アートの才能を伸ばす女子教育
別学共学はもう古い、雑学の時代到来
別学共学の議論が繰り返され、別学の都立校を作ろうなどというスレが立っていますが、別学とか共学という分類自体が古くないですか?
どうして性別だけをそんなに意識しなければいけないのか。
もう性別を一切問わない雑学の学校があっても良いと思います。
・生徒は性別も性自認も性嗜好も自由
・男女別の募集や選抜を行わない
・制服もユニセックスのパンツスーツのみ又は私服
・体育の際の更衣は個室
・トイレは全て男女共通の化粧台付き個室
・宿泊行事は希望者のみ、部屋はシングルユース
どうでしょう
もうすでにそうなっていますよね。
受験枠含め、男女枠撤廃が進んでいますし、
私立でもそうなってきています。
そして科目選択でも。男子だから選択できて、女子だから
選択できないという括りではないのでは?
たしか選択した人数が◯人以下なら開講されないという内容だったと思います。(中学、高校)
ようはやりたいか、やりたくないか、ですよ。
そこに全体的なジェンダーギャップがあっても良いと思います。
個人に落とせば自分の好き(学校の方針)を選べば良いだけ。
(身体的な特徴により分けるべき所は分けるべきですが)
> 効率化のために男女が得意領域を分担して将来助け合う発想は分からないではないですが、皆が結婚するわけではないし、結婚するとしても独身時代もあるのだから、それは違うなと。
そういう意見があるのはわかっているよ。でもこれは
教育政策というより少子化対策。互いに補うことがないと結婚の必要性をみな感じないし、結婚による子供も増えない。昔は仕事と家庭の分担だったけど、今は共働きが主流だから技術と家庭の分担をすればいいと思うね。
1947年以来の技術・家庭科の変遷は、性別役割分担を当然視していた社会構造そのものを映していたが、1989年の男女共修化以降、教育の標準は「生活に必要な基礎スキルは性別を超えて全員が学ぶべきもの」へと転換した。
これは単なる教科の改訂にとどまるものでなく、日本社会が誰かに依存することを前提にした教育から、自立を前提にした教育へ舵を切った歴史的瞬間とも言える。
その現実の転換から35年、未だ「男女で役割を分けるべきか」という議論が立ち上がるのは、性別という二分法の便利さに依存してきた長い習慣故かもしれないが、流石にもう時代遅れ。
>効率化のために男女が得意領域を分担して将来助け合う発想
そんなものは効率でもなんでもない非効率、スレ主さんが理解を示してナヨる必要もないです。
AIにしろ、専門家を交えたより高度な細分化にしろ、世界にあらゆる面で立ち遅れ、相手にされなくなった日本の捲土重来をはかり、世界に再度日本に振り向かせ、結果、日本自身も復活するチャンスと見るべきでしょう。
とにかくかつてのジャパン・アズナンバーワンはポンコツで意思決定までのプロセスが長く遅くまどろっこしい。
爆速にして失敗しようが新機軸に賭ける。もうそれくらいの崖っぷちでしょうに。
PISAのランキングもアジア諸国にどんどん抜かれていく中、全く対策も、改善も見られない。
私は再度ゆとり教育もアリだと思っている。あのまま優柔不断なバカどもに押し切られてヒヨらなかったら、前向きな何らかの結果は出ていたと。
無策が一番の悪手。
失敗で子達に被害を被らせられない?ゆとりとやらのグダグダで既に犠牲は出ている。
今更そんな事をどの口が言う?です。
もう小中から分けてもいい。むしろ小学校段階の悪平等の弊害は、思いのほか大きい。子どもたちの能力差を見て見ぬふりをした「横並び一律」は、個別最適化を阻み、かえって学びの格差を拡大してきた。現に、すでに小学校から個別分化の試みは始まっているのに、それを制度として正面から位置づけないままでは半端に終わる。
