今年入学した高1生が語る青春リアル
大学学部までは日本語で教育する
やたら英語が重要と言われているが、日本には日本ならではの情緒や歴史、文化がある。
子供の頃からしっかり日本のことを学び、大学学部までは日本語でしっかり教育する。英語はあくまで手段であって「使えれば良い」という程度の物。
英語偏重は日本の文化、歴史、日本人の情緒を破壊する。
俳句も和歌も漢詩も理解できずに洋楽を英語で歌う日本人を作ってどうするのか?
>英語偏重は日本の文化、歴史、日本人の情緒を破壊する。
俳句も和歌も漢詩も理解できずに洋楽を英語で歌う日本人を作ってどうするのか?
言いたいこともわかりますが、平安時代に和歌や漢詩を詠んだのは一部のエリート層、江戸時代に俳句を楽しんだのも風流好きな一部の層では?
現在ではガチ受験した層は好き嫌い、趣味か単なる手段としてなど理由はいろいろあれどもそれなりにこれらを理解しています。一方で受験とは関係なく趣味や教養としてこれらを楽しんでいる人も少なからずいます。
日本の文学や歴史関係の学びは今のままでよいですが、非英語文化圏の人でもビジネスをしている人ならそれなりに話せる英語がダメなのは問題があります。
英語も、スーパーでのお買い物程度と、論文を書き、研究内容について議論ができる程度とでは必要な理解度や訓練が変わります。現状では英語でないと世界の研究者に論文を読んでもらい、学会で成果報告できないので、東京大学をはじめとする研究大学が英語に重点を置くのは手段としてしかたないのかなと思います。
私は英語が話せますが、英語などやる必要はないです。
先日、某精肉チェーンの経営するとんかつ屋に行って来ました。
食べログ3.75。正直言ってとんかつはイマイチ。
横の席が黒人のフランス人で、一人は日本語も話せる様で日本語でスタッフと話していました。アジアの女性の方。
が、その女性、フランス語しか話せないフランス人とは流暢なフランス語で接客、のみならず、同席の英語の女性には英語、我々には勿論流暢な日本語。
そんなのが普通にとんかつ屋にいる時代に、英語のみが話せたところで何ら特化スキルにもならない。
私は英語力が落ちない様にGPTと英語で会話しているが、完全リアルタイムで英会話ができる。
凄いのは日本語にスイッチしても、うろ覚えのイタリア語を使ってもリアルタイムで即返答があること。
このご時世に外国語習得に適正のない日本人がコスト、時間、リソースを英語に割く暇があるか?
という事。
語学を学ぶなら、初対面でビジネスアラアイアンスを組む企業の担当者に、ウィット交えてこなれた挨拶したいんだけど?
と日本語で聞くと
Good to see you. I’ve been following your recent projects — looks like we’ll have a lot to learn and steal from each other
(お会いできて嬉しいです。御社の最近のプロジェクトを拝見していました。お互いに学べること、そして少し“盗める”ことも多そうですねㅋㅋㅋㅋ)
と、ネイティブの発音で返してくれる。これに極力英語で食いつこう、わかんない時は最悪日本語で質問、ってやってたら、日常会話レベルは即身につく。
そんな事より、重要なのは本当に母国語。
日本語ができない連中に論理的思考なんて不可能。
OECDのPISA調査で、日本の若者の「読解力低下」が顕著になっている。2018年のPISA調査では、日本の読解力は前回の8位から15位に急落。特に「情報を解釈し、論理的に結びつける能力」において低迷が見られる。これはまさに国語教育の軽視が招いた結果と言える。
加えて、2011年の「スティーブン・ピンカーの研究」(ハーバード大学認知心理学教授)によれば、ロン理的思考の発達には「言語の構造的理解」が必須であるとされている。つまり、国語(特にロン理的文章の読解能力)が貧弱な場合、数学的・科学的思考も十分に発達しない。
数学者である岡潔(京大教授)も、「数学の本質はロン理ではなく情緒である」と、「数学的発想力は言語を介して発達する」ことを示唆している。数学的思考は言語的論理によって支えられているという事実を考えれば、国語軽視の姿勢は極めて危険。
実際、大学入試において国語が軽視されているわけではない。上述の通り、東大・京大と言うトップ2校は、理系でも二次試験で国語を課している。それは、大学側が「国語=不要な科目」と考えていないからだ。
むしろ、海外のトップ大学(MIT・スタンフォード・オックスフォードなど)では「文理の境界がない」教育が当たり前であって、数学者であれエンジニアであれ、高度な言語運用能力が求められる。
シリコンバレーで活躍するエンジニアの多くが、哲学・歴史・文学を学んでいるのは偶然ではない。ジョブズはカリグラフィー(書道)からデザインのインスピレーションを得て、イーロン・マスクは物理と経済に加えてSF文学を好み深く読んでいる。
一方で、日本は?
