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別学共学はもう古い、雑学の時代到来

【7709479】
スレッド作成者: ジェンダー (ID:tTEMCActywI)
2025年 09月 13日 14:04

別学共学の議論が繰り返され、別学の都立校を作ろうなどというスレが立っていますが、別学とか共学という分類自体が古くないですか?
どうして性別だけをそんなに意識しなければいけないのか。

もう性別を一切問わない雑学の学校があっても良いと思います。

・生徒は性別も性自認も性嗜好も自由
・男女別の募集や選抜を行わない
・制服もユニセックスのパンツスーツのみ又は私服
・体育の際の更衣は個室
・トイレは全て男女共通の化粧台付き個室
・宿泊行事は希望者のみ、部屋はシングルユース

どうでしょう

【7713733】 投稿者: meta視点から   (ID:PslFLvj.L9.)
投稿日時:2025年 09月 25日 19:49

>私は所謂算数女子でした。クラスの他の女子も普通に灘開成の問題解いていましたし、女子の方が出来ないようには見えなかった。

女子は女子の扱いをして、女子として教育する、その考えが女性の能力にフタをしているんじゃないかな。

おお。初めてスレ主さんと意見の一致を見た。
ここで重要なのは、実際の能力に男女差はなくても「女子はこういう扱いを受ける」という環境の影響で、成績や自信の伸び方が変わるという点です。

女子は女子として扱われ、女子として教育される。。。その考え方自体が、パフォーマンスにフタをしているケースがあるのは心理学でも明らか。
ステレオタイプ脅威の研究でも示されるように、「女子だから数学は苦手」と無意識に刷り込まれるだけで、本人の能力は低下します。

>やっぱり環境のせいで性差ができるんじゃないかしらね。
小学生になったら男の子はピンク色を絶対に選ばない。選んだら何か言われるのを分かっているから。
バイアスは産まれる前からベビー服にしっかりかけられており、5歳くらいでは既に出来あがっています。プリキュアなのか戦隊なのか。そのあたりで

ここは世代ギャップかな。
ミレニアルな私は男の子でピンク、普通にいました。私も仮面ライダー見てたし、おジャ魔女見てる男の子も普通にいた。
つまり「性別に応じた嗜好」というのは、生まれつきのものではなく、文化・社会的期待によって強化されるものです。

性別固定観念は早期から刷り込まれるため、それが学校教育や日常の選択、挑戦の幅に影響します。

>そう考えたらやっぱり性別を意識した教育なんて要らないんじゃないかと思う。
礼法も家庭科も工作も、男女とも必要でしょ。

おっと。そこでまた決別。
性差の存在や社会的バイアスは事実存在します。
それをないものの様に「蓋をする」だけの教育では、本質的な平等や能力開発にはつながりません。

現実認識なしに「性別を意識しない教育」を押し通すことは、むしろ無理解による弊害を生む危険すらあります。
性差を蓋で隠すのではなく、環境や教育の工夫によって全員が能力を最大化できる形で性差や偏見に向き合う。それが現実的で建設的なアプローチだと思います。

礼法はね、やっぱりいらなかったって声も多いですが、私は社会に出て、やってて良かったと思う場面多々。男子も学ぶべきだと思います。

少し昔の話になりますが、中国の阿里巴巴集团、Alibabaの本社見学に行きました。ビジネスアライアンス絡みで、向こうの出迎えは大層なもので、ガイド役は東大卒の中国人重役。日本語も完全ネイティブレベル。

昼食中に雑談で、「中国には優秀な大学も多いのに、なぜ東大に?」と聞くと、日本語でこう返答されました。

「僕は華道、茶道など日本文化が大好きなんです。中国やインドにルーツがあったとしても、日本文化はそれを究極の高みに昇華させている。私は華道、茶道ともに師範の資格を取らせて頂いているが、まだ全く極みには、到達どころか見えてさえいない。その崇高さに心酔しているのです。」

って。
どうよ?日本人がその崇高さ、理解してる??