そして中等・高等段階に入ると、日本特有の「文理分断」という悪習が立ちはだかる。結果は周知の通りだ。横断的思考を持たない世代を大量生産し、社会に出ても「私文ガー」と唱えるだけで応用力も統合力も持たない不適合者を輩出してきた。国語や人文学系の素養は必須だが、理系軽視が政治家にまで蔓延し、日本の斜陽の元凶・足枷となっているのは否定できない。
ここで必要なのは「分離撤廃」と「横断的科目」の設計だ。それは単なるカリキュラム再編ではなく、学際という学問本来の姿を、初等段階から子どもたちに経験させる仕組みである。京大が打ち出した「学際融合教育研究推進センター」や「京大100人論文」、さらには対話型学術誌『といとうとい』が示すのは、専門を超えて「問い」を育てる学びのあり方だ。
「学際」は決して大学の専売特許ではない。小中の段階からこそ「なぜ」を問う訓練が必要だ。匿名で分野横断的な議論を交わす「100人論文」のように、子どもたちも立場や序列を外して率直に意見をぶつけ合い、付箋のように思考を貼り合わせていく。そうした場を制度として持たせることが、未来の「総合知」の芽を養う。
課題解決型教育が重視されるのは当然だが、その前に「その課題はなぜ生まれたか」「解くべき価値があるのか」を問える精神構造を育てなければ、イノベーションは虚飾に終わる。Howに傾斜した教育から、Whyを問う学びへ。Doingに偏した訓練から、Beingを支える知へ。
小学校の悪平等を温存し、文理二分法に囚われたままでは、国も教育も袋小路に陥る。だからこそ今こそ、分離を解体し、学際的横断を基盤とした教育を「義務教育の根幹」に据えるべきだ。
> そう考えると女子校でも難関校であれば男子向けの教育方法が実は合うのかもしれませんね。
以前に言った通り、大学受験は男子の優秀者を選抜するのに最適化された制度だよ。現状では女子が男子の価値観を取り込んでいかないと対等な戦いはできないだろうね。個人的には女子が男子化するのはいいとは思わないが。
> その現実の転換から35年、未だ「男女で役割を分けるべきか」という議論が立ち上がるのは、性別という二分法の便利さに依存してきた長い習慣故かもしれないが、流石にもう時代遅れ。
逆だよ。行き過ぎたリベラルが誤りだったことに気づき、世界の多くの国が保守へ振り戻している。日本もそうだが、若者、特に男子が極右を支持するようになっている。
産む性と産ませる性に分かれている以上、両者の行動パタンは同じではなく、能力に性差もある。にもかかわらず無理に平等を進めれば、少子化が進み、結果として国力が落ちる。 リベラルでは国が衰退する。
このままいけば、男女別政策をとっているイスラム教の国々が台頭してくるのは時間の問題。だから米国はDEIを否定し始めたんだろ。
>教育政策というより少子化対策。互いに補うことがないと結婚の必要性をみな感じない
うーん、少子化対策は必要だけれど、補い合う必要性を感じさせることで結婚へ導くのは無理じゃないかしら。
昔々は女性は男性に養ってもらう必要があったので結婚必須だったけれど、男女とも働く社会になれば、日常生活で補い合う必要性は結婚の決め手にはなりませんよ。
日曜大工してくれる相手が欲しくて結婚する人や、ボタン付けして欲しくて結婚する人などいません。お金さえあれば何でも外注だって出来ますからね。
結婚を否定しているわけではありませんよ。ただ現実的なメリットを示して結婚を進めるのは難しいと思います。結婚はもっと精神的な繋がりを求めてするものかなと思います。
生活上のメリットを求めるなら二人体制の結婚よりも大人数のシェアハウスのほうが良いでしょう。料理もまとめて作る方が経済的よ。
少子化を食い止めたいなら、結婚を促進するよりも、結婚した人に少しでも多く子どもを設けてもらうか、結婚しなくても子どもを育てられるようにするほうが手っ取り早いですよ。






























