あまり気にし過ぎだと思います。
単純な話で、学歴のある人の中に、実力がある人が内在しているだけです。
学歴だけあっても、実力だけあっても、微妙なところがあるのが一般社会。
掲示板では、極端な論の方が議論しやすいので、極端になっていく傾向がありますが、実際には極端な例は少ないです。
結局、優れた人は学歴も実力もあることが多く、どちらか一方ではかなり苦労することも少なくありません。
①目先の受験からの逃げ、言い訳の場合がある。
②実力という可視化されないものの結果論。
③あたかも自分が情強であるかの知ったかぶり。
など。
現実、ソニーの平井社長のように子会社から親会社の社長になる例など、ほとんどないのに、宝くじのような例を一般的であるかのように言うのがウザい。
「就職したら実力主義の世界で学歴関係ない」ちょっと違うんだよな…実力(実績)と共に脇に学歴ってのもついてまわるよ。それは、国内大手だけでなく外資系でも、同じ企業内でも転職でも…
40代くらいの同僚(外資系コンサル)みてると、同じような実績の東大早慶グループとMARCHグループを比較すると、語学に長けてるとか、教養があるとか…人としての魅力(人間としてのキャパ?)がちょっと高いと思う。失敗しても、成功してもそこに助けられていると感じることあるな〜
ぶっちゃけ似たような実力なら、高学歴を採用するケースが30代や40代でも多いですね。
ですから、学歴主義者も、実力主義者も、どちらも問題があるんでしょう。
世の中はいろいろバランスで成り立つものでは?
エデュでは、国立と私立、理系と文系、中受と高受、学歴と実力、左派と右派などいろいろな争点がありますが、どちらも認められる人間の方がいいと思いますよ。
もちろん、それが優れた人間ということではありません。
どちらかしか認められない、偏った人間は劣っているとは思いますが。
でも、劣っていても、幸せならそれでもいいのかも。
トランプ支持者を見ると分かるように、バランスの悪い考え方自体がアイデンティティになっていて、それを信奉することが幸せだったりもするので。
学歴至上主義者も、それを主張していれば幸せなんだと思います。実力至上主義者と同様に。
偏った考えをする方々って、主張は正反対でも、なんだか似ているんですよね。
だから、学歴至上主義も、実力至上主義も、似た者同士なんだと思いますよ。
だから、近親憎悪してしまうのかもしれませんね。
①目先の受験からの逃げ、言い訳の場合がある。
論外。
しかし、例えば東大予備試験組の法曹(外国語ダメダメ)と早慶法科大学院組法曹(バイリンガルに近い)なら、検察や裁判官になるなら前者、国際系事務所なら後者というように、学歴以外の付加価値で逆転もある。閨閥なんかもこの中。
②実力という可視化されないものの結果論。
実力って何かわからないし、そんなものでキャリアは決まらない。あるなら「実績」。実績はファクトだし、前にこういうプロジェクトまわしたから次はこのプロジェクト、というような判断かな。実力も実績も無いのに周囲はついてこないし、少し頭角を現すと関連業界からも「あいつをリーダーに貼ったんならあの会社は真剣だし投資も惜しまないだろう」みたいな感じでサポートされるようになる。
ただ、東大卒は本社経営企画に早々に抜擢して「中期計画策定に著しく貢献」、Fランは田舎の営業所に配置して「売上目標未達成」みたいなことはあるかな。
でも、本社経営企画で使い物にならなければ飛ばされるし、田舎営業所から這い上がるのも居て、実績つきで這い上がってきたのはそれなりにリスペクトされる。
③あたかも自分が情強であるかの知ったかぶり。
私の経験と見聞の範囲だから、まあそういう意見だとおもってくださいな。
私の主張はスレ文に書いたのだけど、何が主眼かというと、学歴至上主義とかとも違って、実力があれば社会の中で学歴関係ないというのは違うでしょってこと。
出世とか成功というのは、学歴とも実力とも違う運要素や本人の解釈によるあやふやなもんですよ。石破総理が自民党で1番実力があったから総理になれたとか学歴があったからとか、じゃないでしょ。高市、進次郎は言うに及ばず、茂木前幹事長が政策では無敵だったんじゃないか?
それは石破総理にも当然、学歴も実力もあったから、派閥のボスに認められた時もあり、今度は仲間にも応援されたのだろうが、それを実力とか実績とか言うには抵抗がある。たまたま、巡り合わせで運が良かった。人格能力が優れた人なら他にもいくらでもいたと思う。
しかし、いずれにせよ、受験生は勉強頑張るしかないよ。他に頼れるものはないから。で、社会人は仕事頑張れとはあまり思わない。それで壊れる人も多いし、幸せは仕事にばかり求めない方がいいと思う。むしろ、学歴はめいっぱい上げて、仕事はほどほどにということが言いたい。
総理大臣のように定員1のポストを誰が勝ち取るかみたいなわかりやすいゴール設定だと運も実力のうちなんて言われるわけだが、人生のゴール設定は皆違うし移ろいゆくわけだからね。そこそこの収入得たらあとは緩く流すのも全然アリ。
①の「仕事は基本、生活の全てを仕事に振り向けることを要求してきます」ですが、そんなブラックな会社で働くのはやめたほうが良いかもよ。
自分の生活をする手段として仕事してる人も沢山います。そのような人にしたら自分の生活を犠牲にする時点で本末転倒です。
②の「仕事人間で家庭や夫婦が崩壊したり、健康を壊す人もたくさんいます。受験でそこまで生活が崩壊する人は少ない」については、そんなのどっちも少ないよが答えです。昭和じゃないんだから、今時仕事人間で家庭や夫婦が崩壊する奴なんか少数です。
③も酷い。「受験に比べて異動は滅多にありません」ってそんなの職種によりけり。異動がつきものもお仕事だって幾らでもある。それに、そもそも受験で異動って何なのよ?
④の「仕事はチームプレー」という程度になら「受験の前提となる学生生活だってチームプレイ」でしょう。担任教師のローテーションは1、2年って、受験生の3年なり6年なりの内の2年が小さいわけ無いじゃない。
⑤の上限だってそう。「受験は本人の頑張りで開成でも東大理3でも青天井」って言うなら就職だって「本人の頑張りでソニーでもトヨタでも青天井」ですよ。
「出世は自社の役員や社長がせいぜいです。」というのも、単に「東大首席には東大生しかなれない」というのと同レベル。東大にに入れないことにはまず東大の主席にはなれません。例外的に高専からの編入で首席になれる可能性があるのも同じ。
⑥だって能力人格素晴らしい人が家庭の問題で潰れていく受験生も居ます。
受験なら本人に返っていかないことはありえ無いという決めつけは思い込みだと自覚しましょう。
「受験が実力なら、社会も実力とか」だし「社会は実力が綺麗事」だと言うなら「受験だって実力と言うのは綺麗事」なんだと思いますよ。






