理系人材の「専門特化(=単純化)」が進み、国語を軽視した結果、IT分野での競争力が急速に低下している。国際イノベーション指数(GII)2023では、日本は過去最低の13位。20年前に世界トップ5に入っていた国が、なぜここまで転落したのか?
それは、数理だけを鍛えても「新しいアイデアを生み出せるわけではない」からだ。
国語を軽視した教育が「問題を解くだけの受験エリート」を量産し、創造性やリーダーシップの育成に失敗した結果、ジョブズもイーロン・マスクもジャック・マーも生まれない国になってしまった。
国語教育が思考力育成に有効であることは、すでにいくつかの事例が証明している。
①灘中・灘高の超スローリーディング(橋本武先生)
→ 3年間かけて『銀の匙』を精読。生徒のロン理的思考力・表現力が飛躍的に向上し、結果として東大合格者数が倍増。
②東京都市大学等々力中のTQノート
→ 学習管理能力を養成するための手法として導入。結果、早慶上理・GMARCHの合格者を約2倍に急増。
これらの成功例は、単なる詰め込み学習ではなく、「深い思考と自己管理能力」を重視する教育が、学力向上に直結することを示している。
つまり。
短期的な受験突破力より、本質的な思考力を育成すべき。目先の受験において「英数特化」が有効な場合もあるだろう。しかし、それは単なるストラテジー(戦略)で、「本当に使える学力」の養成とは別の話だ。
もし、教育の目的が「受験エリートの養成」ではなく、「社会で活躍できる真のリーダー育成」なのであれば、国語軽視は絶対に避けるべきだ。
日本はもう、「数理特化の受験エリート」を作っている場合ではない。
本当に必要なのは、数学・物理・工学を理解しつつ、哲学・文学・歴史を語れる人材。
だからこそ、受験だけを見て「英数特化でいい」などと考えるのは、未来の可能性を狭めるだけの短絡的な思考に過ぎない。
日本語で読むのと英語で読むのとどちらが早く読めるか?
また理解が深いか?
アメリカの標準的な教科書を訳した本があるけれど、訳がまずくないなら日本語で読む方が圧倒的に早いでしょう。
日本語で理解しておいて学部までは進む。その後専門書は英語で読むようにしたほうが「分かっていること」を「英語で言うとこうなる」という対応がつくので分かりやすい。
いきなり英語で読むと3倍以上の時間が掛かり、理解も浅いのではないかな?
君の娘を都市大附に入れたらいいのでは。桜蔭に娘を入れたいと言っておきながら、他人には都市大附を勧めても誰も信用しないよ。
君は学校の探求学習について、制度化された探求は意味がない、国際系の英語教育は意味がない、といいながら、個人に思考力を高めるべき、というだけで、読み手には何の参考にもならんのよ。
思考力を高めよ、なんて誰もが知っていること、個人や家庭等で思考力を高めるべきといっても、何の参考にもならんのよ。
だから過疎る。あんたに言われなくても思考力、構想力、創造力を高めることが重要なのは当たり前。それをどうきっかけをつくるか、学校の教職員なのか、他の生徒なのか、制度化された探求学習なのか、制度化された英語教育なのか、いろいろな経験を通じて関心を高めるしかないのでは。
君のコメントはいつも総論で各論がまったくない。だから過疎るんだよ。




































