今年入学した高1生が語る青春リアル
大学学部までは日本語で教育する
やたら英語が重要と言われているが、日本には日本ならではの情緒や歴史、文化がある。
子供の頃からしっかり日本のことを学び、大学学部までは日本語でしっかり教育する。英語はあくまで手段であって「使えれば良い」という程度の物。
英語偏重は日本の文化、歴史、日本人の情緒を破壊する。
俳句も和歌も漢詩も理解できずに洋楽を英語で歌う日本人を作ってどうするのか?
笑
この一連のやりとり。
どちらの側にも知的な射程がない。
問題は「金か理想か」という二項対立の枠組みそのもの。教育の本質は、稼ぐためでも、稼がないためでもない。社会における価値創出の回路を再定義し、その中心に人間の思考を据え直す営みだ。
稼ぐとは、単に貨幣を得ることではない。社会の構造を読み、資源の流れを再設計する能力を意味する。それを倫理や公共の次元で統御できてこそ、学問の成果は社会的成果となる。つまり稼ぐ力は教育の副産物ではなく、教育の中で洗練されるべき思考の形式の一つ。
「お金に変えられない価値を見つけるために大学で学ぶ」という言い方も、自己陶酔的な理想主義に過ぎない。
貨幣経済の中で価値を具現化できない理想は、結局誰の生活も変えられない。学問の理想は、現実の構造に橋を架ける行為で、現実を拒む聖域ではない。
教育とは、人間が世界をどう読み替えるかという知の実験装置だろう。
そこで育つのは、金銭や理想のいずれにも支配されない、価値の媒介者としての知性。金を目的化した瞬間に学問は空洞化し、金を否定した瞬間に現実から遊離する。
この二律背反を越え、現実と理想の間に新しい論理を創ることこそが、教育の役割ではないのか。
要するに、金を軸に教育を語るのも、金を汚れとみなすのも、どちらも時代遅れ極まりない。
今問われているのは、富と知をどう再接続させるかという文明的課題。
教育の価値は、金では測れないが、金から逃げることでも測れない。
母国語(日本語)で説明しても6割のことを理解できるかわからない学生達がほとんどですよ?英語でやったら8割理解できますか?できるわけないでしょうに.
英語の勉強・習得は必要ですが,専門科目を母国語で習える環境であることに感謝すべきです.
英語は別に訓練すればよいだけの話.何でそんな簡単なことがわからないのか?!
スマホや翻訳機をいちいちみないと英語でのコミュニケーションが取れない人とプライベートな場で語り合いたい人はあまりいないと思う(よほどの外見的や内面的魅力のある場合は除く)。変で面白そうな場合は面白がって相手してくれるかもしれないけど。
初回はそうかもしれないし、ただの購買だけならそれで良いと思うけどもっと複雑な仕事になると、例えば
共同開発などの場合は仕事上の困難があるのでパートナーは信頼できる相手、話ができる人に最終的には落ち着きますよ。




































