アートの才能を伸ばす女子教育
中学受験ママの息抜きスレッド
日々の子育てお疲れ様です。
そんな私達の日々の潤い、美容、ファッション、音楽や趣味を語りませんか?
お互いの批判やら、浅いなどのマウント等もやめてくださいね。
ゆる〜くいきましょ?
Perfumeって、あの無機質なテクノ感と、3人の人間臭さのバランスが本当に絶妙ですよね。
中田ヤスタカの音は、時に冷たく、記号的ですらあるのに、Perfumeが乗ると急に体温を持ち始める。
ここが、私が好きなCAPSULEとは根本的に違うのだと思います。
CAPSULEは、ある意味で音そのものの快楽に極振りしている。
都市、高速道路、ネオン、ガラス、深夜の首都高みたいな、“人工物としての美しさ”がcore にある。
だから感情移入というより、空間ごと没入する感覚に近い。
一方でPerfumeは、その冷たい電子音の中心に、妙に生活感のある3人が立っている。
MCになると急に広島の女の子たちに戻る。
あれだけ未来的な演出をしながら、どこか文化祭前夜みたいな空気を失わない。
そのズレが、Perfumeを単なるテクノポップでは終わらせなかった理由なのでしょうね。
きゃりーぱみゅぱみゅも、また全く違う。
きゃりーは、中田ヤスタカの“悪趣味寸前のポップ感覚”を、原宿カルチャーとして世界へ輸出した存在だったと思います。
あの毒々しさ、玩具感、少し怖いのに可愛い感覚は、日本人が昔から持っていた“カワイイ”の異形進化版でした。
ただ、きゃりーは世界観そのものが作品で、Perfumeは3人自身の時間の流れが作品になっている。
だからPerfumeは、年齢を重ねること自体がコンテンツになる。
デビュー当時の映像や、犬を連れて打ち合わせしている場面の話を伺うと、巨大なライブ演出の向こう側に、広島の少女3人の時間がちゃんと続いている感じがして、少し安心します。
持続するグループというのは、派手な瞬間よりも、案外そういう何気ない日常の積み重ねで出来ているのかもしれません。
そしてSweet Donut。
あの頃の少し粗削りな電子音を、20年以上経ってなお違和感なく今のステージに接続できるのは、Perfumeという存在自体が、既に1つの“様式”になっているからなのでしょうね。
わかります。
真夏の葛餅って、どこか「涼を摂る」感じが先に来るのですが、少し空気が湿って、温度が落ちた日の葛餅は、むしろ静かな嗜好品になるんですよね。
蜜を少し深めにするか、きな粉を軽くするか、お茶を焙じ系に寄せるか。
あの小さな調整をしている時間そのものが、曇天と妙に噛み合う。
季節って、晴天の日だけではなく、こういう少し沈んだ空気の側にも、ちゃんと味覚を置いているのだなあと感じます。
ギクっ!
ドーナツをナイフで切って食べる習慣がない 笑
いや、でもテーブルマナー的には、名古屋名物の手羽先ですら手で食べない訳ですから、ドーナツも本来的にはフォークとナイフなのでしょうね。
流石西千葉さん、育ちの良さが滲んでおります 笑
そう言えば昔、お受験界隈で有名な話を聞きました。
面接中、ペットボトルの水を渡され、どうぞと促される。
そこでそのまま飲んだら即アウト。
正答は、
「コップを頂いてよろしいでしょうか?」
……はぁ?です 笑
どう飲もうが自由だろうが、と育ってきた身には、たぶん一生縁のない世界。
実際、東大や医学部時代の同級生にも、お受験経験者は少数派でした。
勿論ゼロとは言いませんが、少なくとも学歴とお受験が単純比例するほど世の中は素直ではなさそうです。
だから子どもにも、こちらから受験を勧めたことはありませんでした。
本人がどうしてもと言えば、完璧受験親を演じる覚悟くらいは……た、多分 by Roy Lichtenstein 笑
もっとも、説明会会場でスーツ姿の親子が整列している光景を見ると、どこか演劇めいて見えてしまうのですが。
おっと、これはSNSで名指ししたら炎上案件ですね 笑
さて、和菓子の話。
本来なら、葛餅やわらび餅には黒文字でしょうか。
私は黒文字を一度お茶に浸し、立ち上る木の香を愉しんでから和菓子に添えます。
目を閉じると、湯気に溶ける黒文字の香と、和菓子のほのかな甘みが静かに重なっていく。
あれはもう、味覚というより空間ですね。
先日お話しした、MJ御用達「芳光」のわらび餅。
店先に、
「黒文字 別売り ¥10」
の張り紙がありました。
世知辛い?
いえ、逆でした。
黒文字一本にも、削り、包み、届ける誰かの手間がある。
むしろ、別売りになったことで、その一本の存在感を改めて感じたのです。
葛餅を
ゆるゆる割けば
木の香立つ
お粗末でした。