グローバルに出るからこそ、日本の礼法は性別関係なく学ぶべきだと思います。

なんかようやくスレッドの存在意義が出てきた気がします。
しかもスレ主さんと私、性別も立ち位置も似ているね 笑

【7713742】 投稿者: スレ主   (ID:2Hl59Vnwpk6)
投稿日時:2025年 09月 25日 20:03

私は分かり合えると信じてましたよー

茶道華道、グローバルに働いているとこれがめちゃ便利。日本の文化は歴史的背景なんかとセットで説明するとすごくウケがいい。
礼法もね、日本では男の子はお行儀が悪くても良いというご家庭も多いけれど、学んで損にはなることはない。

【7713752】 投稿者: meta視点から   (ID:saGaJcKa3e.)
投稿日時:2025年 09月 25日 20:20

>茶道華道、グローバルに働いているとこれがめちゃ便利。日本の文化は歴史的背景なんかとセットで説明するとすごくウケがいい。

ほんと、ソレ。
外に出て初めて気付く日本の価値、尊敬されるポイントなんですよね。

悪いけれど、クールジャパンとか言ってる、アニメ、ゲームはすぐ追いつき追い越される。ゲームは既に抜かれているし、アニメも早晩そうなる。

すると残るのは自ずと伝統に行き着くんですよ。
そこに目が向いていない時点で政府の視座も低い低い。

第72回
日本伝統工芸展(2025.9.3 Wed.〜2026.3.8 Sun.)

絶賛開催中。
毎年行ってます。日美の特集を見ると更に理解が深まるのでセット。

アニメと違って、真似など出来る筈のない孤高、至高。

この深淵にこそ日本の勝機があるのだと思うのです。

中国は既に、こう言った伝統文化、芸能、技術にまで投資をしている。単純に資金が潤沢だから?

いえいえ、世界をジャパンマネーが席巻してる頃にそんな視座があったか?

日本は負けるべくして負けている。

【7713769】 投稿者: スレ主   (ID:8oLOd0eAal6)
投稿日時:2025年 09月 25日 21:15

茶器なんかもね、何でもないように見えてストーリーがあり、世界を持っている。
考えに考えて作られている。
解釈を交換したり、楽しみ方もいろいろ。

【7713776】 投稿者: meta視点から   (ID:oJjVX1EByfE)
投稿日時:2025年 09月 25日 21:32

金と銀 甕か袋か 芝の庵(しばのいお)

きんさんぎんさんは知識はありますが、あまりイメージはありません。お二人ともとても可愛らしい女性なのと、現実80歳を超えた祖母が双子で存命、私自身、105歳まで生きると言うのが目標なので、きんさんぎんさんには様々なシンパシーや憧れも感じます。

ところで、私は童謡が大好きです。
シンプルな歌詞、文字数の少なさ、それ故に醸し出される無限に広がる空想世界。

余白の美、日本画の世界にも通じる深淵な広がりがそこにあるのです。

『月の砂漠』という有名な童謡があります。

作詞:加藤まさを 作曲:佐々木すぐる


月の砂漠を はるばると
旅のらくだが ゆきました
金と銀との くらおいて
二つならんで ゆきました

金のくらには 銀のかめ
銀のくらには 金のかめ
二つのかめは それぞれに
ひもで結んで ありました

さきのくらには 王子さま
あとのくらには お姫さま
乗った二人は おそろいの
白い上衣(うわぎ)を 着てました

広い砂漠を ひとすじに
二人はどこへ 行くのでしょう
おぼろにけぶる 月の夜(よ)を
対(つい)のらくだは とぼとぼと

砂丘をこえて ゆきました
だまってこえて ゆきました

「月の沙漠」は、その幻想的な世界観と美しいメロディで多くの人々を魅了してきました。

てっきりアラブの世界を旅して書かれた歌詞だと思ったら、千葉県の御宿町に記念館があり、ここがモデルと知り驚きました。

しかし、この曲の舞台となった御宿海岸にはラクダはおらず、歌詞にはいくつかの矛盾点も存在します。

この曲が生まれた背景には、作詞家の加藤まさをさんの想像力と、当時の流行に対する反発が絡んでいます。加藤まさをさんは、詩と絵を描く才能を持つ作家でした。彼が「月の沙漠」を作ったのは、大正12年3月の「少女倶楽部」誌上でした。

