今年入学した高1生が語る青春リアル
東大が英語授業の新学部2つを設立予定、英語に強い学校のニーズはさらに高まる?
東京大学
1. AIや宇宙のほか、半導体やロボット、量子科学などの幅広い先端分野を扱う「ディープテック学部」(仮称)
2. コンピューター科学を専門とする「コンピューティング学部」(仮称)
2031年度に進路として選択できる予定。
定員は計約400人で、講義は英語で行う。
中高で英語に強い学校だと、授業の理解度も早そうだね。
一連のやりとりの最大の問題、制度の名称や形式に囚われ、大学改革を組織再編の話に矮小化している点。
卓越大学もユニット制も、あくまで運営構造の表層に過ぎない。本質は、研究の生態系をどう更新するかにある。
研究室を廃止し、ユニット制を導入しても、知の構造が変わらなければ何も起こらない。
制度改革によって成果が出る研究が自動的に増えるわけではない。研究とは組織の枠よりも、問題設定の質によって生まれる。
人気や成果を基準に研究室を淘汰する発想は、知を市場に流し込む短絡であり、寧ろ学問の持続性を損なう。
大学改革が向かうべき方向は、ポストの廃止や若手登用ではなく、知の分業を再設計すること。旧来の講座制は、専門領域ごとの独立性を確保する仕組みとして機能してきた。
一方で現代の課題は、分野を越えた問題設定と、研究資源の流動化をどう両立させるかにある。東大の新学部構想が意味を持つのは、制度の新しさではなく、知の境界線を再描く試みである点にある。
それに、人気のない研究室が消え、人気のある研究室に人が集まるという見方も浅い。
研究は消費財ではなく、需要と供給の論理では測れない。誰も見向きもしなかった分野が、十年後には新しいパラダイムを生むこともある。短期的な成果指標で淘汰を進めれば、知の多様性は急速に失われる。
本当の大学改革とは、制度の新設でも研究室の改廃でもない。知を生み出す回路の再設計だ。
カタカナ学部やユニット制は、その外郭に過ぎない。教育も研究も、組織ではなく思想の再構築によってしか変わらない。そこを理解しない限り、どんな改革も表札の付け替えに終わる。
何度も言っているけど、君はコメント者の立場など何も知らずに、自分の頭の中のものをただ吐き出しているだけ。
意図的に英語授業などにフォーカスしているんだよ。本質の議論をしたら、君くらいしか反応しないだろ。
君は大学の理系の研究を全く知らないのに、適当なことを何度も繰り返し投稿しているが、笑われるだけだからやめた方がいい。蛸壺になっているの文系の研究とは違う。
科研費で成果がでないのは、流行りのものを後追いしているからで、先行者がおいしいところを持っていくのはあたりまえ。誰も見向きもしないときから地道にコツコツと積み上げていかなければ化けたときに果実は得られない。この点で言えば、運営交付金を削って科研費を増やしたことがそもそもの誤り。
またキミかい。
発想が全て低い。
制度の枠内で人数の出入りを数えることしかできていない。東大の新学部構想は、定員調整の話ではなく、知の流路を再配線する試みだよ。
100人や400人という単位は表層でしかなく、本質は教育研究の回路そのものを組み替えることにある。既存の学部・研究室の延長で物を考える限り、改革の射程は微塵も見えない。
人気や人の流動を競争と呼ぶのも浅い。
競争とは数の移動ではなく、思考様式そのものの変容を指すのだから。
構造的に停滞してきた大学組織を、知の生成単位から再構成することこそが改革。単なる学科選択の柔軟化ではなく、知が生成される単位を再定義する。
蛸壺研究室の問題は、蛸壺であること自体にあるのではなく、その構造が再帰的に再生産されてきたことにある。
そこにメスを入れなければ、どれだけ制度を新しくしても形だけが変わるだけの話。
ユニット制もその一手段に過ぎない。重要なのは、知のオーナーシップを固定した教授個人から切り離し、プロジェクト単位で動的に再構築できる知の生態系をどう設計するか。
科研費がどうこうという議論も的外れ。
金をどこに配るかではなく、知をどの構造で生み出すかが問われている。
運営交付金か科研費かといった配分の話ではなく、知の生産装置そのものを更新するか否かという次元に話を持っていけない限り、大学改革の本質は見えてこない。
地道に積み上げることを否定するのではない。
問題は積み上げ方だ。閉じた研究室の中で小さく積み上げても、それはもはや進歩ではなく慣性の範疇だ。
改革とは慣性の切断、未知への加速。
東大の新学部構想が狙っているのは、人や研究室の入れ替えではない。学知を支える制度のDNAそのものの書き換えだ。
そこに視座が及ばない限り、どれだけ制度を語っても、語っているのは過去の亡霊に過ぎない。
> 構造的に停滞してきた大学組織を、知の生成単位から再構成することこそが改革。
多くの大学が30年以上前から理工系学部学科の枠組みを何度も組み替えてきたのを知らないのか。その都度学部名称も変わっているだろ、それに、学部学科横断でPJを組むことなんて当たり前のようにやっている。知の生成単位を再構成するのが改革なんて知ったかぶりはやめなよ。
自分で言っている事の意味が分かってないのかな?
今ね、大学は自国語で専門を学ぶべきって人がいるのよ。1つの分野も精通するのは大変だ、と。
そして学際的な分野はあるのよ、国際系で理文を、越えたね。でも浅くなるわけ。
で、東大のCODも基本を6年にしているわけ、学際的な学びに必要な時間だと思っているんだろうね。
さて、あなたの言っていることはずっと大学は模索し続けて来たわけよ。
能力の高い人しか入学を許可せず、大学でも勉強漬けで単位を出すようになると大学は1割りくらいしか残らないよ。引っ張っていける教員もいないだろうしね。
現状は先ず1分野に精通し、ムーンショットとか三官合同プロジェクトとかあるのでそこから情報共有して他分野への理解を深め、稼いで収益を次のステップに回すのが現実路線ですよ。
稼げない分野をなくすのではなく、どうしたらその分野でも稼げるのかを考えないとダメな時代だ、という事。




