当時、彼は雑誌からの依頼で作品を描くよう求められ、自身が想像する砂漠の風景を基にした詩を書いたのです。しかし、加藤さんは実際に砂漠を訪れたことがなく、そのイメージは幼少時代に訪れた御宿海岸や吉永海岸の景色が一部を占めていたと言われています。

漢字の砂漠でなく、沙漠であった事からも海岸と言うモチーフが垣間見えますね。

加藤さんが詩を作る際には、アラビアの風景をイメージしていましたが、彼の知識不足から、作品にはいくつかの矛盾が見られます。例えば、挿絵に描かれたラクダは中央アジアのフタコブラクダで、詩には実際の砂漠での生活とは異なる描写が含まれています。しかし、これらの矛盾は加藤さんが創造した幻想の世界であって、詩においては許容されるものでした。

その後、作曲家の佐々木すぐるが「月の沙漠」に曲をつけ、昭和2年にはラジオで放送されたことで一躍人気となりました。この曲は、当時の流行歌とは異なる独自の世界観を持ち、多くの人々に愛される童謡として定着しました。

しかし、その後も「月の沙漠」にはさまざまな批判が寄せられました。特に、アラビアの砂漠を舞台にしたにも関わらず、詩には実際の砂漠生活とは異なる描写が多く含まれていたことが指摘されました。

例えば、水を収納する容器として金の甕や銀の甕が登場する箇所がありますが、実際の砂漠では革袋が使われることが一般的で、甕は使用されません。

さらに、詩には王子と姫の二人だけでの旅が描かれていますが、実際の砂漠ではそれは危険極まりない行為で、ベドウィン(遊牧民族)による略奪の危険性も高いことが指摘されました。

加えて、砂漠での月の描写にも問題があって、湿度の低い砂漠では「朧月」は出にくいとされています。こうした批判に対して加藤さんは、自身が砂漠を訪れたことがないことや、詩を作る際には幻想の世界を重視したことを強調しました。

加藤さんにとって重要なのは、詩を通じて伝えたいイメージや感情であって、それが現実の砂漠での生活と一致していなくても構わないという考えでした。

しかし、加藤さんの詩が具体的な舞台として御宿海岸に固定されたのは、加藤さんが幼少時代にその景色を目にしており、その印象が詩に反映されていたためです。

御宿町は加藤さんの作品を記念し、記念像や記念館を建て、観光資源として活用していますが、その舞台として御宿海岸が選ばれたのは、加藤さんの幻想が具現化された結果でした。

加藤さんの詩「月の沙漠」は、その幻想的な世界観と美しいメロディで多くの人々に愛されています。彼が描いた世界は現実とは異なるかもしれませんが、その中には彼の心情や想像力が詰まっており、それが多くの人々に感動を与えています。

金か銀か?甕なのか革袋か?

そんな枝葉末節はあの歌が流れ出した瞬間に頭に描かれる心象世界の美の前では、どうでも良い事なのです。

「柴の庵」(しばのいおり)とは千利休所持の水指、信楽水指の名器です。

一見どこにもあるような古びた手桶。
なんと大きなヒビが立てに入り、水漏れするのでは?と実用も怪しい壊れかけの器にしか素人目には見えません。

しかし、実物を目にすると堂々たる佇まい、茶室の中では、侘茶の精神を存分に発揮する水指だったのでしょう。

使えると言う最低限の機能を有し、目先の小賢しい美しさなど嘲笑うかの様な「用の美」がそこにあります。
実用の美と詫、寂を追求する利休たち茶人に愛された道具。

利休がこの水指に「柴の庵」という銘をつけたのは、僧慈円の歌

「ひきよせて結べば柴の庵にて、解くればもとの野原なりけり」

から取られたと言われます。

水指は茶室の中では侘茶の風情を大きく発揮しますが、茶会が終わると普通の信楽の手桶に帰る。

完璧でないものが、時と場合で完璧を体現し、終わればまた完璧でないただのものへと移ろう。

今はその曖昧さ、いい加減さが許容されない時代でもあります。
いい加減は良い加減でもある、そんな気持ちを詠んでみました。

【7713791】 投稿者: スレ主   (ID:YFdTaCjeBJM)
投稿日時:2025年 09月 25日 21:59

昔は娯楽も少なくて(ファミコンが出始めた世代)小学校で配られた童謡歌集は楽譜を見ながら全て歌ってみたものです。今の子供たちは童謡を全く知らない。勿体無いですね。

先日中学受験川柳をいくつか投稿しましたが、私はもう俳句などはからっきしです。
自分の俳句や詩のピークは小6だったなあと思います。
今どう頑張ってもあの時のような感覚は戻らない。
心が汚れてしまったのでしょうね。

高校生くらいまでかな、1番感覚が研ぎ澄まされる時期。性別でフタをされることなく、伸ばせるものは伸ばして欲しい。

【7713795】 投稿者: スレ主   (ID:YFdTaCjeBJM)
投稿日時:2025年 09月 25日 22:10

昔、茶花を花屋で買って先生に怒られたことを思い出しました。庭にあるものを使いなさい、枯れ枝なら枯れ枝でもよいのだと。

茶の湯はその一時を楽しみ、全ては無かったかのようになるのが良いのでしょうね。

水指といえば、最近は気に入りの品を骨壷とする方も多いようです。
私は骨壷は要らないかな。人生が終われば何も無かったように忘れ去られれば満足。

【7713803】 投稿者: meta視点から   (ID:saGaJcKa3e.)
投稿日時:2025年 09月 25日 22:54

>今の子供たちは童謡を全く知らない。勿体無いですね。

いやーー
こんな感覚が共有できる方がエデュに居たなんて。
本当にそうですよ!

詞の中には今はなき、失われた日本の原風景が描かれています。

十五で姐やは 嫁に行き。。。

そうか、昔は15歳でお嫁さんになったんだなぁ

×
これは、作者三木露風が、離婚した母親の代わりに子守をしてくれた姐やが、彼が15の時に嫁に行ったという話。

そんな勉強もさせてくれました。
なんか切ないメロディと歌詞。
いや、さっきもあげたRADの超絶文字数を一音にぶっ込んで、印象度というパラメータのマックスを叩き出す歌詞もイマドキで良いんですよ?

だけどその対極故に、空白と余韻がこんなに心地よい唄になる。

本当に勿体ない。日本人で生まれてきたのに、童謡を知らないなんて。
これは文科省ゴリ推しで学ぶべきです!
私は「この道」「早春賦」「椰子の実」「赤とんぼ」「宵待草」「月の沙漠」が特に好きですね。今もよくお風呂で歌っています。この道、椰子の実、月の沙漠は聖地巡礼もしたなー。この道、札幌の北一条通りは、白秋の詞のイメージの全くの無さになぜだかポロポロ泣けてきて、一緒にいた友人に「え?泣いてんの??どうして?」と驚かれました 笑


>先日中学受験川柳をいくつか投稿しましたが、私はもう俳句などはからっきしです。

えー
エデュの?私のスレッドですか?どれですか??

私も三縁山内さんの様な達人の句を見てしまうと。。。創作意欲が萎えます 笑

ですが、子供の頃の良さって、その評価に気を取られていない、まず詠みたい衝動きっかけだから純度が高いって思うんですよね。

>心が汚れてしまったのでしょうね。

汚れた心だって良いじゃない。
詠みたいと思う気持ちが大事です。良し悪しなんて気にしない、ワカチコワカチコです。

>高校生くらいまでかな、1番感覚が研ぎ澄まされる時期。性別でフタをされることなく、伸ばせるものは伸ばして欲しい。

そこなんスねー
スレ主さんのスレ立て衝動。
私はフタをされるとこじ開けたくなるタイプでしたが、そうでない、繊細さを持った子もいますからね。
過保護とも違う、その芽を評価する枠組みは必要かもしれないです。

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